破棄される婚約(中)
次の日、講義が終わるや否や、フロレンツィアは荷物を片付け、素早く教室から出ていってしまった。俺も素早く片付け、見失わないうちに、こっそり追跡する。本人から止められるまでは、絶対に、やめるつもりはない。
どうやら今日は、目的地があるようで迷いなく歩いている。時折、警戒するようにあちこちを見回している。
なんだか、とても嫌な予感が……。
なにかを警戒するフロレンツィアと必死に見つからないように追跡する俺がたどり着いたのは池だった。
まばらに立つ木々と、その中心に広がる半径五メートルほどの円形の池だ。
フロレンツィアは、池の前に立ち、しきりに周囲を見回して、なにか探しているのか? 俺は木の影に隠れている。見つかったらどうしよう……。
しばらくして、索敵を終えたフロレンツィアは、鞄から何かを取り出した。丁寧にハンカチに包まれていたそれは、小さな髪飾りだった。
見覚えのある髪飾り。白い小さな花の細工が散りばめてあるそれは、フロレンツィアがハルトムートから最初にもらった誕生日プレゼントだ。
当時のフロレンツィアは、嬉しそうに毎日着けていた。でも、三ヶ月と経たないうちに着けるのをやめてしまったが。
それでも間違いなく、フロレンツィアにとって大切な宝物。
フロレンツィアはその宝物を、右手に握り、思いきり振りかぶって、って! なにをするつもりなんだ!?
気がつくと、走り出していた。
フロレンツィアが、池に向かって髪飾りを投げる。
池の端から思いっきり飛び出す。白い髪飾りに向けて手を伸ばす。捕まえた!
視線を感じて、振り返る。フロレンツィアと、目があった。フロレンツィアが、なんだか冷たい目で見ている気がする。
直後、俺はそのまま池に落ちた。
池はそんなに深くはなかった。腰よりちょっと下ぐらいまで浸かる深さだ。
とりあえず、落下地点からフロレンツィアの足元まで移動する。そのままフロレンツィアを見上げる。無表情だ。ううぅ。
「あの、フロレンツィア嬢……」
「コルネリウス」
ひえっ、呼び捨てだ! 怒ってる? 怒ってるのか!?
「居たんですのね。まさか、池に飛び込むとは思いませんでしたが」
「いや、あの、だって、この髪飾り、貴女の宝物じゃないですか」
前半は、聞かなかったことにして、必死で掴みとった髪飾りを差し出す。フロレンツィアはそれを無言で見ている。
しばらく、沈黙の時間が訪れる。俺も、フロレンツィアもなにも言わない。すごく気まずい。
「馬鹿ですわね」
先に沈黙を破ったのはフロレンツィアだ。
自覚があることだけに、ちょっといたたまれない。
「捨てるつもりでしたの」
「え?」
「ハルトムート様への想いごと、捨てるつもりでしたのに。どうしてくれますの、コルネリウス?」
「……すみません、フロレンツィア嬢。次は、邪魔しませんから」
貴女の邪魔にならないよう、二度と、近づきませんから。なんて言葉は言いたくなくて飲み込んだ。
池から出て、半ば無理矢理、フロレンツィアに髪飾りを渡す。表情を見られないように、顔を俯かせ逸らす。
「貴方が邪魔しなくても、二度と捨てられませんわよ。貴方が拾ったりするから……」
それだけ言って、フロレンツィアは立ち去った。
残された俺は、微妙に臭う水を滴らせながら、しばし立ち尽くした。
フロレンツィアに嫌われた。
いや、だから、どうしたって言うんだ。今までの、無関心でいられるよりは、全然良いじゃないか。
ちょっとだけ、遠くから、彼女の視界に入れば、きっと俺を見てくれる。表情変えてくれる。
それで、十分じゃないか。
だから、これで、良かったんだ。
邪魔なんてするつもりでは……。
△ ▲
次の日、人の前でいつも通りにいられる自信がなくて、朝から一人で昨日の池の前に座り込んでいた。
フロレンツィアはハルトムートへの想いを、断ち切るつもりだった。でも、俺は、それを……。
フロレンツィアが髪飾りを捨てるのを、ただ見てれば良かった? できるわけがない。幼い日のフロレンツィアが、あんなに嬉しそうに着けていた物を。
最悪の気分のまま、ぐるぐるとそんなことばかり考えている。出てくるのは、後悔ばかりで、しばらくは前に進めそうにない。
そのまま夕方になった。
ふと、背後に気配を感じて振り向き。
「え、あ、えっと……」
あわわわわ、フロレンツィアが立っている。
そうだよね、昨日は捨てられなかったからね。もう一度来るよね。
「やはりここにいましたわね、コルネリウス」
「すみません、フロレンツィア嬢。すぐに退きますから」
フロレンツィアがどんな表情をしてるか見れなくて、視線をそらしながら立ち上がる。
「退いていただく必要はございませんわ」
フロレンツィアはそう言うと、俺の肩に手をかけ無理矢理座らせる。そして、座った俺の隣にハンカチを広げ、その上に座った。
って、え? え? 俺の隣にフロレンツィアが座っている。なんだろう、夢だろうか?
