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春呼ぶ少女と災厄の狐  作者: 櫻乃 郷
弐 九重という妖
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弐ノ弐話

 帰ってからの騒ぎは、それはひどいものだった。

「お嬢様、一体どこへ行っておられたのですか!」「ああ、こんなに汚れて……今すぐ御召替えを」「隣のは」「聞きたいことがたっぷり――」

「……ごめんなさいね」

 矢継ぎ早に飛ぶ質問に心配の声が合わさって、騒音と言っても過言ではない大きさにまでなっている。自分のせいだとわかっているが、皆近所迷惑という言葉を思い出すべきだと思う。

「お嬢様」

 夜彦の静かな眼差しが注がれる。

「そうね、夜彦には説明しないと」

「……私より先に、話さなければいけない方達がおりますでしょう」

 その言葉に、春呼はきゅっと口元を引き締めた。

「呼んでるのね」

 尋ねるようだが、ただの確認だった。夜彦は一つ頷き、「あなたが見つかり次第、当主様の元へ向かうよう言われております」と続ける。

「ねえ」

 てんやわんやの光景にも動じず平然と立っている妖を見上げる。「はい?」と小首をかしげる九重に、春呼は着いてくるように促すと、人並みをかきわけ歩きだした。素直に後ろを着いてくる妖狐に、いぶかしげな視線が集まるのがわかる。

「……夜彦もついてくるの?」

「何者かわからない者と二人きりで行かせるなんて、危険すぎます」

 殺気が漏れているのは気になるが、彼の言うことはもっともだ。確かにと納得した春呼は――既に二人きりで行動したのだがというツッコミは入れず――「早まって刀を向けたりしないでね」と釘をさし、目的の場所へと急ぐ。

 それにしても、と春呼は九重へ意識を向ける。

 心配する声が圧倒的だったとはいえ、九重を怪しむ声も上がっていたのだ。どんなことが起こるか想像くらいできるだろうに、「へえ」だの「おお」だの呑気に周囲を見回す姿は子供のようにかわいらしいどころか、ただのまぬけに見える。

「九重」

「はい、何でしょう?」

「これから行くのは――って、何ニヤニヤしてるのよ」

「いえ、初めて名前を呼んでくださったと思いまして。ふふ、いつになっても大事な名を呼ばれるというのは、気分のいいものですございまするな」

 ふわふわと尾を揺らす九重は、本当に機嫌がいいようだ。刺すような視線を向ける夜彦のことなど眼中にないらしい。

「…………あ、そう」

 なんていう図太さだろう。

 脱力した春呼は「もういいわ」と呆れを隠さず前を向き、一度大きく深呼吸をした。

 迷路のような廊下を迷いなく進み、現れたのは素朴に見えながらも繊細な細工が美しい扉だ。見るからに高そうなそこは、綾ヶ咲でも限られた人しか入室を許されない部屋と廊下を隔てている。

 左右に一人ずつ立つ門番は、春呼の姿を確認すると――九重の存在に驚いたのか二人は目を見合わせたものの――扉へ手をかけた。ぎい、ときしむ音が響く。ゆっくりと室内が姿を表していく。ろうそくの火で照らされる人影が見え、春呼は思わず唾を飲む。

「春呼殿、緊張しておられますね」

 じわりと汗の滲む手のひらを握り締めていると、九重が首を傾げながら尋ねてきた。

「当たり前でしょう」

 九重は相変わらずだ。

「? そういうものでございまするか?」

「ええ」

 緊張の種の一つである九重が至っていつも通り(出会いから数日も経っていないが)で、少しだけむっとする。

「あなたのせいでもあるんだけど」

「え、な、何ゆえでしょう?」

「それくらい自分で考えなさい」

 ふんと言い捨てた春呼に八の字眉毛を作った、かと思うとくるりと後ろを向き

「あなたは、何故かわかりまするか?」

 夜彦に助けを求めた。

 夜彦が纏う空気が、冷ややかで鋭いものへと変化する。肌を刺すような圧迫感に、春呼は慌てて振り返った。彼に聞くとは思わなかったのだ。「後で教えるから」と九重の注意を引くと、「抑えて」口の動きだけで夜彦に伝える。

