弐ノ陸話
森の中の風は冷たいけれど、不思議な温かさを含んでいると春呼は初めて知った。
「名家のお嬢様だからって遊ぶのはだめとか勉学に励むのが普通だとか、そんなの押し付けでしかないじゃない?」
「親からすればそれだけ期待しているということでございましょうが……立場というものが変わるとものの見方も変わりますゆえ、一概に頷くことはできませぬ」
「そりゃあたしだって自分がどれだけ恵まれてて、だからこそ何をするべきかっていうのはわかってるしやるべきだとは思うわ。けど、全部を全部受け止めきれるかって言われたらむり。まだそこまで大人にはなれないもの」
眉を寄せる春呼に九重は「難しいですねぇ」と同意する。
村人に騒がれた春呼は「お忍びなの」と苦しい言い訳をなんとかわかってもらい、九重は家の術士が呼び出した式神だと説明。深く追求される前に団子を買い、夜の森へとやって来た。九重の案内で森の内部を歩き、夜大樹の封印に一役買っていた像を神通力で整え(こんなこともできるんだ、と感心したような呆れてしまったような……)、簡易的な机と椅子を作り現在に至る。
夜彦を置いてきてしまったことや村人に嘘をついたことなど、罪悪感はあった。けれど、家ではできなかった「悪いこと」をしているという気持ちが、春呼の胸を高鳴らせた。
「そういえば、春呼殿と夜彦はどこで知り合ったのですか?」
「どうしたの、急に?」
九重が夜彦の話を知りたがるなんて珍しい。そう思いながら、質問の意図を尋ねる。
「夜彦は春呼殿をとても慕っていまする。それが、他の人とは違うように見えて……特別な絆、というのでしょうか。そういうものがあるような気がしたのです」
春呼はああ、と納得した。
「夜彦はね、あたしが拾ったの」
「……捨て子、だったのでするか」
「うん、多分。……親に捨てられたのか、それとも彼を世話できない状況になってしまったのかはわからないけど……」
春呼は過去の――十年前のことを思い出す。彼とあたしが出会ったのは、ハルジオンだった。
「小さい頃、ハルジオンに行ったのよ。で、あたし、その時はまだ家でもお転婆してたから、途中で抜け出して、お店とか見て回ってたの」
九重が小さく笑う。
「それで、なんかよくわからない道に入っちゃったのね。店と店の間にある、ほっそい道に。薄暗くて不気味で、どこか別の世界につながってるんじゃないかって思えて、どきどきしながら進んでいったわ。――その途中で、うずくまってる夜彦を見つけたの」
髪はぼさぼさで、服はあちこち破けていたし、体のいたるところに傷があった。汚い子供、としか表現できないありさまだったのだ。
「一人だし、痛々しい姿だったから、放っておけなくて。家族なんていないとか言うから、『じゃあ家においでよ』なんて勧誘しちゃったのよね」
もちろん、幼かった彼はそんなうまい話があるものかと反論したし、抵抗もした。
本当に、今となっては想像もできない。春呼はくすくすと笑ってしまう。
けれど、強引に手をつなぐと――泣きそうに顔を歪めたのだ。
その時は、どこか身体が痛んだのかと焦ったけれど――つられて泣いて、夜彦に慰められたのは恥ずかしい思い出だ――初めてのことに胸がいっぱいになったんだろうと、成長した今はそう思う。
「ちなみに夜彦って名前もあたしがつけたのよ」
懐かしさに目を細める春呼に、九重は顎に手をあて、深く頷いていた。
「それからどんどん強くなって、家を支えてくれてるの」
「それで春呼殿にべったりなのですね」
「頼もしいでしょ」
「そして、春呼殿の拾い癖は昔からあったとわかりました」
「……家に来れば最低限の生活くらいはさせてあげられるし。助けられるなら、助けたいじゃない。虐げられてしまう弱者を守るのが、お金と地位を持つ人の務めでしょう」
九重はどこか楽しそうだ。春呼はくさいことを言ってしまったと恥ずかしく思いながら、皿に身を横たわらせる一本の串をひょいと口に運ぶ。
