第零話 序章
「お願い、私を殺して」
危害を加えている私が言うのもおかしな台詞だ。
目の前の男の子は必死に紅く染まった脇腹を押さえる。吹雪が彼の涙と鼻水を隠すが、痛みに悶えている顔を隠すことはできなかったようだ。
誰よりも守りたかった、誰よりも愛した、誰よりも理解してくれた男の子……。
その子を私は殺めようとしている。彼の血を肉を骨を私は欲している。
でも、殺したくない。生きていて欲しいと願う。
そんな欲望と願望が矛盾している私を止める唯一の手段。そう、私の死である。
彼なら私を地獄に叩き落とすことができる。彼にならそうされても構わない。
それが私のたった一つの希望だ。
木々が生い茂る山の奥深く、そこで誰かが死んでも人々が気づくことはできない。
気づくとしても、多大な時間がかかるであろう。そのうちに熊に食われてしまうかもしれないし、微生物に分解され土になってしまうかもしれない。
でも、美味しくなくて、吐き出しちゃうかも。それらが食べられない部分だけ残っちゃうかも。
もう、それでもいいや。
「嫌だ……!」
長い待ち時間の上、彼から導かれた答えは、拒否であった。
雨で冷えた体を震わせながら、下唇を噛んで、私を見つめる。
そして、叫んだ。
「僕が……僕がお姉ちゃんを連れ戻す!」
嬉しい。感極まるとは、このことを言うのね。
まだ私を家族だと思ってくれてるのね。
内気で人見知りでいつも小声で話していた子が、本心を叫んでぶつけてくれた。
成長したのね……。
あなたの成功と、あなたの私への愛情。
その二つを実感できてもう十分……。
愉悦と安堵で私も体を震わせる。
それが聞けて良かった。
これで悔いなく、逝ける。
私は右手で手刀を作り、自分の顔に向けた。
好きな人を傷つけることほど、辛いものはない。辛酸をなめたほうがマシだ。
それを今一番分かっている私が、彼に頼むのはお門違いも甚だしいところだ。
自分の始末くらい、自分でつける。
不思議と、笑みがこぼれた。
狂気に満ちて頭がおかしくなったのか、喜びが未だに余韻があるのか、それとも両方か、私は分からない。
いや、分かる必要などない。今から、私の脳は、私の体は機能しなくなるのだから。
さあ、別れの言葉といこうか。
「あなたが私を殺してくれないなら、私が……」
そう言って、私は最後に見る彼の姿を目に焼きつけた。