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夕飯を食べている途中で携帯が鳴った。見覚えのない番号に首をひねりながら応答すると、男の低い声がした。
「山下晃司さん?」
「ああ」
「ちょっとお話があるんですがね」
晃司は、とっさにさっきの連中の一人だと直感した。奈緒の母親がリゾートの話を断った、その話の中で晃司の名前が出たのかもしれない。余計なことをするなと脅すつもりかそれとも…。
晃司が黙っていると電話の男は「これからお迎えにあがりますんで」と一方的に言って電話を切った。
晃司は箸を置いて「ちょっと出てくる」と保に告げ、自分の部屋に戻ると奈緒の番号にかけた。
「ああ、こうちゃん。ごめん、まだ仕事中なんだけど…」
「悪い。ちょっと急ぐんだ。あのな。もしも俺がいなくなったりしたら」
「えっ、いなくなるって…それどういうこと?」
「いいから、もし俺がいなくなったりしたら、町の警察署に行って、さっきの名刺の、平和コーポレーションの住所とか、電話番号とかちゃんと調べてもらえ。それでもしそこがちゃんとした会社じゃなかったら、リゾートの話が詐欺だってことが証明できるからな。分かったか?」
「ちょっと、もう少しちゃんと説明して…」
晃司は奈緒の話を最後まで聞かず電話を切った。家を出る時、靴箱にあった、保が魚をさばくのに使っている刃の厚いナイフを、ジャケットの内ポケットに入れた。
家から少し離れたところに止まっているのは、昼間見た白い車ではなく、窓にも黒いフィルムを張った黒の乗用車だった。
晃司とあまり年恰好の違わない若い男が「乗れよ」と晃司の腕をつかんで後部座席に押し込んだ。
車が走り始めると隣に座っている、昼間のチンピラ風の男が口を開いた。
「あんたねえ。証拠もないのに、あることないこと言ってもらっちゃあ困るんだよねぇ。営業妨害なんだよなぁ」
「証拠はあるぜ」
「ほう?」
「俺は東京にダチがいるんだ。あんたたちの名刺の住所に、平和コーポレーションなんて、ご立派な会社はねえよ」
はったりだったが、どうやら図星だったらしく、男は一瞬沈黙した後「おい、どっか適当なとこで止めろ」と若い男に指示した。
車は山道に入って、貯水池の脇で止まった。晃司は車を降りて、二人と向き合った。チンピラが言った。
「これが最後だ。これ以上俺たちの邪魔をしたら、ただじゃあおかねえ。お前だけじゃなく、お前の父親も兄貴も、そうだ、あの奈緒って女も、みんなひどい目に合うことになるぜ。余計なことに首を突っ込まないでおとなしくしてろ」
晃司は答えなかった。返事の代わりに内ポケットからナイフを出して構えた。チンピラが口の端を歪めて薄笑いを浮かべた。
冷たい水の感触で、晃司は意識を取り戻した。殴られた全身の痛みはずいぶん薄れている。息をしようとすると口の中に水が流れ込んだ。今俺は水の中にいる。たぶんこのまま死ぬんだろうなと晃司は思った。
―俺は…龍になりたかったんだ
山奥の湖に住む七色の蛇の話。
「明日は檜になろうと願いながら、檜になれなかったあすなろのように、何百年も龍になりたいと願い続けながらとうとう龍にはなれなかった、その七色の蛇の名前を虹というんだよ」
それは死んだ母親が、幼い頃から何度も晃司にしてくれた昔話だった。(完)
私が敬愛する、SIONというミュージシャンが「Over the Rainbow」を、日本語でカヴァーされた「虹をこえて」という曲のイメージを、お話にしました。
「高く虹を越えたむこう 青い鳥が飛ぶ
俺だって飛びたい 虹をこえて
俺だってあきらめたわけじゃない 虹をこえて」
(SION アルバム「ソングス」より)
ebookersでの投稿作を改稿しています。