破棄される婚約(後)
迷いの森とは、学院の東端にある精霊の棲む森だ。精霊が侵入者の感覚を狂わせ、いつの間にか入り口に戻ってしまう。最奥から帰還した者は、この森に精霊が棲みついて以来、一人しか存在しないらしい。
フロレンツィアが求める花は、この人物が恋人のために持ち帰ったとされる花。故に、『迷いの森の最奥の花』とは、『命がけの愛』的な意味もあるのだが。まあ、フロレンツィアが俺にそれを望むはずはないので、言葉通りの意味しかないだろう。
というわけで、俺は現在、例の森の入り口に立っている。
もちろん、準備は万端。バックパックには食料をはじめとした、探検必需品を一週間分、と水。腰には念のため、親のコネと財産の力で手にいれた、ちょっと良い精霊剣を佩く。そして、手には丈夫で薄い板に乗せた、丈夫な紙、コンパス、ペン、印用の紐を持っている。
俺は入口近くの木に紐を巻き付け、紙に書き付けると、森の中へ一歩踏み出した。
「あー、うん、なるほどね?」
一時間ほど歩いただろうか、俺は見事に入り口に戻っていた。目の前には遠目に、学院の校舎が見える。手近な木には、自分で付けた印の紐も見える。
もちろん、俺は真っ直ぐ奥に進んだつもりだし、コンパスをしっかり確認しながら書いた地図もそうなっている。
つまりは。
「真っ当な探索じゃあ、奥には行けないと」
ならばと、俺は地図とコンパスとペンと、それから紐を、最初の木の根本に置く。役に立たないようなので。
そして、森の奥を睨み付ける。
「絶対に、退くものかよ」
ここからが、本気の探索だ。
とりあえず俺は、地図もコンパスも捨てて、印をつけることもやめて、なにも考えずに真っ直ぐ森に突っ込んだ。
その瞬間、なんというか、森の表情が変わった。
周囲には霧が立ち込め始め、さっきまでなかった何かの存在の息づかいを感じるようになった。歩き続けるうちに、どのくらい歩いたのか、どこに向かっているのか分からなくなる。どうやら、正解のようだ。
後ろだけは振り返らない。後ろを見た瞬間、学院の校舎なんて見えてしまったら、心が折れてしまいそう。
保存食の干し肉をかじりながら、少しずつ水を飲みながら、ひたすら前へ。
時おり、犬のような影をした何かが、前方から襲いかかってくる。俺は、それを剣で受けて弾き飛ばす。剣を振るのは少しだけ得意だ。
何回も剣で弾くと、いつの間にか消えていなくなる。後ろに流れていったやつは、そのままいなくなった。
疲れがたまって動けなくなったら、木の根本で少し横になって眠る。動かないでいる間は、犬のような影をした何かは現れなかった。起きたら、水と干し肉と固いパンを食べてまた歩き出す。
水がなくなってきた。水の流れる音を探し、小川を見つけ、そこで水を汲む。そして前へ、小川の上流に向かって歩くことにする。
しばらくすると、また犬のような影をした何かがやって来る。
そんなことを何回繰り返しただろうか。森に入って何日経ったんだろうか。
日も昇らず、沈まない。時間がどんどん分からなくなる。
段々と俺がぼろぼろになっていく。犬のような影をした何かの攻撃が、何回かかすって腕や足に切り傷ができた。木の根に引っ掛かって転んだ。歩き続け、剣を振り続け、体力も尽きかけている。水は補給できるが、保存食は尽きた。終わりの見えない探索。でも、当然のごとく、諦めるなんて考えは、うかんでこなかった。
だって、フロレンツィアが、受け取ってくれると言った。だから、俺は手に入れたい。
その思いだけで、どれだけでも前に進める。
そうやって、物理的に動かなくなりそうな体をなんとか動かして前に進んで、唐突に開けた場所に出た。
小さな泉から、細い川が幾筋も広がる。その隙間を縫って、色とりどりの草花が咲き誇っている。先ほどまで視界を覆っていた霧は消え去り、代わりに小さな光球がいくつも漂っている。
