4
家々が塔のように積み上げられた町、ユレクティム。その路地は非常に入り組んでおり、またところどころに階段や梯子がかけられて上下に移動できるようになっていた。ここに暮らすには随分と体力を要することだろう。それとも慣れた者はもっと簡単に移動できる道を知っているものなのだろうか?
るうかは頼成のあとを必死で追うように歩き、ときに上り、そして下った。狭い通りに身体をねじ込むようにしながら歩いて、時折見かける町の住人に湖澄の容姿を伝えて知っているかどうかを尋ねた。
「知らねぇな」
8人目に尋ねた顔に傷のある中年の男がそう言って渋い顔をする。
「大体、こんなところに来る賢者なんていやしねぇ。誰が好き好んでこんなならず者ばかりの町で癒しの魔法なんて使うかよ」
「むしろ需要はあるんじゃないのか」
頼成が苦笑いしながら言うと、男も似たように笑って頷いた。
「ああ、喧嘩は日常茶飯事だし、見ての通り汚い町だからな。伝染病で何人も死んだ年だってある。悪いのは俺達だっていう自覚もあるが、まぁ腹の立つときもあるわな」
「治癒術師も賢者も人間だからな。怖いもんは怖いだろ」
「取って食ったりはしないぜ。盗賊街なんて呼ばれちゃいるが、実際ここに住んでいるのは仕事から足を洗った奴や、他の理由で元の場所に住めなくなった連中だ。それこそ伝染病なんかでな。嫌われもんの町なんだよ、ここは」
それでも、そんな町だからこそ生きていける奴もいる。男はそう語ってニヤリと笑った。生きていける場所があるなら、どんな場所だって構わないのだと。
「ま、そういうことだからな。せっかくだから少しばかり町の連中に治癒魔法を使ってくれると助かる。勿論、あんたの身を削るようなでかい術は望まねぇよ」
「ああ、必要そうな奴がいたら声をかけてやってくれ。夕方には中央の宿に戻る」
頼成はそう言って男と別れる。これまで出会った町の人間のほとんどが頼成に向かって似たようなことを言った。“嫌われ者の町”にやってきた賢者に尊敬と期待の眼差しを向け、それでも肝心の湖澄の行方については誰も知らないようだった。
「槍昔さん達は、これまでの町でもこんな風に聞き込みをしていたんですか?」
歩きながらるうかが問い掛けると、頼成は少しだけ彼女を振り返ってああと頷いた。どうやら彼女の知らない間に少しずつ湖澄の捜索を行っていたらしい。教えてくれればよかったのに、とるうかとしては思う。しかしそうできなかった彼らの心境も分からないではない。
「3年間、あちこち回ったんだがな。どこへ行っても知らないと言われた」
頼成は少しだけ疲れた様子で言う。収穫のない捜索だからこそ、なおさらるうかに話すことはできなかったのだろう。その心遣いを思って、るうかは文句を飲み込んだ。
また路地を抜けて少しだけ開けた場所に出る。そこはある建物の屋根の上であり、また四方を他の建物に囲まれた小さな空間だった。そこでるうか達はひどい光景を目にする。
数人の若い男達が、彼らより年下であろう1人の少女を取り囲んでいた。少女が着ている魔術師風のローブはすでに裾を切り裂かれ、その白く細い脚を男達に晒す格好になっている。そして1人の男がローブの胸元に手をかけたところで、頼成が怒号と共に斧槍を振るった。
ばぁん! という派手な音と共に衝撃波が男の頭を打ち据える。闖入者に気付いた男達がこちらを向いた時にはもう頼成は彼らに肉薄していた。近付いてしまえばもう魔法などは必要ない。リーチのある斧槍に対して男達の獲物はせいぜいが小剣程度であり、彼らは頼成の懐に入り込む間もなくその長い柄に打たれてそこらへ転がされる。その間にるうかは少女の元へと駆け寄り、しつこく追い縋ってきた1人の男を勇者の拳で吹き飛ばした。つい加減を忘れたため、男は軽く5メートルは宙を舞って向こう側の家の壁に叩きつけられる。それを見た少女が目を丸くした。
ほどなく男達は口々に捨て台詞を吐きながらほうほうの体でその場を去っていった。少女の口から安堵の息が漏れ、大丈夫かと頼成が彼女に尋ねる。
「はい……大丈夫です」
少女はわずかに頬を染めながら弱々しく微笑んだ。肩より少し下くらいまである髪は鮮やかな桃色をしており、その瞳はまるでアメジストのように透き通った紫色をしている。とても現実にはありそうにない色合いにるうかは少し驚いたものの、夢の中ならありなのかと納得した。
「あんた、ここの町の人間じゃないだろ? 何してんだ、こんなところで。盗賊街に女1人なんて、襲ってくれって言っているようなもんだぞ」
頼成が顔をしかめて言うと、少女は少しだけ俯いて「はい……」と答える。しかし彼女はすぐに顔を上げた。
「でも、私……少しでもここの人達のお役に立てればと思って! ここは神殿の方々も見放した無法地帯です。だから治癒術師も寄りつかないし、きっと困っている人がいるだろうと思って……」
少女は傍らに落ちていた彼女のものらしき杖を拾い、そしてもう一度強い眼差しで頼成を見て口を開く。
「私は魔術師ですけど、今治癒術の修行もしているんです。私程度の力じゃ少しの怪我を治したり、ほんの少し症状を和らげたりすることしかできないですけど、それでも何かできることがあると思って、それでここまで来たんです」
「……」