「あっ、春呼殿! それは九重の団子でございまするよ!」
「わっ、おいしい!」
「うう、楽しみにしてましたのに……ひどすぎでございまする……」
周囲に花を咲かす勢いの春呼は悲壮感溢れる九重とは対照的だ。
口腔が程よい甘さで満たされる。それだけでなく、こうして何の気兼ねもなく会話ができるこの時間は春呼にとって何よりも嬉しいものだった。
「ふふ」
友達と普通に話し合って、どうでもいいことで笑いあって、いたずらしたりたまに言い合ったりして。空想の中でしかできなかったことが現実のものとなっている。
幸福感に包まれる春呼は、全身から喜びを溢れさせていた。
連れ出してくれた九重に感謝しなくちゃと隣を見ると、そこには顔いっぱいに「不満です」と書いた男の姿があった。
「……人が楽しみにしていた団子をとってご機嫌でございまするね」
春呼が見上げたことに気付いた九重はつんとそっぽを向く。腕を組み足もやる気なさげに放り出すだけでは飽き足らず、耳をぺたりと倒し尾も揺らしているとことから相当ご立腹だということが伺える。
どんなに雑な扱いをうけようと不満一つこぼさなかった九重だけに、春呼は目を丸くさせた。
「そんなに食べたかったの?」
「もちろんでございまする」
返事も心なしか暗くなっている。まじまじと横顔を眺めると、覗く金色の瞳が少しにじんで見えた。
「じゃ、じゃああたしの一本あげるから」
「本当でございまするか!」
子供をいじめているような気分になりそう提案したが、予想以上の食いつきに春呼は目を瞬かせた。
「本当に好きなのね」
「はいっ、大好きでございまする! 中でも団子は、あの人が作ってくれたものを食べて以来一番好きです」
「あの人、って?」
春呼が聞き返すと、九重はそっと目を伏せた。楽しそうな子供の表情から一転――優しさと憂いを帯びた、大人の顔になる。
「……九重の過去なんてつまらないと思いまするよ?」
「あたしも話したんだからいいじゃない」
そう言いながら、春呼は手を胸のあたりに持ってきていた。九重は悩むそぶりを見せたが、ゆっくりと口を開いた。
「九重も、ずっと昔はただの下っ端妖怪で、いたずらをしていた時期がありました」
「そうなの?」
「はい。それで、まあ……人に、ちょっかいをかけてしまったこともあるのです」
全然想像できない。春呼は続きを促す。
「でも、昔から人は妖に対抗する術を研究していました。それで、しっぺ返しを食らって、ひどい怪我を負ったことがありまする。戦うなんて出来ないほどに追い詰められました」
懐かしいと目を細める九重に、春呼はこんな顔もできるのかと思った。
「――そんな九重を、助けてくれた女性がいました。初めは利用されるのかと思いましたが、彼女は手当てをして、また逃がそうとしたのでする。九重は、彼女の行動が理解できませんでした。今まで、妖は人を襲うもので、人は妖を消すものだとしか思っていなかったで」
恥ずかしい、と九重が眉尻を下げた。
「それで?」と春呼が急かすと、九重は穏やかな顔で続きを語る。優しげなその顔は『彼女』を思い出しているからだろう。春呼は胸のざわつきの理由がわからない。
「その時初めて、人のことを『知りたい』と思いました。まあ、そこから奇妙な縁ができまして、団子やら何やらを教わったのです」
照れたように笑いながら、九重は話を締めた。
「九重という名前も、その人からもらったのでする」
九重の顔がゆるむ。それは、春呼の前では一度も見せたことのない、特別な笑顔だった。彼は、今もその女性のことを大事に思っているのだろう。春呼はどこかがちくりと痛んだ気がした。
……なんでだろ。
「あっ」
九重が声をあげた。春呼はすぐに反応できず、黙って首を傾げる。
「春呼殿の目が、一瞬青くなったでございまする」