「……着いた、のか……?」
俺の呟きに答えるものが、あった。花畑の一角が輝き始めた。
見ると、小さな白い釣り鐘の花をたくさん吊るした草が、一本だけ生えていた。
「ああ、見つけた……」
俺の記憶の中のフロレンツィアの好きな花だった。俺は、その花に手を伸ばし。
不穏な影を感じ、後ろに飛び退く。
「この花が欲しいか。欲深き人間」
そこに立っていたのは、巨大な青白い狼だった。高さだけでも、俺の二倍はあるだろう。間違いなく、この森の精霊、その頂点だ。
その巨体は完全に花を隠すように陣取る。きっとこの精霊の許可なく、花を持ち帰ることはできない。
「ああ、欲しい。何と引き換えにしても!」
俺がそう答えると、精霊は口の端を歪めた。
「ならば、望み通り死ね!」
その瞬間、咄嗟に右に転がり剣を抜く。さっきまで俺がいた場所に、精霊の右前足があった。
右手に持った剣を横にして前面上方に掲げ、左手を添える。直後に衝撃。今度は精霊の左前足だ。
その左前足が斜め横から叩きつけるように振るわれる。かわせない。止められない。
「あぐっ!」
左に吹き飛ばされる。右腕に激痛が走る。折れたかな。かろうじて離さなかった剣を左手に持ちかえ、それを支えに何とか立ち上がる。
追撃は、来ない。
「ほう、立ち上がるか、人間」
「言ったじゃないか。何と引き換えにしても、手に入れるって!」
左手でぎこちなく剣を構え、再び精霊と対峙する。
「例えそれが、俺の命だったとしても!」
俺はフロレンツィアに、絶対に花を渡す。死んでも、何とかして渡す。
精霊に向かって、駆け出す。
唸り声と共に右前足が振るわれる。それを前に飛び込むことで、無理矢理かわす。爪が背中にかする。
まともに動かない右腕で強引に態勢を戻す。嫌な痛みと音と感触。全部無視して、左手の剣で精霊を横凪ぎに斬りつけた。
「ふむ、見事だ」
荒い息を吐き、精霊を見上げることしかできない俺を尻目に、精霊はそのまま数歩後ろに下がる。
さっきまで精霊のいた場所には、最初に見た花が、最初に見たまま、風に揺られながら咲いている。
「貴様の意志、しかと見た。持っていくが良い」
精霊からは、もう敵意は感じない。
「なら、遠慮なく、頂く」
剣をしまい、花の下へ近づく。膝をつき、手を伸ばし、そっと白い花を手折る。
バックパックから、ハンカチと水筒を出して、手にいれた花を丁寧に包み、バックパックにしまう。
立ち上がって、精霊を見上げる。
「あの、ありがとうございました」
「用が済んだならさっさと帰るが良いぞ。ここは人間の領域ではないからな」
そういうと、精霊は鼻で俺の背後を指す。
つられて後ろを見ると、遠目に学院の校舎が見えた。手近な木には、少し色褪せた紐がくくりつけてある。
霧はすでになく、背後の森はなんの変哲もない森に戻っていた。
△ ▲
というわけで、なんとかフロレンツィアの望みの品を手に入れられた訳だが、正直満身創痍である。多分、右腕折れてるし。それに、あちこち傷だらけな上、森の中を転がり回ったから、大分汚れてる。あと、お腹すいた。
すれ違う人がみんな、ぎょっとして二度見してくる。
とにかくまず、寮の自室に戻る。それから、今日の日付を確認する必要がある。
の、つもりだったんだけど。
「聞きまして? フロレンツィア様のサロンで行われているお誕生日パーティ」
部屋に帰る途中、前方にいた女の子の会話だ。
「ええ。ハルトムート殿下が招待されてないのでしたっけ?」
「そうなのですけどね。先ほど、殿下がゾフィさんとその取り巻きを連れられて、フロレンツィア様のサロンに向かわれるのを見ましたの」
「まあ!」
まあ! なんだか最上級に嫌な予感ですわ。なんていってる場合じゃない!
