第二話 醜悪⑪
風呂上りに外に出ると短夜の生温い風が、上昇した体温を冷ましてくれた。
渡り廊下に腰かけ、足を庭に放り投げる。
屋敷の庭に、証明器具はないが、塀の向こうの町の明かりで十分照らされていた。
結局、あの後、俺はこの屋敷に泊まることになり、大広間で上木原さんとずっと話していた。
そして気づいたことが、上木原さんがバカだということだ。
あの人は何も考えていない。
正確に言うと、上木原町以外のことを何も考えてない。
何時間も会話して、その内容すべてが上木原町に関することで、俺が話を変えようと「みかんが好き」という話をしたら、「この町のあそこにあるみかんがおいしい」ということを語り始め、そのまま上木原町の話に戻されてしまった。
しかも話に中身がない。そんな話を長々とされたが、扉に背の高いマッチョの警備員が立っていたので、俺は逃げることもできず、ずっと話を聞いていた。
間接視野でクスクスと笑うエリ(ノッペラボウが案外可愛い名前で驚いた)と頼光の顔が見えた。
数時間たった後、なんとかお風呂を理由にその場を離れることができた。
そして、あの部屋に戻るのが億劫になって、ここで時間を潰しているというわけだ。
「ここにいたんだ」
爽やかな声が後ろから聞こえてくる。
振り返ると、そこには頼光の姿があった。
「なんだ。頼光か」
「上木原さんの方が良かったかな?」
「冗談よせよ……」
「ごめん、ごめん。隣いいかな?」
「いいよ」
頼光が俺の隣に腰かける。
「二人は?」
「上木原さんは居眠り。エリちゃんは体のメンテナンスだね」
「へー、メンテナンスが必要なんだ」
「人間の体とは似て非なるものだから、いろいろと調整が必要なんだよ」
「……」
「君って、あまり深追いしてこないね」
前にある灯篭を見つめて、沈黙していたら、頼光はそう言ってきた。
「バカだからそれ以上詳しく聞いても理解できないのを、分かっているからだよ」
「でも、君は話の向こう側に踏み入れないように気をつけているようにも見えるのだけれど……」
「本当にお前は俺の心を読むよな……」
「山勘だよ」
それにしては当たりすぎている気がする。
「じゃあ、深追いさせてらおう。俺は一つ気になったことがあるんだ。」
頼光は「何?」と微笑んで聞く。
「彼女の言った『覚悟の上』っていうのはどういう意味だ」
「それは、彼女が今までの自分を受け入れたってことだよ」
頼光が語り始めた。
▷▷▷▷
彼女は中学のときまでいじめられていたんだ。
原因は彼女の暗い性格。
今と違って、昔はクラスの端っこで本を読んでいた女の子だったらしい。
それがいわゆる「イケてる」グループにとって、ストレス発散のための道具として、丁度良かったんだろう。
いじめの内容については、彼女のことも考えて話さないけど、それはそれは酷いものだったんだ。
そして、彼女は不登校になった。学校に行くことを止めたんだよ。
そのとき彼女は考えた。自分が何故いじめられているのかを。
彼女の出した結論は「暗い性格と醜い容姿」だった。
だから、高校に入学すると、化粧で顔を誤魔化して、無理矢理明るいキャラを作った。
まあ、結局、それのせいでまた皆に嫌われることになるんだけどね。
短所を改善したはずなのに、上向きにならない学園生活が嫌になった彼女は、学校を休みがちになった。
そのとき母親に、「どうして学校にいかないの?」と聞かれたらしい。
「いじめにでもあってるの?」、「何か嫌なことあったの?」、「授業がついて行けないの?」
必要以上に質問攻めしてくる母親に彼女はこう言ったそうだよ。
「あんたのせいだ! あんたがあたしをこんな風に産んだから、育てたからこうなったんだ! 死んじゃえ! あんたなんか死んじゃえ!」
思春期の女子としては当然の反応だと思う。
親に向かってそういう態度を取るのは健全だと思う。
