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春呼ぶ少女と災厄の狐  作者: 櫻乃 郷
参 秘められし力
16/17

参ノ弐話

 春呼が納屋の中で奮闘している時、九重は夜の森へと足を運んでいた。

 ――懐かしい気配だ。

 暗闇の中、まとわりつくような嫌な空気に九重は顔をしかめた。

 それらを振り払うように、九重は尾を揺らしながら歩き続ける。

「長ダ」「森ノ長ガヤッテキテゾ」「長ダ、長ダ……」

 何が楽しいのか、くすくすと笑う存在に気付きながらも、九重の足はとまらない。煩わしい声を振り払うようにしゃりん、しゃりんと鈴が鳴る。

 向かうのは、かつて自分が封印されていた場所だ。

 九重は確信していた。

 自分の探している『モノ』がそこに『いる』と。

「――ん?」

 夜大樹のすぐ近く、といったところで、九重の素足に何かが触れた。何かはぱちりと小さな火花を散らし、それきり何の反応も起こさなくなる。

 気になった九重が目を凝らすと、それは独特な形をした模様が彫られた根付けだった。退魔の力があるその柄は、貴族や術士がよく身につける。だから火花が、と九重は納得しかけ

「……まさか」

 ある可能性が頭をよぎった。

 膝をつき地面に触れる。じっとりとした土だ。水で濡れたわけではない、嫌な感触が伝わってくる。

 暗く湿っている夜の森であれど、一部だけ、しかも土の感触が変わるほどの水分はよっぽどの何かがないと流れない。

 よっぽどの何か――その何かが『何』であるかは、九重にはすぐにわかった。

 それは、かつての自分がよく口にしていたもの。

 人が生きていた証――血、である。

 良く見れば周囲には破かれたのであろう布があちこちに散らばっている。それらは全てどす黒く染まっており、元が何色だったのかもわからない状態だった。

 九重は一度大きく息を吸い、そして吐く。

「ハルジオンから来たという術士でございまするね」

 遅い遅いとはよく聞いたが。九重は目を閉じる。

「――美味かったなぁ、そいつらは。実に美味かった」

 ひび割れるようなその声に、九重は震える右腕をもう片方の手で掴んだ。

「それに、貴様も実に美味そうになっている」

「……お久しゅうございまする」

「ああ、久しい。実に久しいな」

 びりびりと肌にまで響く声の持ち主が一歩、また一歩と近付いてくる。

 九重が顔をあげると、そこには影をそのまま具現化したような、異様な男が立っていた。白い肌に不釣合いなほど赤い唇が弧を描いている。

 踏み出した足が地面に触れるたび、小さくはあれど凜と胸をはっていた草が生気を吸い取られていくようにみるみる力をなくしていく。

 男は九重のすぐ近くに立つと、「ハッ」と笑った。

「相変わらず気に入らない面をしている」

「気に入られたくなんてありませんゆえ、好都合でございまする」

「生意気なところも変わっていない」

 低い笑い声に、九重はわずかに耳を前へと倒した。

「あなたが原因でございまするか」

「いまさら確認するのか?」

 男はふっと鼻で笑うと、「美味かったぞ? おかげで体調もすっかり回復できた」と唇をゆがめる。

「術士がなにやらかぎまわっていたのでな、鬱陶しくてつい、食ってしまった。やはり特殊な人間というのはいい。力がわいてくるようだ」

 九重はありったけの憎悪をこめて、男を睨みつけた。

「しかし、これでやっと術者にとりつき人のふりをしながら人を食らう、みじめな生活とはお別れだ。――我に忠誠を誓う妖共もまだまだいるしな」

 男が狂ったように笑い出すと同時に、あたりを夥しい量の妖気が覆いはじめた。暗闇の中からくすくすくすと笑い声が聞こえる。けれど楽しげな声とは裏腹に、九重が感じるのは突き刺すような殺気だけだ。

 やはり。

 九重は油断なく前を見据えながら、トウシャに起きた異常が全て彼のせいだと完全に理解した。

「……先代、あなたの目的は」

「それも――今さらだろうがっ!」

 男から妖気が爆発する。夜の闇さえ食い尽くすような闇をほとばしらせ、現れたのは

『この時を待っていた……さぁ、どちらが森の長にふさわしいか決めさせてもらうぞッ!』

 九つの尾を携えた、一匹の黒い狐。

 やるしかないのか、と九重は一度、目を閉じる。そして次の瞬間――



「きゃあっ!?」

 突然地面が大きく揺れて、春呼はどてんと尻もちをついた。

 二度、三度と突き上げるような揺れに、春呼は近くの壁に手をつき必至に耐える。それと同時に外から悲鳴や怒声、人々が走り回る足音が聞こえてきた。

 春呼は息をのむ。

 納屋は民が住んでいる場所から離れているのにこれだけの音が聞こえる。それはつまり、地震や台風ではない、よほどの異常事態が起こっているとしか考えられなかった。

 暗闇の中、何一つ情報が入ってこない春呼は震える体と戦いながら、壁に耳をあて、全神経を集中させる。監視役として誰かはいるはずなのだ、どんな小さな声でも聴き逃してたまるかと春呼は目をつむる。

「――九尾だ!」

 わずかな時間も経たないうちに、困惑したような信じられないような、複雑な色が混じった声が届いた。

「九尾ですって?」

 春呼はさらに情報を得ようと耳を押し付ける。けれど知らせに来たのだろう、他の従者の声が混じり、何を言っているのか判断がつかなくなる。それだけでなく、壁越しには聞こえない声量で会話を再開させたらしい。破壊音が響くだけで、他の音はまったく聞こえなくなってしまった。

「もうっ、こういう時くらい叫んだりしなさいよ!」

 自身の家系はどうしてこういう時まで冷静になれてしまうのだ、と春呼は苛立ちながらあたりを見回した。

 相変わらず闇が広がっているだけで、光一筋さえ見えてこない。

 だがそれなりの時間をここで過ごしていただめ、目は慣れてきている。ぼんやりと物の配置がわかるようになり、扉の輪郭も――核心はもてないが――把握した。

 規則性のない揺れに苦戦しながら、春呼はよろよろと立ちあがる。

「こうなったら、手段は選んでられないわよ、ねっ!」

 扉から距離を開け――駆け出した。

 とにかく、外へ出るのだ!

「つうっ!」

 木でできた扉は、春呼の体当たりをうけドン、と乾いた音が鳴らした。全身でぶつかった痛みはもちろん、二の腕を金属でできた部分で打ってしまったらしく、じくじくと痛みが広がっていく。

 だが、

「はぁっ!」

 もう一度!

 春呼はさらに、もう一撃を扉へ加える。音が鳴る。けれど、びくりともしない。

 もう一度、もう一度。何度だってぶつかってやるんだからと春呼は何度も体を打ちつける。外で「お嬢様、何をなさっているのです!」なんて叫ばれても止められない。

 罪人の収容のために作られただけあって、非力な、それも女の力で開けられるはずはないのだろう。だが、ここでやめたら一生後悔すると春呼は頭の隅で確信していた。

「九重は、私がっ、助けるんだから!」

「――おやめなさいな」

 もう一度、と駆けだした春呼は、次の瞬間柔らかな何かに包まれていた。

「まったく、無茶する子ねぇ」

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