表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春呼ぶ少女と災厄の狐  作者: 櫻乃 郷
壱 春呼と森の長
4/17

壱ノ参話

 鬱蒼と茂る木々は空からの明かりを遮断し、今が夜であるか昼であるか、時間すらも悟らせない。風が吹くたびにざわりと葉たちが歌い出し、得体の知れない何かが囁きあっているような不気味さに、春呼は一歩進むごとに後ろを振り返っては何もいないことを確認していた。

 いくらなんでも、ここに来るのはまずかったかもしれないわ。

 家出決行から――自分の感覚を信じるのであれば半日も経っていないうちに――春呼は激しい後悔の念に苛まれていた。

 勢いのまま飛び出して、やって来たのは『夜の森』。見上げてもなおてっぺんを確認できないほど育った木々が茂るこの森は、昼間でも暗闇に覆われ、ゆえにその名がつけられたと聞く。

 妖が住むと話され人が恐れるここであれば、追っ手もそんなに早く来ないだろうと思っての決断だった。

 だが――

「さすがに、ここまで」

 不気味な場所とは思わなかった。

 そう続けようとして、実際言葉にしてしまったら歩けなくなると春呼は慌てて口を噤んだ。と、足元を何かが通り過ぎた。草をかきわける音が低いことからして、トカゲの類だろう。

 生き物の気配は確かに感じられるのに、生きる者であればすべてが等しくしているはずの『呼吸』がちっとも感じられないのは暗いからだろうか。

 頬を撫でる空気も冷たく、春呼は太陽の光が恋しくなる。

 怒りに身を任せて飛び出したものの、一歩一歩、見知らぬ暗闇の中を進むたびに、村人の素朴で優しい笑顔が脳裏をよぎる。

 足を止める。もう一度、自分が何をしたいのかを考える。

 苦しいばかりの家と、いつも力になってくれる村人たち。戻ったら見張りも多くなるだろうし、ちょっとした息抜きもできなくなるだろう。それは、とても辛いことだとわかっている。

「……なにやってたのかしら」

 だけれど、自分と村人、どちらの命の方が尊いのかなんてわかりきっていた。

「私がいなくなったら、誰がトウシャを守るのよ」

 冷静になってみると、実にバカらしいことをしていたと思う。春呼はため息をつくと、帰ろう、と進もうとしていた道に背を向けた。

 あの優しい村を捨ててまで家から逃げるなんて駄目だと、春呼の心が言っている。己の心の声に反論してまでやりたいことが、春呼にはなかったことに気付いたのだ。

 光が届かないせいか、地面を覆うのは足首につくかつかないか、というくらいの背丈しかない。踏むたびに乾いた、いい音がするはずの地は、春呼の足には湿った感触しか伝えない。

 ついさっきまで、周りがあんなに輝いて見えたのにと春呼は少し悲しくなった。

 けれど、泣いている時間はない。少しでも早く家へ帰り、お説教を聞いて、いつもの『私』の世界に戻らなければ。ここ数年とてもいい子にしていたから、きっと今頃大騒ぎだろう。

 潤む視界を振り払うように、春呼は大きく息を吸った。

「あれ?」

 改めて顔を上げた春呼は、広がる世界に驚いた。

「ど、どう帰ればいいのかしら」

 夢中で走ってきたせいで、どんな順序で進んできたのか、まったく覚えていなかったのだ。

 戻る気などなかったから、目印になるものなんてあるわけもなかった。

「どうしよう……」

 声が震える。

 森に入ってからずっと寒さを感じていたけれど、どれだけ危険な状態か理解した瞬間、通り抜けていく風も森が奏でる自然の合唱も、踏みしめている地面さえも、まったくの別世界のものであるかのように映る。自由への道が一変、怪物の口へと変化したように思え、肌が粟立つ。

「絶対に戻らなきゃいけないんだから」

 気合いを入れるも、自分を鼓舞する力強さは一切伺えない。

 とにかく、止まっていてはいつまで経っても戻ることはできない。

 笑う足に鞭をうち、春呼はゆっくり元来たであろう道を進みだした。


「もしかして、う、動かない方が良かったのかしら」

 疲れを覚える程度に歩き回ったけれど、春呼の身体は暗闇に包まれたままだ。転んだり木にぶつかったりしたせいで、露出した頬や額、草のあたる足首や、身体を守る服さえも、あちこち擦り切れたような細かい傷ができている。

