破棄される婚約(前)
よろしくお願いします。
「フロレンツィア、お前との婚約を破棄させてもらう」
学院のとあるサロンの扉を開け、最初に飛び込んできた言葉。従兄で幼馴染で王太子のハルトムートのものだ。
ハルトムートの横には、どこの馬の骨とも知れないゾフィという少女、後ろには何人かの男共がゾフィを守るように立っている。
今、サロンには結構な学生が集まって、遠巻きにハルトムート達を好奇の眼差しで見ていた。
俺はハルトムートの手前に、後ろ姿の彼女を見つける。
「フロレンツィア!」
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俺がメルガルト王国立魔法学院の二年生に進級してしばらく、九月の中頃のことだった。
今日の講義が終わった夕方。人がほとんど来ない、学院の旧校舎のさらに向こうの小さなガゼボで、ハルトムートと見たこともない少女が並んで座っているのを見てしまった。笑うことすら滅多にないハルトムートが、少女に自然と笑いかけるのを見て、俺は。
心の奥底に詰め込みに詰め込んだ初恋が、絶対に出てくることのないように幾重に掛けた厳重な鍵が、音をたてて、なんてレベルじゃない轟音をたてて爆散した。
約十年ぶりに表に出てきた初恋は、極限までに圧縮されて、どろどろに熟成されまくって、もう二度と、心の奥底にしまいこむなんて真似できそうになかった。
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今後の方針を決めるためにも、彼女を見に行くことにする。なんて建前をつくってみたが、半分以上は純粋に彼女を見たいっていう理由だったりする。最近は機会がなかったから、余計に。
彼女を見つけるのは簡単だ。彼女はいつも少女達の中心にいる。そして彼女を取り巻く少女達はちょっと声が大きい。
すぐに見つかった。
フロレンツィアとその友人達の集団。そのなかでフロレンツィアは一際輝いている。
夜空のような暗い青の眼、豪奢に巻かれた白銀の髪。大きなつり目の美少女。俺の一つ年下。
そして何より、フロレンツィアはハルトムートの婚約者で、フロレンツィアはハルトムートを愛している。
初めて見た時から、ずっと俺の心を掴んで離さない。
久しぶりにフロレンツィアを遠目に見て、彼女がますます素敵になっていることを知り。
俺はそのまま、彼女に見つからないように学院寮の自室に撤退した。
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我が初恋を止める術を失って二日目になった。
夜の間に方針は決めた。
今までは、ハルトムートの近くにいて、近づいてくるフロレンツィアを、絶対に分からないように見ているだけだった。
ひとまずの目標としては、偶然会ったらちょっと雑談するぐらいまでの仲になることにする。
そのために、フロレンツィアの基本半径五メートルから十メートルの距離から、常にこっそり見守る。あわよくば、偶然を装って挨拶とかする。そんなスタンスで行こうと思う。
そんなわけで今日は、フロレンツィアの後方六メートルぐらいの距離で、フロレンツィアを見守っている。
今日も今日とて、フロレンツィアはたくさんの友人に囲まれている。今日の話題はなかなかショッキングなもののようで、女の子達の声が普段より高い。
「わたくし見てしまいましたの! ハルトムート殿下が、殿下が、よりによって汚ならしい平民の女と歩いていたのを!」
友人の一人が悲鳴のよう声で話す。
「そんな! なんて無礼な女なの! ハルトムート殿下は、フロレンツィア様の婚約者であらせられるのよ!」
「フロレンツィア様……」
友人達は不安そうにフロレンツィアを見ている。
「分かりましたわ」
フロレンツィアだ。不安と怒りとを、無理やり押し込めたような表情と声。
「わたくしが、そのお方とお話いたしますわ。皆さん、どこにいらっしゃるかご存知?」
お話、とはつまり警告だろう。実際、フロレンツィアの『お話』はこれが初めてではない。彼女が昔から、なにかとハルトムートに近づくご令嬢とお話するのは結構有名だ。
もっとも、ハルトムートは彼女のそういうところも疎ましいようで。
結局この日は、お話は行われなかったようだ。
なんと言っても、標的の馬の骨の女の子、名前は思い出せないな、がずっとハルトムートと居たようで。さすがにハルトムートの横でできるようなお話ではないし、一度ハルトムート、とついでに俺、に見つかったときは、ちょっと大変なことになっていたしね。
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次の日、丁度ハルトムートが忙しいとのことで、フロレンツィアと友人達は馬の骨の女の子を、空き教室に呼び出すようだ。
さすがに同じ教室内に入り込むのはできないし、窓に張り付いていたら不審者なので、隣の教室から覗こうと思う。壁に穴を開けて。
学校の損壊に関しては、後で張り紙とかで隠蔽する予定。
錐で丁度いい穴を開け終わったころ、フロレンツィアと友人達に連れられて、馬の骨の女の子が隣の教室にやって来た。馬の骨子さんは、教室の中央、フロレンツィアの前に立たされる。それを囲むように、友人達も立つ。
フロレンツィアが何か話しているが、いまいち聞こえない。後ろ姿しか見えないっていうのもあるが。もうひとつぐらい穴を開けるべきだったか。
馬骨さんは、どうやら気丈にもフロレンツィアに反論しているようだ。そのせいで、周りの友人達がさらにヒートアップしている。
