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春呼ぶ少女と災厄の狐  作者: 櫻乃 郷
弐 九重という妖
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弐ノ肆話

「術士到着まであと五日、ね」

 春呼はこの時期にしては暖かい日差しを浴びながら部屋へと戻る道中、先ほど秋鼓に言われた言葉をつぶやいた。歴史に名を残すような大妖怪の再封印にしては遅いのかもしれないけれど、だからこそ準備を入念にしているのかもしれない。

 春呼は毎日のように秋鼓のところへ足を運んでいた。

 話すことはもちろん、九重についてである。

 九重との出会いから八日が経ったけれど、彼が何かをする気配は何もない。夜彦を呼び捨てにするようになって、よく言い返すようになった程度だ。

「危険性はない」と訴えてはいるものの、秋鼓は「騙されてはいけない」の一点張り。九尾についての資料はいくつ読んでも「残虐」「非道」「人を食べることに悦びを覚える」といったことが書かれているばかりで、反論の材料には使えない。

「『執着深い』ともあったけど」

 九尾は自分を傷つけた者は必ず殺すともあった。けれど九重は執着深いどころかさっぱりしたものである。夜彦の代わりにと少し謝ったことがあったけれど、「春呼殿が気にすることないでございまする。それに、夜彦も自分の仕事を全うしているにすぎませぬし」と笑っていたくらいだ。文献とは似ても似つかない。

「それこそ、まるで別人みたいに」

 春呼自身不思議に思うくらいだ。今のは偽の人格で、隙を狙っているのかとも考えたけれど――とてもそうは思えない。

 まとう空気はゆるいけれど、腕に覚えはあるのだろう。夜彦に斬りかかられていたが、困ったように眉毛を八の字にしながらも軽々とよけていたうえ、隙を見て刀を奪っていた。

 妖が持つ本当の力は見せていないにもかかわらず夜彦があっさりとやられるのだから、花ヶ雪でも対抗できる人物は相当限られるにちがいない。……その直後に隙を見せ、夜彦に仕返しされていたけれど。

 近くにいたから情が移ったといわれたら、否定できない。それでも決して、彼が言い伝えられるような悪事を働くとは思えない。

 家の中でも「本当に森の長なのか」という声が聞こえてきたことがあるくらいだ。

「……何も知ろうとしないくせに、なんで封印するなんて判断ができるのかしら」

 母は一度たりとも九重の様子を見に来ない。陽だまりのように温かな彼を、どうして悪人にしてしまうのだろう。

 そう思っても、春呼は秋鼓に勝てない。どうあがいても言いくるめられてしまう。それは何度も交渉に行った末に行き着いた結論だ。

「あれだけ息巻いてたのが嘘みたい」

 じわじわと、けれど確実に。春呼は九重を守りたいと思う一方で、「このまま術士の到着と封印を待つしかないのでは」と感じ始めていた。

「春呼殿、夜彦が!」

 と、九重が涙声になりながら走り寄って来た。

 春呼はにじんだ涙を慌てて拭う。弱気になっているところは見せたくない。

 九重は小走りでやってきたかと思うと、春呼の後ろに隠れるように身を縮める。遠くで夜彦の怒声が聞こえているから、また監視から抜け出したのだろうと容易に想像できる。春呼は呆れたように九重を振り返った。

「また?」

「う、だ、だって、夜彦は怖いのでございまする……」

「まぁ、あなたへの態度を見ている限り、否定はできないけど。でも、逃げてばっかりだとどんどん怖くなっていくわよ?」

「でもですね!」

 反論しようとした九重だが、近づいてきた怒りの声にぴっと身をすくませる。

「もう。あたしにばっか頼って」

 つぶやきは少し乱暴だ。しかし、雑ではない。大人が子供に向けるような、「しょうがないわね」という優しい色がある。

 図体は大人であるものの、態度や反応はやはり幼い。そんな九重を、春呼はどうしても放っておけないのだ。弟ができたらこんな感じなのかなとも思う。

「春呼殿……?」

 九重が何かに気付いたように春呼の名を呼んだ。何、と尋ねようとするが、いつの間にか肩に乗せられた手が震えていること、九重が目の前を見て顔を青くさせていることに気付く。

「おい妖、貴様は誰の背中に隠れているか自覚しているのか……?」

 怒りを滲ませた、低い声が耳をうつ。なるほど、と春呼は納得した。九重と同じ場所を見ると、そこには夜彦が立っていた。こめかみに青筋が浮かんでいて、目も鋭い。刀の柄に手をかけていることも合わさって、春呼でも腰がひけてしまうような迫力を放っている。ひいっ、と後ろで情けない声がする。

 こんな状態の夜彦に追われたら、あたしでも逃げたいわ。

「夜彦、落ち着いて」

「……しかし」

「また九重が逃げ出したんでしょう? でもほら、見つかったんだしいいじゃない、ねっ」

 春呼の説得に、夜彦は渋々――本当に渋々――柄から手を放した。けれど纏う怒気はそのままだ。普段静かな夜彦がここまで怒るなんて逆に珍しい。相性は悪くないのかもとは思ったが、一緒に行動する以上、すぐに喧嘩するのはちょっと疲れる。春呼は二人の仲介に入りながら、そんなことを考えた。