「うう、休むって言っても」

 ちら、とあたりを見回しても、自分の一歩先が見えるか見えないかと言ったところだ。どこに何があるかはっきりしない上に、闇に紛れるような生き物がいたら心臓がとまってしまう。

 現在地は引き返したところからそう変わっていないだろうと予測できる。それに、出口へ向かえているのかもわからない。春呼はもれそうになる声を必死に押し殺す。

 こうなったのは自分のせいなんだから、自分でどうにかしなくっちゃ。

 けれど恐怖に怯える時に限って、思い出したくないことを思い出すものだ。

夜の森には妖が巣食う。それは、かつて島を混乱に陥れた事件――『九尾の大虐殺』を起こした妖の統括者、《九尾の狐》が封印されている夜大樹(やたいじゅ)があるからだと言われている。己らの主を救うため、森に集まってきてるのだと。

「……あれ?」

 そこまで考え、春呼の頭にある疑問が思い浮かんだ。

「そういえば、一度も襲われてないわ」

 そう、春呼は細かい傷こそ多いものの、妖に襲われたような大怪我はしていないのだ。妖は人の血肉を喰らうことに意義を見出しているというが、人間である自分が襲われていないということは、妖が集まっているというのはただの噂なのだろうか。

 九つの尾を持ち、漆黒の炎を操ったという《九尾の狐》……『森の長』と呼ばれる妖は、非道の限りを尽くしたと聞く。その配下であれば、何かしらはありそうな気がするけれど。それに、妖は餌が無防備に歩いているにも関わらず、おとなしくしていられるものなのだろうか? 

 次から次へと疑問が浮かぶものの、答えは一向にわからない。出口への道も妖の生態も、何一つわからない。

 もやもやする。

 それでも、とにかく歩こうと足を動かした。一歩進むたびに、足の裏から雫が蓄積された柔らかな感触が伝わってくる。

 一向に明かりが見えないことに不安を募らせながら、それでも春呼は歩き続けた。

 だが、限界が来ないということはありえなかった。

 じわじわと削られる体力だけでなく、勢いだけで迷惑をかけている自分への後悔や本当に帰れるのかという精神的な疲れも溜まり、ふらりと視界が揺れる。

「わっ」

 堪らずよろけ、慌てて近くにあった固いものを支えに体勢を持ち直そうとする。が、

「つめたっ」

 触る直前に氷のような冷気を浴びて、思わず伸ばした手をひっこめてしまった。その結果、どてんと間抜けな音とともに尻餅をつく。

「もう、なんなのよ」

 鈍い痛みを放つ腰をさすりながら、春呼はゆっくり立ち上がり――思わず目を見張った。

「なに、これ……」

 よろけるほど疲れていたのも忘れ、目の前の光景に見入る。

 そこには、光が射していた。

 立派な木々が茂る夜の森でも、圧倒的な存在感を放つ一本の大木。周囲には謎の空間が広がり、見上げると星々が輝く空が見えた。堂々とした大木を、月が優しい光で照らしている。

 長い時間――はっきりとした時間はわからないが――暗闇をさまよっていた春呼は自然の光に照らされた光景に安堵するが、だからこそ、森の空気に一切染まっていない大木に――妖しさ、のようなものも感じた。

