第二話 醜悪⑬
ちーちゃんは、昨日の夜と同じく、渡り廊下に腰をかけていた。
そこから、塀の向こうの陽炎をボーっと眺めているちーちゃんに、上木原が声をかける。
「おっす、ちーちゃん。何しているんだい?」
ちーちゃんは上木原を一瞥してから、また陽炎に視線を移す。
「あー、上木原さんですか。少し考えごとをしていました」
それを聞いて上木原は「そうかい、そうかい。なるほど、なるほど」と、話を聞いていないような生半可な相槌をする。
それをちーちゃんは、気にする様子もなく、しばしの沈黙が生まれた。
「すみません。今回も上手くいきませんでした」
ちーちゃんの言葉に、上木原は腕を組んで、目を閉じた。
「なーに。オレがちーちゃんに無理言ってるのは百も承知だよ。
それに今回は今回でよかったと思う」
「よかった? なぜですか?」
ちーちゃんの問いに、上木原は答える。
「たしかに根本的な解決にはなってないのかもしれない。
でも、ちーちゃんのおかげで、あの子たちは精神的に救われたと思う。
逃げていたことに立ち向かうことができた。
だからよかったと思ってる。
これもちーちゃんのおかげだよ」
ちーちゃんが頬をかく。彼は振り向こうと考えたが、照れくさくて、視線を元に戻した。
「恩を仇で返したくないだけですよ……」
ちーちゃんは思い出す。
神社で泣きじゃくっていた自分に声をかけてくれた上木原の姿を。
「恩なんていうほどのことをしてないよ」
上木原は謙遜する。いや、彼は、本当に恩を売ったつもりがないのかもしれない。
「たしかに恩以上に迷惑も送られているような気がします」
ちーちゃんは笑いをこらえながら言った。
「おっと、毒舌使うようになったね~。誰の影響だ~?」
「どっかの誰かに似てきたんでしょうね」
「そうかそうか」と上木原はうなずく。
「そいつ見つけたら、保護者として教育がどうなってるのか聞いてやる!」
上木原がわざとらしく腕まくりする。
それを見て、ちーちゃんは苦笑した。
「ははは。……ほんと、今どこにいるんでしょうね」
ちーちゃんは、陽炎を見つめ続ける。
その向こうにある女性の姿を追い求めて。
▷▷▷▷
とりあえず、俺はお母さんとさよならした。
突然泣いた理由として、その場で考えた適当なことを述べといた。
それがなんだったのか覚えてないほど、適当に発言した。
お母さんも、それで納得してくれて、別れるとき手を振ってくれていた。
目を赤く腫らしながら、歩いていると、曲がり角から女の子が現れた。
「ちょっと、あんた、どうしたの? そんな化粧を崩して」
声をかけたのはエリだった。
体中の傷を隠すため、季節に合わない長袖長ズボンを着用し、右目は眼帯で隠れていた。
代替品は二体しかないらしく、俺が傷がないもの、エリが俺が傷つけてしまったものを使うことになったのだ。
「お前こそどうしたんだよ。こんなところまでついてきて」
「私の姿でデリケートのない行動されたら困るから見張りに来たのよ!」
それを言うなら「デリカシー」な。
あと、お前に今更デリカシーなんてないだろ……。
そうは思ったが、言葉には出さなかった。
やっぱり俺は臆病者なのだ。
「まあ、そんなことがなくて良かった~。
心配して損なんだけど~」
「『損なんだけど~』と言われてもな……」
「ちゃんと言いたいこと言えてよかったじゃ~ん」
「そうだな……って、おい! お前見てたのかよ!?」
「誰も大の男がピーピー泣いてたところなんて見てませんよ~!」
こいつ……ッ! 怒りで頭に血が上ってきた。
「予想通りの大泣きだったね~。
化粧薄くしといてよかった~」
「なんで泣くことと化粧を薄くすることが関係あるんだよ?」
「化粧濃いと、涙でアイライナーとかマスカラとかが崩れて、顔が酷くなるの。
私の顔とはいえ、お母さんには汚い顔で会いたくないでしょ?」
その言葉に俺は驚いた。何せ、人のことを考えない、自己中心的なやつだと思ってたやつから、そんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
俺は今まで性悪説を信じていた。人は、所詮、悪の塊だと思っていたのだ。
しかし、俺はこの二日間で人の優しさに触れた。
悪人だと思っていた人から、思いやってもらえた。
そのことは俺に生きる気力をくれた。
俺は思った。
案外、この世界は、俺の人生は希望に満ち溢れているんじゃないか、と。
「お前っていいやつなんだな」
エリが俺の顔を見る。その顔が一瞬微笑んだように見えた。
「何~!? いきなり~!? キモいんだけど~!?」
「前言撤回。やっぱり、お前は悪いやつだ!」
「それもそれで腹立つ~!」
「うるせー!」
俺とエリは、口喧嘩をしながら、家路を歩いた。
だが、途中で笑い話に変わり、互いに大きな声で笑った。
母親に「こうして明るく生きてるよ」と伝えるように。