 夜彦は納得できないのか九重をちらりと見たが、春呼の言うことに反論する気はないらしい。こくりと、素直に頷いてみせる。

 それを確認して、春呼はほっと息をついた。

 まったく、ロクなことしないんだから。

「……春呼」

「……はい」

 凛とした声に名を呼ばれ、春呼は急いで前を向いた。彼らとやりとりしているうちに、扉が完璧に開いていたのだ。門番も驚いたようにこちらを見ていて、たまらなく居心地が悪い。話をする前から失態を見せてしまったと、春呼は頭を抱えたくなる。

「失礼いたします」

 礼をし、入室。九重も春呼に続く。夜彦は外で待機するようだ。扉が閉められる。

 目の前に座るのは一人の女性だ。

「綾ヶ咲春呼、参りました」

 氷を目一杯詰めたかのような冷気が部屋を満たしていた。

 相手は一人のはずなのに、大勢に見つめられているようで落ち着くことができない。汗をかいているけれど暑さは一切感じないこの感覚は、春呼が苦手とすることの一つだった。

「呼ばれた理由はわかっていますね」

「はい」

 女性には触ってはいけないような気高さがあった。艶やかな黒髪も、意思の強そうな瞳も、体の線もすべてが美しい。自分の理想とする女性像にぴたりとあてはまる。けれど、春呼はこの女性がたまらなく苦手だった。

「この度は真に勝手なまねをしたこと、申し訳なく思っております」

 本心だ。春呼は深く頭を下げる。

「次期当主ともあろうものが、こんな問題を起こすなんて。信じられません」

「……おっしゃる通りです」

 春呼は気付かれないように小さく眉をひそめた。

 この人の、こういう、すべてを威圧するようなところはどうしても好きになれない。

「話を聞かせてもらえますね」

『あたし』の発言は、いつでもこの人に受け入れられなかったから。

「……母様」

 ――母親なのに。

「春呼殿の母上でございますか」という呟きを聞き、母――現当主である綾ヶ咲秋鼓(あきこ)が一瞬、九重へと目をやった。どきりとするが、秋鼓はすぐに視線を春呼へ戻す。

「――あなたの後ろにいる存在について、説明をもらえますね」

 拒否を許さない、絶対的な言葉が紡がれた。

 九重が身じろぎしたのが気配で伝わってくる。だが、居心地が悪いからといった感じではない。「お話できるのでございまするか」とでもいいそうな、嬉しげな気配である。

 これからが面倒な展開になると春呼にはわかっていたが、あまりにものんきな九重に脱力せざるをえなかった。

 ごまかしが効く場面ではない。素直に話した上で、自分の主張を受け入れてもらおう。

 ――受け入れさせるのだ。九重の面倒を見ると決めたのは、他の誰でもない自分なのだから。

「彼は、夜大樹に封印されていた森の長です」

「……春呼、適当な嘘は身を滅ぼすと、誠実であれと教えたはずですが」

 あまりにも突拍子のない切り出しに、秋鼓が呆れたように返した。春呼は言葉がうまくまとまらないことに焦りながら、とにかく森でのことを話そうとする。

「森の長というのは、本当のことでございまするよ」

 けれど、意外なことに話を引き継いだのは九重だった。春呼は後ろを振り返る。

 九重は秋鼓に――にこりを笑顔を浮かべていた。

「時間の経過とともに封印が弱まっていまして、そこへ春呼殿が通りかかってくれたのです」

 春呼の隣まで進み、なんでもないことのように続いた言葉に秋鼓は沈黙した。理解が追いつかないのだろう。それにこれだけ友好的なのだ、夜大樹から出てきたところを見ていない秋鼓からすれば「狐の耳と尾をつけた人型の妖」くらいにしか映らないと思う。危険な存在ではあるが、ものすごく危ない妖に見えない。春呼にも、である。