 肌が粟立っているのにも気付かず、春呼は何かに導かれるように踏み出した。

 月光が春呼の肌を優しく撫でていく。じんわりと染み入るような温かさを感じて、春呼は静かに息を吐いた。

 一歩、一歩と踏み出して、春呼はやっと、大木の『異常』に気付いた。

「……お札?」

 春呼の腕の二倍以上はある、太い注連縄のようなものが巻きついている。しかし色はよく見る紅白ではなく、全てが純白でできていた。

 そして、縄の――いや、木全体にお札が貼り付けられていた。そのどれもが薄汚れており、場所によってはほぼ形を失っているものも少なくない。

 そこでやっと、春呼は先ほど触れた冷たいものの存在を思い出した。

 いつの間にか大木の目の前まで来ていたことに驚きながら振り返って、息をのむ。

「これって……」

 春呼の目に映ったのは、膝を抱えるように丸くなった、達磨のような石の置物だった。

 それも一つだけではない。

 木を中心に、円を描くように何体も並べられている。

 春呼はもう一度、大木へと顔を向けた。

「純白の注連縄と大量の札が貼り付けられた大木、その大木を囲むように並べられる石像……」

 ――夜大樹だ。

 春呼はついさっきまで考えていた森の長の封印場所に着いていた。感じた妖しさの原因はこれだったのかと納得する。

「そういえば、綾ヶ先が今の立場を手に入れたのは、ご先祖様が癒しの力を持って九尾封印のお手伝いをしたからなのよね」

 ぼんやりと何度も聞かされたことを思い出す。ご先祖様の中に、傷や病気を癒す不思議な力を持った女性がいたという言い伝えを……。

「って、そんなこと思い出してる場合じゃないわ」

 現実逃避してしまったらしい。余計なことを考えてしまった。改めてぐるりと周囲を見回す。

 中心にあるものを威嚇しているような石像たちは罪人、ひいてはそれに準ずる『何か』を見張る役目を持つ。大木は高くそびえ、月の光を堂々と浴びている。

 春呼のこめかめをなぞるように、つう、と汗が一筋流れ落ちた。

 かつて虐殺を繰り返したという九尾の狐が眠る場所。

 足を引きずるようにして、春呼は後退した。

 ここを見た時に覚えた妙な感覚は、不思議な力が働いている影響だったらしい。無意識に喉を上下させると、春呼は大木に背を向け歩き出した。

 いくら封じられてるとはいえ、ずっと居ていい場所ではないはずだ。

 しゃく、と、草を踏んだ時に聞こえる本来の音が耳に届いたが、春呼に喜ぶ余裕はない。

「早く帰らないと」

 その一心で前へと進む。

 ――だが、それがいけなかったらしい。

「ひゃっ!?」

 疲れはすぐになくならない。それがたまっていればいるだけ、長く続いてしまうものである。

 足が絡まり、がくりと膝が落ちるその瞬間。

 春呼は咄嗟に手を伸ばしてしまった。――冷気をまとい、悪を威圧する守人へと。

 先ほどとは違い後ろへひくこともできなかった春呼は、そのまま石にしがみついた。

 瞬間、嫌な感触が手を伝う。

「え」

 春呼が急いで離れるより先に、異変は起きた。

 起きてしまった。

「きゃあああああっ!?」

 ヒビが入った、かと思うと、しがみついた石像が音を立てて崩れ落ちてしまったのだ。がらがらと一斉に崩れた石の音は重く、地面が少し揺れた。咄嗟に身を縮める。

 状況を把握しようと瞼を上げる。だがそのせいで砂埃が目に入り、鋭い痛みに目を瞑ってしまう。それだけでなく、驚きから息をのんだ時に砂が喉へはりついてしまった。げほげほとせき込みながら、春呼はなんとか目をあける。

 どうなってるの。そう呟くよりも早く、次の異変が起きる。

「ひゃあっ!? ちょ、ちょっと、なに!?」

 春呼の悲鳴に被さるように、硬質な、嫌な音があたりに響き渡る。それはついさっき、石像にひびが入った時と似た音で。

「嘘でしょ!?」

 ありえないと春呼が叫ぶと同時に、地に体に、ずしりとした衝撃が走る。

 さっきよりも大きな土煙が舞い、春呼は腕で顔を覆い隠した。それでも細かい砂や埃は入り込んできて、げほげほと何度も咳き込む。

「うう、なによぅ」

 けほ、と最後に一つ、大きく咳き込むと春呼はそろりと顔を上げた。

 涙が浮かんでいるせいで視界が揺れている。けれど、自分がどんな状況にいるのかははっきりと認識することができた。

 石像が全て、ただの石ころになっている。

 あんまりな光景に、春呼は絶句するほかない。

 だが、それで終わりではなかった。みし、と何かがきしむ音が聞こえたかと思うと、視界が暗くなる。疑問に思うよりも先に、春呼は息を詰まらせていた。

「うっ!」

 地面が揺れたかと思うと、背中を中心に熱いほどの痛みが走りぬけ、殴るような風が体を通り抜けていく。

 喉をひきつらせながら空気を吸い込み、春呼はかすむ視界に『あるもの』を捉えた。

 それは、少し遠くにあるようだった。飛ばされたのか、と思いながら、春呼は『あるもの』を見て、動きをとめた。

 ――先ほどまで天を貫くかのように胸をはっていた大木が、横になっていたのだ。

 春呼は声を出すことも叶わなかった。体全体を襲う痛みもどこかへ行ってしまったように感じる。呆然と、映る光景に視線を注ぎ続ける。

 家を出ようなんて考えたせいかしら。

 立て続けに起きた信じられない出来事に、春呼は自嘲の笑いを漏らした。

 推測するに、石像が壊れたことをきっかけに、貼られていたお札に何かしらの影響を及ぼしたのだろう。封印術は強力だが繊細だ。必要であるものが一つでも欠ければ効力を失うものがほとんどである。春呼には、何故石像が壊れたのかわからない。術は絶対ではないと聞くし、百年という長い時を守り続けてどこかが弱っていたのだろうか。

