弐ノ漆話
「あー……」
「あの時と同じでございまする」
「あの時?」
「はい。前、書庫へ行く時はここまではっきりと確認できなかったのですが」
その言葉で、春呼は以前、九重が妙な行動をしていたことを思い出す。
『んー……でございまする』
そんな呟きを漏らしながら、彼の端正な顔が近づいてきて――。
って、こんなこと考えてる場合じゃないわ。
春呼は目を隠すように――正確には赤くなった頬を見られないようにうつむいた。
「なにか理由があるのでございまするか?」
九重の問いに春呼は口ごもる。だが、彼になら話してもいいかとそんな気持ちになって、口を開いた。
「家が大都市ハルジオンを治める花ヶ雪一族の傘下にあたる家だっていうのは前話したでしょう?」
「ええ」
「なんでそんな一大勢力を誇る家に認められたかっていうと、ご先祖様のおかげなのよ」
どういうことだと視線を問いかけてくる九重に、春呼ははあと一つ息をもらすと空をあおいだ。葉の隙間からこぼれてくる光がまぶしい。
「そのご先祖様は、癒しの力をもって世の平定に尽力したんだって」
「癒しの力……」
「そう。どんな病も怪我も一瞬で治したと聞いているわ」
ただの人の身にありながらも、人を超えた力を持っていた。
「で、その人の瞳が青色だったんだって」
「代をまたいで色が受け継がれたということでございまするか」
「そういうこと。なんだけど、今まで青い瞳が生まれたことないっていうのと、たまにしか青くならないっていうのでいろいろ面倒なのよね」
ある人は彼女の生まれ変わりだという。
ある人はこの子は人々に尽くすために生まれたという。
初めてのことであるがゆえに期待も大きい。だけど出来はそこそこで、ご先祖様が持っていたという癒しの力も使えない。過度な期待の中には異形のものを見るような目もあって、とても悲しかったことを覚えている。
「そのせいもあるのよね、きっと」
教育が厳しくて、余計に外に憧れることになったのは。
「なにが、でございまするか?」
「あ、ううん、気にしないで。まぁとにかく、あたしはこの目が好きじゃないのよ」
へらりと笑い話をまとめると、九重が残念そうに「そうでございまするか」と耳をふせた。
「なんでそんな顔するの?」
「……九重の瞳と同じ色だと思ったので」
言われて、春呼は九重の瞳を覗きこんだ。確かに金ともう一つ――吸い込まれそうなほど透き通った青がきらめいている。
「でも、あたしの眼はこんな綺麗じゃないわ」
「そんなことないです!」
「わっ!」
少し困ったように春呼が笑うと、九重がかみつくように反応した。
「一瞬しか見えませんでしたが、春呼殿の瞳は九重以上に美しかったでございまする」
「そんなこと」
ないわ、と続けようとした言葉は
「わたくしを放ってこんな小娘を口説くなんてどういう了見?」
ゴウッ――とたたきつけるような風に飲み込まれてしまった。
春呼は反射的に腕で顔を覆ったが、風はすぐにやむ。
「お待ちしていました、森の長よ」
体を強張らせた春呼の耳を、透き通った声がうつ。鈴のように美しい声の主の登場に、九重は驚いているようだ。
「……火車」
おそるおそる瞼を上げる。
おさえきれない興味を胸に、声のした方へと目を向けた春呼は思わず歓声をあげた。
「わぁっ……」
「ずいぶんかわいらしい反応ね」
呆れを含んだ態度にもかまわず、春呼は火車と呼ばれた存在をまっすぐに見つめる。
木漏れ日の中堂々と立っていたのは、馬よりも一回り以上大きい猫だった。
だが、ただの巨大猫ではない。額や足の付け根、尻尾からは鮮やかな緋色が揺れている。
炎を体にまとっているのだ。
「久しぶりでございまするね」
「当たり前でしょう。あなたが封印されてどれだけの年月が経ったと思ってるんです」
「……五十年ほどでしょうか?」
「百年です。はぁ、封印されたっていうのに相変わらずのんきだこと」
「火車も相変わらずで安心いたしました」
ふう、とため息をつく炎の猫・火車は「それにしてもなんで人間といるんです?」と九重に尋ねた。しかし、大きな瞳は春呼に向けられている。
鋭い光を宿した黄金の瞳は、春呼の身をすくませるには十分すぎるほどの威力を持っていた。
「火車、あまりいじめないでくださいませ」
「そういうつもりはないのですけど」