フロレンツィアのサロン、なら場所は分かっている。なるべく、急いで行かないと。きれいにしてる時間なんてない。
△ ▲
「フロレンツィア、お前との婚約を破棄させてもらう」
フロレンツィアのサロンの扉を開け、最初聞こえたのが、我が従兄、ハルトムートのこんな言葉だ。
というか、婚約破棄? 俺が、森に行っている間に何があったって言うの……。
ハルトムートの横には、どこの馬の骨とも知れないゾフィさん。後ろには何人かのゾフィを取り巻く男性諸君。なんか増えてる。
今、サロンには結構な学生が集まって、遠巻きにハルトムート達を好奇の眼差しで見ている。あと、突然扉を開けた、やばい見た目の俺を見て、ぎょっとしているのもいる。ごめんね、汚れてて。
いや、そんなことよりも、俺はハルトムートの手前に、後ろ姿の彼女を見つける。
「フロレンツィア!」
咄嗟に名前を呼ぶ。
彼女が振り向く。その顔色は大分青い。大勢の人に囲まれて、婚約破棄なんて突きつけられて。何でもっと早く来なかったの、俺。
「あ、ああ、コル、ネ、貴方! 貴方!」
多分俺を、呼びながらフロレンツィアが、駆け寄ってくる。ん?
「そんなにぼろぼろになって! 今までどこにいたのです!? わたくしが、どれだけ探したと思っているのです!?」
え、ええ?
「えっと、あの、なんか婚約破棄とか聞こえ、いっ」
ああ! 右腕は掴まないでください! 折れてます!
「そんなことは、どうでもいいですわ!」
よくないよ!?
「こんなに傷だらけになって! まさか、腕が折れてますの? いったい何をやっているのです、コル、貴方!」
フロレンツィアが、俺の無事だった方の腕を掴み歩き出そうとする。
「え、う? ふ、フロ……」
「どこへ行くつもりだ、フロレンツィア!」
話の途中だったはずのハルトムートが割り込む。この人ちょっと怒ってますよ!
「この馬鹿を、医務室に連れていくのです! 早急に! 邪魔しないでくださいませ!」
ハルトムートの方へ少しだけ振り返った、フロレンツィア。剣幕がちょっとすごい。こわい。
「さあ! 行きますわよ! コルネリウスッ!」
「は、はい! 仰せの通りに!」
こうして俺は、フロレンツィアに医務室へ連行された。
△ ▲
俺が医務室に連行されると、まず学院付きの医師の悲鳴で出迎えられた。
その後、即座に備え付けの浴室できれいにされ、医務室の備品、ひどい怪我人用の清潔な服を着せられ、それから切り傷、骨折を処置された。ついでに治癒力を高める、あんまりおいしくない魔法薬を飲まされる。
俺が治療されている間、フロレンツィアは医務室の隣の、待合室にいてくれたようだ。処置が終わると、割りとすぐに医務室まで様子を見に来てくれた。
「怪我は、ひどいのですか?」
不安げな表情でフロレンツィアが聞いてくる。
心配、してくれてるんだろうなあ。心配させて申し訳ない気持ち、以上に、俺なんかを心配してくれる嬉しさがある。
「右腕以外は大したことないそうですよ。右腕も、三日ほどで動かしてよくなるみたいです」
あとは、疲労と栄養の偏りぐらいである。
「ねえ、コルネリウス。今まで、一週間、どこで何をしていましたの?」
フロレンツィアが真剣な表情で俺を見つめる。
「学院の迷いの森に……」
そう言うと、フロレンツィアは顔を歪め、泣きそうな表情になる。う、ええ、どうすれば……。
「わたくし、の、せいで……、わたくしが……」
「あ、の、フロレンツィア嬢、ちょっと待っててください」
急いで、森に持っていったバックパックを探す。あった、隅っこに置いてある。
俺はバックパックのところに向かい、中の水筒から花を取り出し、戻る。ハンカチに包んであるだけで、ちゃんと包装できていないけど。
フロレンツィアの横にひざまずいて、左手で彼女に花を差し出す。右腕が吊られてて、様にならないけど。
「えっと、お誕生日おめでとうございます、フロレンツィア嬢。貴女に、プレゼントを受け取ってもらいたくて、ちょっと頑張って採ってきちゃいました。受け取って、もらえますか?」
おそるおそる、彼女を見上げる。
手で口もとを覆ってしまっているけど、心なしか目が潤み、顔も赤いような気がする。
う、かわいい。喜んでくれていると思ってもいいのかな? いいかな!?
なんて考えてたら。
結構な早さで、そっと、なんて複雑な動作で花を奪い取られて。
「ばーか、ばーか! コルネリウスのばーか!」
包みもきちんとしてない、たった一輪の花を、両手で壊れ物のように持ちながら俺を罵るフロレンツィアを、俺はこの先、一生忘れることはないと思う。
お読みいただきありがとうございました。
反響があれば、続くかもです。




