第二話 醜悪④
「ただいま」
玄関に置いたゴミ袋に向かって挨拶する。
異臭だらけの裏道で帰宅したせいか、散らかった台所からいい匂いが感じた。
所詮、錯覚なのだが。
あれから、珍しく下を向きながら、歩いた。
「あのフレーズ」が気になってしまって、今日の晩飯を買っていない。
今晩はコンビニ弁当にしようか……。いや、めんどくさいから飯抜きでもいいかな。
そうやって思考をずらそうとしても、後で「あれ」のことを考えてしまう。
初恋のときでも、ここまで頭にこびりついたことはなかった。
寄生虫が目から侵入して、俺の脳に寄生する。そして、俺に「サイトを開け。サイトを開け……」と指示している。
例えるなら、そんな感覚。
靴を脱いで、玄関からすぐ目の前にある扉を開く。
そこが自室で、床には漫画とゲームと脱ぎっぱなしの衣服が散在している。
見えない足場を探しながら、なんとかベッドの上にたどり着くと、うつ伏せで横たわり、枕に顔を埋めた。
このまま眠りにつけばいいのに。
心臓の音がうるさくて眠れやしない。
この騒音を消すためと言い訳して、もう一度デバイスを表示させる。
そこには、閉じたときと変わらずに「あなたのコンプレックス治しませんか?」と書かれていた。
聞いたことのないサイトだ。
この広告をクリックしたら、そのサイトにすぐ飛べる。
しかし、このサイトは安全なのだろうか?
一番心配なのはそこだ。
違法サイトに引っかかり多額のお金を請求されたやつを、俺はたくさん知っている。
子どもだから騙されやすく、実際に支払ってしまったやつもいるらしい。
学校で何度も詐欺対策の講義を聞かされたが、それも被害減少に貢献してはいない。
俺はそこだけはしっかりしていたから、被害は今のところない。
対策は簡単。「甘い売り文句を書いてある宣伝には見向きしない」ということだ。
だから、今回もいつものように無視すればいい……のに。
「どうして無視できないんだよ……!」
頭の中で、このサイトを開く真っ当な理由を探している。
この通販サイトは大企業が運営していてるから、そこにある宣伝も安全じゃないか?
背景が黒だから危険だと錯覚しているんじゃないか?
まず、フレーズが曖昧でそこまで俯瞰的に魅力じゃないから、大丈夫じゃないか?
言い訳が山のように積み重なり、その重さに頭が悲鳴を上げる。
もう、開いていいんじゃないか?
諦め半分にそう考えてしまった。
所詮、請求されるのは、俺じゃない。親だ。
儒教信者じゃない俺は、親という価値を軽く見ている。
そのことを屑だと罵られるなら、そいつは、親という概念に縛られている可哀そうなやつだともみなしている。
ここで失敗しても、俺に害はないじゃないか。
そう気づいた瞬間、俺の人差し指は空中に浮かぶそれをクリックしていた。
これでもう後戻りはできない。
開かれたサイトも背景が黒くそこには見たことないものが数多くあった。
目が小さいことを悩んでいる人のために目が大きく見える眼鏡とか、身長が低い人のための身長が大きく見える服とか。
すべて胡散臭くて、こんなもの買うのかと消費者の神経を疑った。
でも、商品欄には、商品の写真と値段、商品名、そして購入者数が記載されていて、購入者数にはすべて三桁以上の数字が書かれていた。
なるほど売れてはいるらしいが、どうも信用ならない。
怪しいと思いつつも、危ないにおいを感じつつも、使えそうな商品がないかと探してしまう。
すると、スワイプしていた俺の指が止まった。
見つけてしまったのだ。
今、俺が最も欲しているものが。
その写真に写っているのは、ただの長袖のTシャツだった。
色は群青色で、焦点が吸い込まれそうになる。
ただ俺が惹かれたのは、色でも材質でもなかった。
商品名にはこんなことが書かれていたのだ。「透明人間になれるTシャツ」と。