九重の言葉で、火車の纏う空気がゆるんだ。その影響もあって、春呼も少し体の力を抜くことができた。
びっくりしたわ。
でも、あんなにじろじろ見られたら嫌な気になってもおかしくない。春呼は反省しながら、けれどちらちらと火車を見る。
大きさは違えど、瞳も姿も見慣れている猫そのものだ。火の間から見える毛はやわらかそうで、抱きしめてもふもふを堪能したい衝動にかられる。さすがにそれはまずいだろうと(妖に抱き付くのもそうだが、燃えるかもしれないし)春呼は自分に落ち着くよう言い聞かせながら、九重の「何故ここにいるのか」という説明が終わるのを待つ。
「九重さまは本当にバカねぇ」
「なんでいきなり責められたのでございましょう」
「あなたはこんなんでも森の長でしょう。なのにわたくしに代理をまかせっぱなしで……まったく、こんな面倒な役目、さっさと終わらせてくださいよ」
九重に「さま」をつけているから、火車は部下のような立ち位置なのだろう。けれど言葉は容赦がなくて、春呼は必死に笑いをこらえていた。
「……ん?」
だが、ここで何か違和感。
二人(この場合二匹というのが正しいのだろうか)の会話に気になる言葉があったような?
「あっ!」
「春呼殿?」「よく驚く子ねぇ」妖怪二人は正反対な反応をしたが、春呼はそんなこと気にしてられないと気付いた疑問を口にする。
「今、森の長の代理って言った?」
「ええ」
「長って妖を統べる存在なのよね。代理とかってそんな簡単に立てられるものなの?」
今度は火車ではなく九重が答えた。
「正確に言うと、長とは妖の中で一番強いもののことを指します。ですが、これはあくまで強さを明確にするための呼び名。長になったから悪行をしなくてはいけないということはなく、何万という妖を従えて何をするかは長次第なのでございまする。代理というのも、腕と長の命さえあれば立てられます」
「長次第……」
「はい。『森の長』の呼び名はその時代に君臨している長を倒すことで継承されるもの。何百年かに一度は世代交代がされているのでございまするよ」
たしかに、歴史の中で比較的平和な時代と妖たちが目立った活動していた時代がある。
もしかして、それも世代交代が影響しているのだろうか。
「人間はそんなことも知らないものね」
「それは仕方ありませぬよ」
「でも、そのせいで九重さまは封印されたんじゃない」
火車の言葉に春呼は目を見張った。
その言い方だと――。
「先代をとめられなかったのは九重の責任ですゆえ」
「なに、それ」
それじゃあ、と春呼はすぐに立てられた推測を口にする。
「九尾の大虐殺を起こしたのは先代の長で、九重は何も悪いことはしてないってこと?」
人々を恐怖のどん底に追いやった、地獄の再現とも言われる大事件。森の長が封印された最も大きなきっかけも、九重がやったのではないということか。
「そうよ」
のんびりと続いた火車の言葉は、春呼の推測を肯定するものだった。
なんでもないことのようなその声音に、春呼はさっと血の気が引いていくのがわかった。
「火車はそうやって余計なことを」
「代理を任されてあげた健気な部下に文句をつける気ですの?」
火車を遠まわしに責める九重から、「勘違いで封印された」のは大した問題ではないと考えていることが伝わってくる。
でもそれは、本来あってはならない問題。
長について調べた時、別人のようだと思った。それは、あっていたということだ。握りしめた手に力が入る。
「そんな大事なこと、なんで今まで黙ってたの!?」
「人間側からすれば同じ妖が引き起こしたことでございまする」
「そんなの理由になってないわ! 封印したのは権力者なんでしょう? だったら真実を見極めるのは義務だわ、それを放棄して『悪い九尾は封印した』なんてとんでもない!」
彼は濡れ衣を着せられたのだ。だというのに、自分の家はまた九重を封印しようとしている。
「決めたわ」
「へ?」
九重が間抜けな声を出す。
彼が無害であると証明する。それは連れて来た当初から決めていたことだ。けれど、今までのままではぬるい。秋鼓に話をするだけでは足りなかった。自分はどれだけ甘いことをしていたのだと、春呼は自分に腹を立てる。
「九重、あんたはあたしが絶対に守るから!」