「春呼殿、ありがとうございまする」

 九重のお礼に軽く笑って返す。とりあえず夜彦が冷静になったところで、三人は春呼の部屋へと向かう。

 春呼が九重と行動できない時は、夜彦がつくことになっている。部屋も基本的には夜彦の部屋を使うのだが、九重が逃げ出してきてしまうため、気付けば三人で行動できる時は春呼の部屋や春呼のいるところで時間をともにするようになっていた。

 自分が部屋ですることは、本を読むであるとか、教えてもらったことを復習するだとか、そんなものばかりだ。楽しいことなんてないだろうに。そう思うけれど、誰かが近くにいてくれるのは嬉しい。

「つまらないでしょう」なんて言って、離れられたくない。我が儘になったものだと自分に苦笑する。

 春呼と九重は部屋に入るが、夜彦は「外で見張っています」と足をとめる。

「お嬢様の部屋に入るなんて」と抵抗した夜彦は、部屋の中には居づらいらしい。九重が何か行動を起こしたらすぐ対応できるように、と近くにはいてくれるので、追求はしないことにしている。

「適当にくつろいでて」

 春呼は机と向かい合う。定番になったせりふを言えば、九重は「はい」と嬉しそうに返事をする。のがお決まりだったのだが。

「春呼殿に、聞きたいことがありまする」

「え?」

 春呼の隣に腰掛け、「あのですね」と口を開いた。いつもと違う九重に春呼はきょとんとしながらも、「何?」と聞く姿勢をとる。

「九重は気になってることがございまする」

「ええ。それで、何が聞きたいの?」

「春呼殿についてです」

 沈黙が落ちる。

「……あたし?」

「はい」

 私について知りたいなんて、どういうことかしら。春呼は九重の疑問がわからない。

「春呼殿は、自分を『私』と呼ぶ時と『あたし』と呼ぶ時がありまする。これは、どういうことなんだろうと思いまして」

 春呼は目を丸くした。

「……なんでまた、急に」

「九重と出会った時は『私』と言っていた覚えがあるのですが、さっき、夜彦から逃げた時の会話で『あたし」と言ってることに気付きまして。今も『あたし』と言ってますし、何か理由があるのかな、と」

 たしかに、言われてみれば九重に対して『私』は使っていない。

「……春呼殿?」

 黙った春呼に、九重の声が届く。ハッとし、「そうね」と返す。

「うーん、『私』はお仕事用で『あたし』は素、って感じかな」

「しかし、夜彦以外の人には『私』ですよね。家の中でもお仕事、なのでするか?」

 九重の質問に、夜彦が反応したのがわかる。春呼は苦笑しながら肯定した。

「言われてみれば、夜彦や九重と家の方で態度が違ったような」

「今までわかってなかったのか」

 会話を聞いていたらしい夜彦は、顔こそ見れないものの呆れているとわかる。九重はむっとしたように頬を膨らませ、言い訳するように続けた。

「春呼殿と家の方の会話を聞く機会が少なかっただけでございまする」

 思い返してみれば、九重の言う通りだ。春呼が勉強している時は夜彦に預けられているし、九重が側にいる時に話しかけてくる人は少ない。

「でも」

「ん?」

 九重が声を弾ませる。どうしたのと問うと、九重は花の咲いたような笑顔を見せた。男に花という表現を使う場面はなかなかないが、今見せている笑みは大輪にひまわりのようだとすぐに思った。見る者の心を明るくしてくれる。

「春呼殿は、九重と接する時は素ということでございますね」

「もう本性ばれちゃってるし、今さら隠してもね」

「ふふ。九重は今の春呼殿の方が好きでございまするよ」

 春呼の鼓動が少し速まる。今まで、望んでももらえなかった言葉がーーこんなにも簡単に贈られる、なんて。

「ありがと」

 九重の前ではあまりだらしのない顔はしたくないのだけれど、この瞬間ばかりはどうしようもなかった。頬が熱い。頬がゆるむ。

 とにかく、嬉しい。

「…………」

「ちょっと、なんで黙るのよ」

「いえ、ちょっと……」

 九重の視線があちこちさまよう。人の笑顔を見て失礼な、そんな見るに耐えないものだったのかと春呼は眉を寄せる。

「九重?」

「はいっ!?」

 声を低くさせると、九重の肩がおもしろいほど跳ねた。春呼に不満げな視線を向けられ、九重の額に汗が浮かぶ。

「……ふふっ」

「春呼殿?」

「あー、おっかしい」

 春呼はひとしきり笑い終えると、「怒ってないから安心してよ」と目尻に浮かんだ涙を拭う。

「九重の反応って、おもしろいんだもの」

 春呼の言葉に一度止まって、意味を理解した九重は「春呼殿もいじめっ子気質なのでございますね」と肩を落とした。

 落ち込んでいたのが嘘のようだ。

 春呼は気分が上に向いていくのを実感しながら、改めて決意する。

 諦めて、落ち込んでなんていられない――この優しい妖を、封印させてなるものか、と。

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