第二話 醜悪⑦
なんで? なんで? なんでッ!?
この服を着ていれば誰からも見えないはずだ!
俺を誰も視認することはできない……。
なのに……。
「どうしたの? 声も上げられないの? いや、声も失ったのか……」
なんでそんなことまで……。
俺は走り始めた。逃げようと思うよりも先に体が動いていた。
なるべく頼光から遠くへ遠くへ。
だがここは建物の中だ。行き止まりがあり、必ず足が止まってしまう。
だから、外に出なくてはいけない。
何人かとすれ違ったが、廊下を駆け抜ける俺を止めるやつはいなかった。
見えないのだから当たり前だ。
見えないのが当たり前だ。
恐怖の訳を考えていたら、目の前に壁があった。
だが、その手前を曲がると階段があり、そこを降りて正面には昇降口がある。
そこから出れば安全だ。
そう、ここを曲がれば……。
「おう」
男子学生が一人、階段から現れる。
片手をあげて軽い挨拶をした。
俺に向けて……。
頼光が……!
「うぁ……ッ」
今にも嘔吐しそうな声が口から出る。
運動不足なのに長い廊下を全力疾走したから、まともに息ができてなかった。
肺が胸骨を圧迫してる。このまま胸骨に肺が切り裂かれたら楽になれるのに。
俺は尻餅をついた。
逃げる気が失せた。逃げる体力がなくなった。逃げるられないと悟った。
もうダメだ。
俺は人殺ししたことがバレて、少年院行き。
そして、世間から冷ややかな目で見られ、両親からは見捨てられ、この世界は全員俺の敵に。
いや、待てよ。それってこれまでの人生と何が変わっているんだ?
フフッ、フハハハハハッ!
何も変わらないじゃないか!?
何を悲観する必要がある?
俺はずっとそうして生きてきたじゃないか?
そうやって生きてきた、そうなっても仕方のないくらいの屑じゃないか!
屑! ゴミ! カス!
そう……もう俺に希望なんてないんだ。
「頼光くん? 何してるの?」
俺の後ろから美声が聞こえた。耳に心地よいそよ風のような声。
俺は振り向く。
そこにいたのは井伊先生だ……。
そうだ。先生に助けてもらおう。
「先生、助けて!」
残りの息すべてを使って叫ぶ。
だが、先生は反応してくれない。
冷静に考えてみればそうだ。聞こえなくしているのだから。
俺はマスクを外し、青いTシャツを脱いだ。
ノースリーブ姿になって、先生に「助けて!」と叫んだ。
先生の姿が俺のすぐ目の前にある。
だが、先生はまだ俺の存在に気づかない。
それどころか、俺の体をすり抜けて頼光のもとへ行った。
…………………………。
もう言葉が出なかった。驚くことも諦めた。
その場で俺は跪いた。
緑色の廊下を見ていた。
いや、それは視覚が捉えていただけで、頭の中にその情報は入っていない。
頭の中が真っ白、目の前が真っ白、そして、自分という存在の認識が朧気になっていた。
先生が下に降りたあと、頼光が俺に近づいて、見下ろしながら、こう言った。
「存在を透明にしようだなんていう風に高望みしたからそうなったんだよ」