どうしていいか分からず、とにかく真っ直ぐ前を見る。
「あの髪飾りは、わたくしの元に戻ってきた。だから、捨ててはいけない想いが、あの髪飾りには有ったということですわ」
「え、えっと……?」
突然、言われた言葉がいまいち分からず、思わずフロレンツィアの方を見てしまった。
あ、あぁ。フロレンツィアの白銀の髪。そこに白い花が、飾られている。昨日、捨てようとした髪飾りを、彼女はまた……。
「どうして、その、髪飾り……」
「思い出したのですわ。ここに残っていた、誰かの思い出を。それは、決して捨ててしまって良いものではなかったのです」
そこで、フロレンツィアは言葉を切って、こちらを向く。俺の目を、じっと見つめている。その、真剣な目に、俺は何も言えなくなった。
「貴方には、感謝しておりますのよ? コルネリウス」
彼女が、そんなことを言うもんだから、俺の心がちょっと限界を迎え、フロレンツィアを真っ直ぐ見ていられなくなる。
「こ、光栄です……!」
それでもって、結局それしか言えなかった。
彼女はそれに満足したのか、それとも諦めたのかは分からないけれど。
「まあ、今日はここまでにしておきますわ。またお話ししましょう? では、ごきげんよう」
そう言って、立ち去っていった。
またお話ししましょう、だなんて。また、彼女と話しても良いなんて。
俺は今、どんな表情になっているだろう?
△ ▲
次の日から、その日の講義が終わったあと、あの池の前でフロレンツィアと二人で会うようになった。もちろん、誰にも見られないよう、こっそりと。
今、フロレンツィアを取り巻く状況は複雑だ。
婚約者のフロレンツィアをおいて、他の女性に夢中な王太子、ハルトムート。
その寵愛を当たり前のように受けるどこの馬の骨ともしれない女の子、ゾフィさん。
さらに、そのゾフィさんを影で日向で非難するフロレンツィアの一部の友人達。
こんな状況のなかで、フロレンツィアがさらに婚約者以外の男と二人っきりで会っているなんてなったら……。
まあ、最後のは細心の注意を払っているから、大丈夫、だと思う。
それはさておき、本日も例の池の前、フロレンツィアと隣り合って座っている。因みに、地べたではない。数日前に己の日曜大工技能でベンチを作ってみた。
そこで、俺とフロレンツィアは他愛もない話をする。最近何が流行ってるとか、どこそこの領地の資金回りが怪しいとか、誰それが泥沼で跡目争いがヤバいとかとか。
すごく満ち足りた時間。でも本当は、そんな他愛もない話をしている場合じゃないのだ。俺にはどうしても、フロレンツィアに聞かなければならないことがある。
だと言うのに、もう何日も聞けていない。
……さすがに今日聞かなければ、もう間に合わない。うむ。……うむ、聞くしかない。
「あの、ところで、えっと、ふ、フロレンツィア嬢、き、聞きたいことが、あってですね……」
俺は、もうだめです。
「……突然どうしたんですの?」
うっ。フロレンツィアの冷たい視線が突き刺さる!
「あ、と、聞いても良いですか?」
言葉尻に勢いがなくなっていく。
「別に構いませんわ」
本人から、許可が出た。うむ、聞く。
「えーっとですね。えーっと……」
池の水面をひたすら見つめ、精神の統一をはかるのです。
「早く言いなさいよ」
フロレンツィアの冷たい声と共に、彼女の指が脇腹に突き刺さる! 痛い!
「うくっ、ごめんなさい! ごめんなさい! あの、丁度来週、貴女の誕生日ですよねって、あ、痛い! 痛いです!」
フロレンツィアの指が、なんか柔らかいところに突き刺さって痛い! しかも、ぐりぐりと抉ってくる。なんていうか、何らかの新しい扉が開きそう。
「確かに来週ですけど、まさかこれだけとか言いませんわよね?」
指を二本に増やしつつ、フロレンツィアはじっとりした目で俺のことを見つめてくる。なんか、この微妙に蔑んだ視線にどきどきする。
「あ、う、あの、もちろんそれだけじゃないです」
俺に三本の指をめり込ませる彼女にしっかりと目を合わせる。
「もし、許されるなら、俺、貴女に贈り物がしたいんです。……駄目、ですか?」
見つめた先のフロレンツィアは、ふいっと顔を背け、ちょっと聞き取りづらい小さな声で。
「『迷いの森の最奥に咲く花』、とかだったら、受け取って差し上げても良いわ」
そんなこと言われたら。
「ありがとうございます。全身全霊をかけて用意しますね!」
例え、この命が尽きても、貴女の元へ持っていきます!
次は一時間後ぐらいである。