ちょっと不味い感じだ。友人の一人が手を振り上げている。いや、俺はどうこうするつもりはない。今出ていったら、逆にフロレンツィアの立場が悪くなるしね。
とはいえ、俺の従兄殿はそうでもないようで。突然扉が開くと、表情を怒りに歪めたハルトムートが飛び込んでくる。まあ、「なにをやっているんだ、貴様達は!」とでも言っているんだろう。忙しいんじゃなかったのかよ。
馬骨さんは、突然割り込んできたハルトムートに向かって、涙を滲ませながら飛び付く。なんて奴だ。
ハルトムートはフロレンツィアを睨み付ける。婚約者を睨みながら、別の女の子を抱き締める。なんて奴だ。
フロレンツィアは、肩を震わせうつむき、友人達を連れて教室の出口へ歩き出す。ああ、フロレンツィア……。
俺もそろそろ出るべきかな。
俺が教室から出て、廊下を歩き始めると、丁度、本当にタイミングよく、偶然にも目の前の扉が開いた。出てきたのは、なんと、偶然にも、フロレンツィアだ。ちょっと顔色がよくない。
目があった。
「これは、フロレンツィア嬢、奇遇ですね」
なんて、声をかけちゃってみる。警戒されないよう、笑顔だ。
「え、ええ、コルネリウス様。申し訳ございません。今、わたくし急いでおりまして……」
「ええ、大丈夫ですよ。お引き留めしてすみません」
フロレンツィアは顔を伏せぎみにしたまま、些細な会話だけして、友人達と共に足早に去っていった。
俺も特にハルトムートと馬骨さんには興味はないので、そのままこっそりフロレンツィアを見守り、1日を終えた。
フロレンツィアはやっぱり、ハルトムートが乱入したのが堪えたのだろうか。それから、ずっと顔を伏せたままで、友人達に励まされていた。
その痛ましい姿を見るのが、とても辛かった。俺が、ハルトムートの接近に気づけていたなら、なんて考えてしまった。
それでも良いことはあった。フロレンツィアが、俺の名前を、呼んでくれた。
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それから三日間は、特に進展もなかった訳でもないし、事件もなかった訳でもない感じだった。
具体的には、フロレンツィアの友人達と、馬骨さん、二日前に判明したがゾフィというらしい、の衝突が何度かあった。
この小競り合いでは、どうもフロレンツィアは最前線には行かないつもりみたいだ。友人達がゾフィさんとやりあってる後ろで、なにやら俯いて考え事をしたり、はたまたあらぬ方向を見てぼーっとしてたりしてるんだが。大丈夫だろうか?
そして四日目のこと、ゾフィさんと友人達の小競り合いが終わったあと、フロレンツィアがぼーっとしている間に、友人達に置いていかれてしまった。
大丈夫だろうか? ちょっと心配だ。声をかけてもいいだろうか。
「大丈夫ですか? フロレンツィア嬢」
フロレンツィアの前に回り込み、目を合わせて。
「こ、コルネリウス様?!」
びっくりした顔、初めて見たな。
「はい、驚かせてしまってすみません」
「いえ、その、考え事を、していましたの……」
さりげなく目を逸らされた。
「差し出がましいことを言うようですが」
もう一度目を合わせてみる。
「俺でよければ、相談に乗りますよ?」
「申し訳ございません! 大丈夫ですわ!」
再び、さっきより勢いよく目を逸らして、フロレンツィアはそのまま結構な速度で歩き去っていった。
逃げられてしまった。ちょっと早まってしまった感じもする。しばらく直接の接触は避けるべきかな。
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あれ以来、どうもフロレンツィアは一人でいることが多くなったように思う。
相変わらず、フロレンツィアの友人達の方は、ゾフィさんにちょっかいをかけているようだ。そこをフロレンツィアは、ふらふらと抜け出してしまう。
どうも、目的地もなく彷徨っているような歩き方だ。
俺は、ここ連日、彷徨うフロレンツィアを、相変わらず追跡している。
そんなある日の夕方ごろである。フロレンツィアは結構無作為に歩き回るから、この時は人があまり通らない場所に来ていた。
前々からここ最近のフロレンツィアは注意力が散漫になっているとは思っていたんだが。この日、ついにフロレンツィアが段差に躓いてしまった。
普段こっそり見守っている俺だが、咄嗟に転ばないように後ろから抱えるように支えてしまっていた。やってしまった。
とにかく、早急に離れた方がいいだろう。素早くフロレンツィアを立たせ、手を離す。
「大丈夫、のようですね」
こっそり追跡していることがばれてしまうんじゃないかと気が気でない。
「え、あ、こ、コルネリウス様?」
咄嗟に振り向いた彼女は、とても困惑している様子だ。
「ええっと、たまたま通りかかったら転びそうになっている貴女を見かけてしまったものですから、つい……」
焦りから早口になってしまった。しかも聞かれてもないことを……。怪しさ満載である。どうも真っ直ぐ彼女を見れない。くうっ。
「え、あ、いえ、あの、ありがとうございますわ」
首を傾げながらお礼を言ってくれる。疑われている!? ううっ。
「貴女が無事で良かったです。俺はこれで失礼します」
とりあえず、最後に笑顔でそれだけ伝えて、俺は早急に撤退した。笑顔がひきつってなかった自信がない。
怪しまれてしまっただろうか? 常に彼女を追いかけているのを、知られてしまっただろうか?
知られてしまったとして、これからも側で見守ることを、許しては、くれるだろうか?
俺じゃあ隣にいられないから、せめて背景の隅にでもいさせて欲しい、なんて、許されるのだろうか。
……不安だ。
次、1時間後ぐらいです。




