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正直、わたしは自分を天才だと思っていた。
空気を読むことを飲み込んだ頃からそれは過去形になっていったのだけれど、結局のところ周囲に自分を隠すことに慣れただけで、根っこの部分は全然、これっぽっちも変わっちゃいなかった。それどころか、年齢不相応な自己顕示欲ばっかりが一人歩きして、もうどうにも手に負えなかった。
だから今ゼロの二つ付いた答案を見せられても、こんなの当たり前としか受け取れなかった。
「文香また英語100点じゃん」
「凄いよねいつも、いいなぁ…… 」
はは、そんなことないよ、千紗だって海だって良い点取ってるじゃん、なんてちょっと嫌味っぽくなるのを抑え、笑顔で受け答えをする。
そう、こんなのはわたしにとって当たり前の出来事で、もうそこにわたしの感情は居なかった。
そんなわたしに気づくことなく目の前の声は止まらない。
「このテストで100点取ったの、文香とB組の遠藤くんだけらしいよ」
「平均62だもんねー。凄いよほんと」
また、遠藤。
最近、というか実はもうちょっと前から、なんとなく耳にしていた苗字がわたしの前を横切る。
遠藤くん、下の名前は……なんだったかな。
とにかくそれくらいの関係で、それ以上でもそれ以下でもない。彼を知っている訳も、彼の試験での高成績が隣のクラスのわたしの元まで届いているというだけで、それも一種のありふれた偶然だった。
だからこの先もずっとそうだと勝手に思い込んでいた。こんな人いたねー、とか、ほかほかの卒業アルバムに写る彼を友人たちと指差しながら、数秒の記憶の後じんわりと忘れていくものだと思っていた。
「文香、今日帰りどうする?」
「あ〜ごめん、今日も図書室寄ってく」
「そっか、わかった。それにしてもよくやるよねぇ、わたしなんか昨日予備校さぼっちゃった」
「あはは、こうも勉強漬けだとちょっとの現実逃避も必要だよね」
「ほんとね、なーにが受験生よぉーって感じ」
テストの緊張から解き放たれたクラスに、とりとめもない会話がこだまする。
その時、6限の終わりを知らせるチャイムが教室中に鳴り響き、私たちはふと会話をやめた。
「……いいですか、みんなはもうすぐ受験という試練と戦わなければなりません。このくらいのテストが余裕で解けるようにしておかないと厳しいですよ。だからこそ……」
別に戦わなきゃいけないってきまってないじゃん。
メガネをキラリと光らせ澄まし顔で説教する先生には口が裂けても言えないセリフをぐっと飲み込んで、持っていたシャーペンを強く強くノックする。
華の女子高生と言われ持て囃されてきた時代もあと数ヶ月で終わりを告げるんだ。と言っても、ほとんど実感はないのだけれど。それはこの場所に特に思い入れも未練もないからなのかもしれないし、自分がそれほど乾ききってるからなのかもしれないし、なんにせよ、わたしは永遠に退屈だった。
そんなわたしも県内有数の進学校に通う身として、進路というレールから逃げるなんて大層なことしようとは思わなかった。だからこうして毎日放課後に図書室で一人勉強している。一応、学年順位一桁、模試の成績も良好だがまだ油断はできない。予備校も通ってないわたしは少しでも気を緩めたら堕落してしまうと思うから。
でも。
もし、もしわたしがこの太いレールから一歩外に出る勇気を持ち合わせていたら。
もし、誰かがわたしの手をそっと引いてくれたなら。
今でも時々、そんなことを考える。
登校中、せわしない電車に揺られながらいつも小さく嘆いていた。あぁ、わたしは一生この箱の中から出られないのかと。わたしは一生整備された道の上をたどっていくのかと。ほんの少し、ほんの数分だけでもいい、ぐちゃぐちゃにぬかるんでいて、一歩踏み出せば足元をすくい取られてしまう様な、わたしのまだ見たことないそんな道を、無性に歩きたくなった。まぁ結局、そんなことを考えて多少の憂鬱に浸るだけで、何もしないのがこのわたしなのだけれど。
先生のありがたく長いお説教の終わりとともに放課後を知らせるチャイムが鳴って、わたしは海と千紗と共に教室を出た。