 石像、続いて札まで崩れたということは、もちろん夜大樹にも何かが起こる。そして、あれだけ立派にそびえていた大木が倒れてしまった。その際の衝撃で飛ばされたのだと、春呼はそこで理解した。体中が痛い。時間をおかないと立ち上がることさえできなさそうだ。

 視界が暗くなったのは、倒れる木の前兆だったのね。

「……で、夜大樹が倒れたということは、それ相応の結果が待つと」

 ふふ、と乾いた笑いを零しながら、春呼は大木の近く、薄闇の中でゆらりと揺らめく影を見つめる。

 春呼は吐き出すようにあーあと呟いた。

 りん、と。どこかから鈴の音が聞こえる。澄んだその音は、もうもうと砂煙を撒き散らす場に不釣合いだ。

 砂煙の中、影は何かを探しているように首を動かし、空へ目を向けた――ように見えた。春呼もつられるように視線を空に投げる。たどり着いた時と変わらず月の光が降り注いでいる。まるで長の復活を喜んでいるようだ。たまらず拳を握る。

 煙がおさまってきた。

 客観的に見て、それはあまりにも絶望的な状況だった。

 封印を解いてしまっただけでなく、逃げ出すことも叶わず、長と呼ばれる強大な妖に見つかるのを待つだけ。

 けれど春呼は目を見開き、細い息を漏らした。

 焼き付けるかのように固まる春呼は、まっすぐ影――だったものを見つめている。

 光の降り注ぐその場所は、薄暗く不気味な印象しか受けなかった夜の森と同じ場所とは思えない。異空間のようですらある。

 そこに立つのは、妙な姿をした一人の青年だ。

 背は夜彦と同じ、いやそれ以上にあるように見える。着ているのは春呼もよく知っている着物だ。しかしところどころ見たことのない形をしている。基本は自分の着ているものと同じはずなのに、どこか外国のような雰囲気だ。腰には遠目から見てもわかるほど大きな縄が括られており、端は地面に垂れている。紐の先には大きな鈴がついており、少し動くたびにしゃらん、しゃらり、と涼しげな音が優しく鼓膜をうった。

 これだけだとちょっと変わった青年でしかない。けれど、明らかに人間ではない。《それ》は、頭と尻にあった。

 ――きらきらと輝く銀色の髪から覗くように、獣の耳がぴんと二つ立っている。尻には尾。一本ではない。数ははっきりわからない。けれど四本以上は絶対にある。夜大樹のことを考えて推測するならば、九本あるはずだ。

 春呼は目が離せなかった。

 恐怖からではない。漏れる息も陶酔の色を含んだ、艶のあると言ってもいい、そんなものだ。

 初めて見る銀が柔らかく光っている。見るといっても離れている上に横顔だけだが、それでも容姿が恐ろしいほどに整っていることははっきりとわかった。

 ――神様みたい。

 脳が痺れたように、ほうと息をつく。

 銀色が動く。春呼は目があったように思い、慌てて意識を浮上させる。神様が何かを考えるように視線を逸らした。かと思うと、ゆっくり、近付いてくる。

 鈴の音が少しずつ大きくなる。逃げなければと思う。けれど逃げたところでとも思う。どうしようと、必死に考える。

 その間に、神様みたいなそれは、春呼の目の前までやって来ていた。

「……あなたが」

 空気を震わせた声は宝石のような透明感と高級感に溢れながらも、どこか野に咲く花のような温かみがある。

 顔を確認するようにしゃがみ光を背負うその姿に、春呼はなぜか、三日前に見た夜彦を思い出していた。夜彦は月に似ている。けれど目の前にいるのは、夜空を照らす月のような、けれどそれ以上の何かが……不思議な存在感があった。

 危険な存在がすぐ近くにいるとわかってはいる。それでも春呼は、目を離すことができなかった。夢のようだと頭の隅で考える。

 神様の手が頬に触れる。びくりと体が跳ねたが、相手は気にせずに《笑った》。

「はじめまして」

 先ほどまでの神聖さが影を潜め、子供のように無邪気な笑顔が向けられる。

「封印を解いていただき、誠にありがとうございまする。あなたのお名前を教えていただけませぬか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