「森の長は、多くの書物で『危険な存在である』と語られています。野放しにしておくわけにはいかないと思い、こうして綾ヶ咲家へ連れて来た次第です」

「……春呼が封印を解いてしまったのですか」

「そうしようと思ったわけではありませんが、結果的に」

 秋鼓が信じられないというように頭を振る。

「……尾は、何本あるのですか」

「九本でございまするよ」

 透き通っているのにどこか甘い低音が鼓膜を震わせた。

 九尾の狐は、それぞれの尾に強大な妖力を宿していると言われている。千年かけて培った力を体につなぎとめているため、一本の尾のように見える。らしい。

 つまり、九本あるということは相当な力を持っているという何よりの証拠なのだ。

 九重が見えやすいように尾を広げる。数は申告通り――九。

 どんなにまぬけに見えようと、彼が相当な力を持った妖であることは間違いない。

 秋鼓は目を閉じ眉間に手をやると、「そうですか」とこぼした。息を多く含んだ声からは、彼の言い分は信じるに値する、けれど信じられないという、複雑な気持ちが汲み取れる。

「ですが」

「母様、彼については私がなんとかいたします。この件に関しては私にご一任ください」

 九重の言葉を遮り、春呼の懇願するように叫んだ。娘の言葉をうけ、秋鼓はゆっくり口を開く。

「すぐにハルジオンから術士を呼びましょう」

 しかし、秋鼓は聞き入れない。

「母様!?」

「あなたに一任したところでどうなるというのです」

「そ、れは」

「責任を感じるのは正しいことです。けれど、その妖は……長かどうかはこれから判断しますが……暴れていないだけであって、本来であれば、あなたはトウシャどころか島を危機に陥らせているわけですか」

「彼は伝えられているような邪悪な存在ではありません! 封印せずとも、話を――」

 必死に訴える春呼を、秋鼓は冷たく見つめかえす。

「人を襲わないという確証はないでしょう」

「頼まれたって襲おうとは思いませぬよ」

 九重が小声で反論するが聞こえているかはわからない。

「あなたは甘い」と秋鼓は言う。春呼の手に嫌な汗が浮かぶ。

「失ってからでは遅いのですよ」

 秋鼓が九重を見る。何を考えているか、心の内は読み取れなかった。

「――でしたら! 術士が来るまでの間は私にお任せくださいませ!」

 何故、母様はあたしの言葉をすべて流してしまうのだろう。春呼は手の平に爪が食い込むほど、強く拳を握った。

「彼は封印しなくてもいい存在であると、証明してみせます!」

 息も荒く宣言した春呼だが、秋鼓の反応は冷めたものだ。いつだってそうだった。春呼は、秋鼓の『正しい言い分』に勝てたことなどない。でも、今ここでは絶対に負けたくなかった。

「春呼殿、喉を傷めてしまいまするよ?」

 九重が心配してくれるが、春呼は秋鼓から目を離さない。

「いいでしょう」

 秋鼓は言う。馬鹿にするどころか、心配も期待も、何も感じさせない声だ。

「我が家に九尾を封じられるような力を持った術士はいません。長が村人に害を与えないか、監視役が必要なことに変わりはないですし……彼もあなたに懐いているようですし」

 淡々と続けられる言葉に、春呼は力強く頷いた。九重は「春呼殿と一緒でございまするか」と顔を輝かせている。

 負けるもんかと春呼は固く心に決める。

「では」

 退室しようと扉へ急ぐ。

「お待ちなさい」

 春呼が振り返る。

「ただし、監視役をさせるには条件があります」

 なんでしょう、と春呼がにらみながら続きを促すと、秋鼓は少し間を置いた。唇が開かれる。

「夜彦と行動をともにすることをここに誓いなさい」

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