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翌日、晃司は保から昨夜の栗ご飯のお礼にと、奈緒の家に掘りたての芋を届けるように命じられた。
――ったく、相変わらず栗とか芋とか、猿みてえな奴らだ
心の中で悪態をつきながら、奈緒の家の前まで来た時だった。車体に横文字が書かれた、見慣れない車が庭先に止まって、三人の黒いスーツ姿の男たちが下りてきた。晃司は何となく嫌な予感がして、自分の顔を見られないように、しゃがんで身を隠した。一見普通のサラリーマンのように見えるが、その中の一人の、肩を揺するような歩き方や目付きに、裏社会の人間特有の、あぶない雰囲気がにじみだしている。
――あいつら、真っ当な連中じゃあねぇな
それは裏の世界を直に見聞きした晃司の勘だった。
――何だってそんな奴らが奈緒の家に来るんだ?
晃司の頭の中がぐるぐる回り始めた。その時、道の向こうに奈緒の自転車が見えた。晃司は自転車をめがけて猛ダッシュした。
「な、なお…」
「どうしたの?こうちゃん、顔が真っ青よ」
「いいから、ちょっとこっち来い」
晃司はそう言いながら奈緒を引きずりおろすように自転車から降ろすと、腕を取って山の中へ入っていった。
「何よ。ねえ、ちょっと…そんなに引っ張ったら痛いって」
「いいから」
晃司は道路から見えない茂みの奥に入る、と奈緒に向き直った。
「今、お前んちの前に白い車が来てたぞ」
「ああ、平和コーポレーションの人たちでしょう」
「平和コーポレーション?」
「こうちゃん、聞いてないの?この村にリゾートを作るって話」
三年後に完成するダムの周囲に、ペンションや別荘、土地の名産品を売るみやげ物屋、手打ち蕎麦など、都会の人間が好みそうな施設や店を作って、ダムを観光の目玉にしたリゾート地にする計画があるのだという。
「あいつらがその話を持ちかけてきたのか?」
奈緒はうなずいた。
「一軒あたり一千万出資して、自分が店のオーナーになってもいいし、誰かに経営を頼んで儲けだけ受け取ってもいいって。出したお金は三年で倍になるって言ってた」
「一千万…」
晃司は絶句した。昨夜、保と兄が話していたのはこのことかと、合点がいった。
「そんな話は嘘っぱちだ。あいつらは、うまい話で人を騙して金を巻き上げる、とんでもなく悪いことする連中だぞ」
「本当?」
「ああ、たぶんこの村の人間に大金が入ったのを、どこからか嗅ぎつけて群がってきたダニだ」
「だって…もうお金払っちゃった人だっているよ」
奈緒の顔が心なしか青ざめている。
「奈緒んちはどうなんだ?」
「うちは上の兄ちゃんがやろうって言ってるけど、下の兄ちゃんと母ちゃんは迷ってるみたい。でも誰か一人でも反対すると、リゾートの計画が全部だめになるって言われて、母ちゃんは自分のせいで、みんなに迷惑かけるんじゃないかってすごく悩んでる」
「大丈夫だ。俺んちも、親父はそんな話に乗るつもりないみたいだから」
そう言いながら晃司ははっとした。
俺は幼い頃から、黙々と農作業に精を出す保の背中に、無言の威圧感を感じて生きてきた。その威圧感をはね返すために、泥にまみれた父親の姿を軽蔑し、保とはまったく違う生き方をして、父親を見返してやろうと思った。しかし、俺の思惑は完全に外れ、再び保の前に屈服せざるを得なくなった。そのことが歯ぎしりしたくなるほど無念だったが、結局それは保の生き方に、一本揺るぎない芯のようなものが通っていたからではないのか。何が正しくて何が正しくないか、保は理屈ではなく肌身で分かっているのだ。その父親の生き様に、俺は負けたのだと晃司は思った。
「とにかく、そんな話に乗っちゃだめだって、おばちゃんとにいちゃんを説得するんだ」
晃司はそう言いながら奈緒の両腕を握って体を揺すった。奈緒はちょっと怯えたような表情で晃司を見つめたが、じきに「分かった」とつぶやいた。