第二話 醜悪⑩
「こ、こんにちは……」
俺に向かって彼女が挨拶してくる。
だが、俺は気づいていた。彼女の視線が俺に向かってないことに。
「彼女は俺が見えないのか?」
「そうだ。見えない。
君が見えるのは、僕と上木原さんくらいだ」
「な、なんで……? その違いはなんなんだ?」
「興味があるかないかだよ」
他人の興味があるかないかが、なんで俺の存在の有無に関わるんだ?
また俺の考えを読んだのだろう。
頼光が語り続ける。
「君は、存在を消してるわけではない。
自分に向けられた興味の視線を逸らしているんだ。
だから、皆は君のことは見えない。
そもそも興味がなかったら、見えてはいるけど、見ようとしてないからね。
僕と上木原さんは、人に興味ないからね。
だから、君が見えるんだよ」
それはそれで傷つく言葉だな……。
しかも、興味がないおかげで、俺が見えているんだから、どうも納得できない。
ん? 待てよ。彼女は俺のこと見えなかったよな。
「じゃあ、彼女は俺に興味が……」
「それは本人に聞いてごらん」
「聞くって……今の俺じゃあ声も……」
「あー、気づいてないのか。
君は声までは奪われてないよ。
あのマスクは人の声の周波を変えて、聞こえづらくしてるものだから。
つまり、あれは本当に声を消すマスクだよ」
服は偽物でマスクは本物……。
なんてややこしい……。
「じゃあ、彼女はこの会話が聞こえてるのか?」
「そうだよ」
もうどんなことが起きても、これまで起きたことよりも微々たるものだから、緊張しない自信があったのに、また手汗が溢れてきた。
この類の緊張は、生まれてこの方モテたことのない俺にとって、初めてだ。
「あの……君って俺のこと……」
聞き下手ながら質問する。
すると、彼女は顔を俯かせて、こう言った。
「はい。大っ嫌いです」
なんだよ! さっきの緊張返せ!
俺は腹立たしくて、さらにこいつのことが嫌いになった。
大声でもう一度どれぐらい嫌いなのか、叫んでやりたい!
でも、声が聞こえているからビビッて言えないのが、俺なのだった。
あからさまに不機嫌になっていると、頼光が口を動かした。
「興味というのは『好き』だけじゃない。『嫌い』もそうなんだ。
『好き』と『嫌い』は表裏一体。
『嫌い』だけをなくそうとすることはできないんだよ」
「俺以外の誰でもそれを願ってるはずだろ。誰も嫌われることを願わないわけがない」
「『好き』と『嫌い』が表裏一体であることも知らずに、そう願った君が悪い。
無知である君が悪い。
君は被害者であり、その加害者でもある。
このことを何と言うか知ってる?」
「何て言うんだ?」
「『自業自得』だよ。
高望みしたからこんなことになったんだ」
口調は優しいのに、その言葉は鋭く胸に刺さった。
自業自得と言われればそうかもしれない。
自分で願って叶えてもらっておいて文句を言うは、どこかお門違いな気がする。
俺は彼女のことをもう一度見る。
あれ? 彼女には体があるじゃないか。
俺はしっかりとその姿を見ることができる。
「俺が彼女の姿を見ることができるのは、俺が彼女に興味がないからということか」
「いや、それは違う」
頼光は一度も口をつけていない湯飲みに口をつけた。
「彼女の場合は君よりも症状がひどい。
彼女は自分という存在そのものの抹消を願った。
だから、興味の有無は関係ない。
僕や上木原さんでさえ、彼女の本体は見えないよ」
「本体?」
「これは代替品だよ。
本体はこの部屋の一室に眠らせてある。
ホムンクルスに彼女の魂を移植させたんだ」
ダメだ……。話が吹っ飛びすぎてついてこれない。
「つまり、今いる彼女は、中身が本物で、体は偽物ってことか?」
「そういうこと。おや? 魂の移植のことは聞かないのかい?
彼女にこの治療に関して告げたときに、一番食いつかれたところなんだけど」
「難しい話は聞かない主義なんで」
「頭が悪いんだね」
そうはっきり言われると、余計に腹が立つ。
「君は僕が懸命に作った代替品の一つを壊したんだ。
これでチャラってことでいいかい?」
うぐッ……。それを言われると何も言い返せない……。
そうだ。俺は彼女に嫌われることをしたし、命を奪おうとした。
そんな俺を彼女が好きになるはずなんてないのだ。
俺は(見えないだろうが)彼女に体を向けて、床に膝をついた。
高質な絨毯が俺の体重でへこむ。
そして、手のひらも床につけて、頭を下げた。
「すみませんでした……」
これは心からの反省だ。
声だけで何も分からないだろう。
姿形を見ても、この懺悔の重さは伝わらないだろう。
そもそも心の中のことなんて人に伝わることはないだろう。
でも、見えなくて、形がなくても、俺は彼女に精一杯の反省を表したい。
「今、彼は土下座して君に謝っている。さて、君はこの男子をどう裁く?」
風鈴がなびく音が部屋に鳴り響く。
夏の気候もあいまってか、体が熱く感じる。
俺は「コホン」という女性の声が聞こえて、委縮する。
「許します。こんなことは覚悟の上なので……」
俺は「ありがとう」と連呼して、さらに何度も深く頭を下げた。
涙を流し、声を震わせて連呼した。
その零れた雫がカーペットを濡らす。
それが自分という存在がたしかにあることを俺に再認識させた。




