第二話 醜悪⑫
ピンポーン。
俺はインターフォンを鳴らした。
友達すらいなかった俺には、これが初体験であった。
きっとこの話をしたら、またエリに引かれるだろう。
時刻は午後一時。
ここは上木原町から歩いて一時間くらいの町。
周りを見ても家しかない住宅街だ。
道路ではゴミバケツみたいなお掃除ロボが走っており、子ども用の浮かぶバイクに乗った小学生が、そのロボを追いかけていた。
そのバイクは、数cmしか地面から浮かないようになっているが、子どもにとっては、それでも十分宙に浮いてる感覚を得ているようで、爆発的に売れているようだ。
空に飛ぶ車も実用化されたが、新しく作られた法律により、車は地面から1m未満で飛ぶように決められ、大人にとってはそれでは空を飛んでいると感じることは難しかった。
結局、今も車はタイヤを転がして走っている。
母親が「きっと未来は信じられないくらい進歩してると思ってたけど、宇宙技術やら医療やらは発達したけど、私の周りは信じられなくらい変わらなかった」と言ってたことが思い出される。
なんでこんなことを思い出したのだろう。
きっとこの場所のせいだ。
そう初めて押したインターフォンは俺の家のものだ。
まさか、このインターフォンを押す日が来るとは思わなかった。
必ずこの家には母親がいたし、いなくても扉の取っ手を握れば指紋を認証してくれて扉が開くから、インターフォンを押す必要がなかったのだ。
しかし、今の俺の指紋ではそれができない。
画面が暗くなった腕時計型端末を見る。
そこには化粧をした女子高生が映っていた。
自分そっくりの代替品を作るには、時間がかかるが、元々あるものを使えばいい。
それがエリの提案だった。
つまり、俺は今、見た目が完全にエリになっているのだ。
魂を移植したあと、一時間かけてメイクされ、この顔が完成した。
でも、いつもより化粧が薄い気がするのは気のだろうか?
少しでも鏡のような姿を反射するもので、スッピンを見ようとするものなら、女とは思えないドスのきいた声で静かに怒られた。
怒鳴られるよりもそっちのほうが怖いんだよな……。
それにしても、インターフォンを鳴らしてから大分経つのに、返事がない。
もしかして留守なのかな?
そう思って出直そうと考えたとき……。
「うちに用ですか?」
後ろから声がした。
懐かしい声。この間までその声を聞いたらムカついていたのに、今はそれが温かく感じる。
俺は振り返る。
そこには俺を産んだくれた人が立っていた。
俺を産んで、ここまで育ててくれた母親が、食材を入ったビニール袋を持って、立っていた。
実際に会って見ると感極まって言葉が出ない。
しかし、このまま黙っていたら、母親の不信感を煽るだけだ。
話しかけなければ……。
「こんにちは。私、上木原高校の藤田エリと言います。佐々木さとし君はいらっしゃいますか?」
エリの声で俺は他人行儀で話しかける。
その口調はぎこちなく、どこかに俺っぽさがにじみ出ているように感じた。
そういったところで母親なら気づいてくれないかな?
俺は期待した。
でも、俺の期待も虚しく、想定内の返事が返ってきた。
「誰ですか? さとしって? そんな人、うちにいませんけど……」
そうこれは想定内の言葉だ。
エリの前例があるじゃないか?
分かっていただろ?
覚悟していたことだろ?
なのに……。
なのに……ッ。
なのに……ッ!
どうしてこんなに胸が痛くなるんだよ……。
「すみません? どうにかされま……」
「そうですか……。家を間違えたかもしれません。失礼します」
俺は母親の言葉を遮って、帰ろうとする。
もうダメだ。
謝罪なんて言えない。
これが一番の罰じゃないのか?
自分を一番愛し、一番に守り、一番そばにいた人間に忘れられる。
これ以上の罰はあるのか?
いや、ないはずだ。
あってたまるものか!
俺に唯一価値を見出していた人が、俺を忘れた。
それは、俺の存在価値がなくなったことを意味する。
俺を誰も求めていない。
ある意味、俺はこの世界から抹消された。
もういいよな?
俺はもう完全に消えたい……。
葛藤しながら歩き出すと声をかけられた。
「あなた、どっかで会ったことある?」
俺は立ち止まった。
「人違いならごめんなさい。なんか、その……ほっとけない感じに覚えがあってね……」
嘘だろ……?
「気のせいですよ」
そうだ、気のせいだ。
俺の気のせい。
「顔色悪いし大丈夫?」
やめろ……。
「大丈夫です」
「ちゃんとご飯食べてる?」
黙れ……。
「食べてます」
「ちゃんと寝てる?」
そんなに優しくするな……。
「ちゃんと寝てます」
「体に気をつけなさいね」
そんなに優しくされたら……。
俺は振り向く。
くしゃくしゃになった顔で俺は言った。
「はい……お母さん」
俺は久しぶりにその女性をお母さんと呼んだ。
お母さんは驚く様子もなく、「なら、よし!」と微笑んだ。
本当にお母さんは強いな……。
お母さんは俺を強く抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
その胸の中で俺は泣き喚いた。
このとき、俺は神様に初めて感謝した。
「このお母さんの子どもにしてくれてありがとうございます」と。