少女の目は真剣だった。そして彼女の願いはこの町の人々にとっても希望となるものだった。しかし、か弱い少女1人でこの治安の悪い町に踏み込めば先程のような事態になることは必至ともいえる。現実世界というこちらと比較すれば安全な場所で育ったるうかでさえ、彼女の行動は無謀だと感じた。頼成も同じように思ったようで、呆れた表情を隠しもせずに彼女に向かって強い声で告げる。
「無茶だ。あんたのその心掛けは立派だよ。だけどここはそんな甘いところじゃない」
「分かっています。でも……ここは私の母の生まれた町なんです!」
頼成が軽く目を見開く。それから少女が語ったことによると、彼女の母親というのはここユレクティムで薬師をしていた両親のもとに生まれたのだそうだ。治癒術師達が寄りつかない町では薬草などから作った薬の需要が多く、彼女の母親も両親を手伝って忙しく働いていたらしい。そんなある日、それまで住んでいた町を追われたという旅の神官が町を訪れた。彼はいつもたっぷりとした服を着ていて、決して他人に肌を見せなかったという。そしてそのうち彼が夜中にこっそりと彼女の母親のもとを訪れ、その服の下に隠されたものを見せた。
それは鮮やかな赤色にうごめく“天敵”になりかけた身体だった。彼は治癒術師達に授けた祝福のために自らの身体が“天敵”に変わっていくうちに、それを恐れた町の人々から追放されたのだ。彼は駄目で元々とその身体に効く薬はないかと彼女の母親に尋ねた。当然、そんなものはありはしない。そしてそのままでは彼はいずれ全身が“天敵”と化してユレクティムの町の人々を食らうだろう。それは最早逃れられない運命だった。
薬がないことを知った彼は穏やかな顔でその答えを受け入れ、少女の母親に礼を言ってそのまま町を出たのだという。しかし少女の母親はやりきれなかった。人々を救うために神官として治癒術師に祝福を授けた彼が代償として“天敵”となることも、そのために住んでいた町を追われたことも、そして彼自身がこの町に迷惑をかけまいとして1人で出ていったことも。だから少女の母親は神官を追いかけた。
「母はそうやってこの町を出て……その神官と共に各地を放浪したそうです。そのうちに私が生まれて、そして母は私をアッシュナークの大神殿に預けて、自分は神官……父と共にどこへともなく去っていきました。私は両親がその後どうなったのかを知りません。けれど、きっと最後まで2人は一緒だったと思うんです。そう思うことで、両親は不幸ではなかったと思いたかった。そしていつか母の生まれた町に戻って、そこで私も誰かを助けたいと思ったんです」
語り終えて、少女は静かに涙を拭いた。るうかは複雑な思いで彼女を見つめ、頼成もまた同じような面持ちで彼女を見る。
「あんたの事情は分かったよ。……けどやっぱり、1人じゃ無理だと思う。あんた、さっきみたいな男共にいいようにされてもなおこの町の連中を助けたいって思えるか? 無理だろ」
「……はい」
少女は神妙に頷く。だったら、と頼成は優しい声で言った。
「早くこの町から離れて、そして自分の身を大事にしながら暮らすんだな。さっきも言ったがあんたの思いは立派だ。けど、そのためにあんたが自分の身を危険に晒すことはおふくろさんも親父さんも望んじゃいないだろ」
少なくとも、“天敵”となった父親が幼い娘をも捕食することを彼女の両親は望まなかった。だから神殿に彼女を預けて姿を消したのだろう。その思いは勿論彼女にも届いているはずだ。少女は頼成の言葉に頷くと、もう一度目尻に流れた涙を拭った。
それから頼成は少女をアッシュナークまで送り届けることにした。転移術を使うという彼に少女は感嘆の声を上げる。そして何度も感謝の言葉を告げた。
「いや、大したことじゃない。あ、それよりひとつだけ聞いてもいいか?」
「はい、何でしょうか?」
「あんた、どこかで銀髪碧眼で剣を持った若い男の賢者を見たことはないか? この3年くらいの間にだ」
頼成の問い掛けに、少女はその紫色の瞳を大きく見開いた。
「もしかして……“白銀の聖者”様のことですか?」
「っ、知っているのか?」
「はい、あの、その方がそうなのかは分かりませんけど。確かに銀色の長い髪と少し緑がかった青い目をした若い男の賢者様でした」
頼成の顔色が変わる。まさか、という思いでるうかも少女を見た。
「どこで見かけた? いつごろだ?」
「あの……2年くらい前だったと思います。この町で……今日みたいに、私を助けてくださったんです」
「……あんた、前にもこんな目に遭ったことがあったのか」
頼成は呆れたように言ったが、それでもどうやら湖澄らしい人物がこの町を訪れていたらしいという情報の重要さの前にそれ以上何か言うことはしなかった。
「分かった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ……ありがとうございました」
「ったく。もう無茶はするなよ。……じゃあ」
頼成が転移術を使い、少女の姿はその場から消えた。そして頼成は疲れたように溜め息をついて、それでも強い目をして呟く。
「まさかここであいつの話を聞くことになるとはな……。まぁでも、あいつの性格なら来ていてもおかしくはない、か。なぁ佐羽」
振り返る頼成。しかし返る答えはなく、彼は無言で背後の空間を睨んでいる。不思議に思ったるうかも彼に倣って後ろを振り返り、そしてそこに佐羽の姿が見当たらないことに気付いたのだった。
執筆日2013/11/20