第三話 仮面③
「……ってことがあったんですよ」
あたしは自習の時間を抜け出して、保健室にやって来た。
部屋は消毒のにおいが充満していて、雪宮先生が窓を開ける。
カーテンが風で靡き、温かい空気もともに外へ逃げていく。
その風に流される先生の長髪をあたしが眺めていると、雪宮先生はあたしの方に振り向き、「うんうん」と頷く。
「もう周りの人たちが『れいか様に恥をかかせたあいつは、最低だ!』って激怒しちゃって、その男の子を追いかけて行ったんですよ……」
「人気者も大変だね」
「他人事だからって、そんな言い方しないでくださいよー。
先生しか打ち明ける相手がいないんですから」
雪宮先生は、夏休みが開けると同時に転勤してきた女性である。
外部にいたためか、学校にいる人たちと違い、あたしを崇拝することもなく、気軽に接してくれる。
他の先生に相談しても、「君なら一人で出来るよ」と言われるのがオチだが、雪宮先生は真摯にあたしの話を聞いてくれる。
「どうしてあたしに心奪われるほど惹かれるんですかね?」
「あれー? 自慢?」
「違いますよ……」
「人気者ならそれでいいじゃない?」
「人気者になれたときは嬉しかったですよ。
でも、今は違うなって思ってきて……。
友達がいないし、先生との距離感も広がるばかりだし……何より、皆が期待している自分と本当の自分とのギャップができてきて、演じるのが難しくなってきたんですよ……」
雪宮先生は、湯飲みにお茶を入れて、あたしに渡す。
愚痴で喉が渇いてきたので、遠慮せずそれを飲み干した。
「君は大人になったら、いい酒飲み仲間になりそうだ」
「お酒は飲みたくないです……。
お酒で冷静さを失った大人ほど、みっともないものはないですから。
今日も父親と接待に行くんですけど、そこにいる大人は酒が好きで、歌ったり踊ったりし始めるんです」
「お酒の席というのは、表ではしっかりした姿をしている人も、ふざけても許される場所だからね」
「せめて人前では落ち着きのある姿を見せて欲しいです。
高校生であるあたしにだってできるんですから」
「自分ができるからと言って、他人に押し付けるのはお門違いだよ」
先生も湯飲みに口をつけて、喉を潤す。
湯飲みに触れた唇は弾力があって、その姿が妖艶に映る。
「君が望んでやっていることじゃないか。
誰しも人前では、本当の自分ではない誰かを演じて、生きている。
彼らは『嫌われたくない』という自分の都合でやっているんだよ。
君も同じだ。
なのに、原因を外に求めて、自分を変えようとするのは違うと思うね。
そういうのを何て言うか知ってる?」
彼女はあたしの返答を待たずに言った。
「高望みって言うんだよ」
タイミングよく、チャイムが鳴る。
次の授業は数学だ。
担当の先生は、少しでも遅刻すると、激昂してしまうので、急いで教室に戻らなければいけない。
「じゃあ、時間なんで戻ります」
「分かった。いってらっしゃい」
まるでお母さんのようなセリフであたしを送り出す。
「いってらっしゃい」という言葉で、あたしにも帰る場所があるのだと実感できる。
あたしは「いってきます」と笑顔で返し、教室に向かった。
▷▷▷▷
雪宮はれいかを送り出すと、ベッドの方へ向かった。
ベッドはカーテンで囲まれ、中が見えないようになっている。
「れいかちゃんはもういないわ。もう出てきてみたら?」
彼女がそう言うと、一人の男子がカーテンを開けて、姿を現す。
坊主頭と広い肩幅、マメのついた両手から察するに野球部の生徒だろう。
「すみません……。れいかさんがよくここにいると聞いて……」
男子は脅えながら謝罪する。
これは、列記としたストーカー行為で、先生に見つかったということは、彼が停学または退学になることを意味する。
しかし、彼女は叱ることはしなかった。
「大丈夫。心配しないで。彼女に魅了されて、隠れて見ていたいと思うのは、思春期なら仕方のないことだから」
男子はそれを聞いて、胸を撫で下ろす。
「ただ、ここで聞いたことは忘れて…………」