彼女が悪いわけではないと僕は思う。
でも、彼女は運が悪かった。
次の日、目が覚めて、自室から一階に降りると、彼女の母親は倒れていた。
急な心臓発作で亡くなっちゃたんだよ。
そのとき彼女は恨んだ。
他の誰でもなく、自分自身を深く恨んだ。
だから、願ったんだ。
自身の存在を抹消することを。
そして彼女の存在は消えてしまった。
▷▷▷▷
頼光はまだ話を続けた。
「彼女の代替品を作る際に、彼女はこう注文した。
『元の体を再現してください』ってね。
『母親から貰った体はなくなっちゃったけど、せめて見た目だけはそうしてください』って言ったんだ。
母親がくれた体、性格でこれからも生きていきたい。
それで他人に嫌われても構わないって。
それが彼女の『覚悟』だよ」
「…………」
声が出なかった。
いや、出す言葉が見つからなかった。
何も悩まずに、何も苦労もせずに生きていると思ってた彼女に、そんなことがあったなんて、想像すらできなかった。
「あの娘のこと分かった?」
「……あいつにそんな過去があっただなんて、知らなかった。
俺と違って能天気に生きてるのだと思った」
「それが当たり前だよ。
人は誰しも自分が一番苦労していると思ってる。
誰よりも頑張って、誰よりも忙しくて、誰よりも不幸だと思い込んでしまう。
それは違うかもしれないし、違くないのかもしれない。
たしかに比べて見たら、君より彼女の方が辛いと思う人が多いだろう。
でも、君だって、口から血が出そうなほど辛いはずだ。
苦労や苦悩を他人と比べて、自分の不幸自慢をするのは実に愚かだ。
だって、知らないだけで身の回りの人も苦悩しているかもしれないんだから」
不幸自慢か……。頼光の言う通り、俺はずっと自分が一番辛い人生を歩んでいると思っていた。
でも、俺よりも辛い人生を歩んでいるやつが近くにいた。
しかも、そいつはそんなことを感じさせないくらい明るく毎日を生きている。
それを考えると、俺がいつも悲劇のヒーローぶった考えを頭の中で巡らせていたことが、恥ずかしくなってきた。
母親か……。
俺は家を出た日のことを思い出す。
母親は玄関から出て行く俺に「気をつけてね」と言ってきた。
それを俺は「うるせぇ」とあしらった。
後悔が今になって降り積もる。
「俺の母親にさ、俺って見えるのかな?」
「見えないと思う」
「俺を覚えてるかな?」
「エリちゃんの場合は覚えてもらえなかった。
彼女のお父さんはすっかり彼女のことを忘れてたよ。
親のようにずっと想い続けてくれた人ほど、想った人の記憶も消えてしまうのかもしれない……」
「そうか……。実はさあ……」
俺は自分と母親のことを語った。
母親に「どうせ、俺のことを産んでないくせに!」と言ってしまったこと。
母親と最後まで仲直りできなかったこと。
そして、母親に謝罪したいこと。
「……だから、俺の体を作ってくれないか?」
「今は材料を切らしている。一か月くらいかかるし、見える体を手に入れたからといって、君の母親が君を思い出すことはない」
「そうか……。なるべく早く会いたいんだ……。何か策は……」
二人で考えに耽っていると、襖が開く音が聞こえた。
「あー、もう聞いてられない。だから、あたしは陰湿なオタクが嫌いなのよ」
振り向くとそこにはノッペラ……、失礼、エリの姿があった。
いつからそこにいたんだよ……。
てか、お前、メンテナンス中じゃないのか?
彼女は腰に手を当てて言った。
「あたしにいい考えがあるの」
「いや、盗み聞きした人の話を聞くなんて……」
「あたしのプライベートを知ったんだから、少しはあたしの言うことを聞きなさい」
歯ぎしりしながら言われたので、俺は「すみません」と謝ってしまった……。
どちらかというと、言った頼光が悪いのに、そっちに何も言わないなんて不公平だ。
「で、その考えっていうのは?」
「それはね……」




