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頼成達と静稀の会話はあまり長くは続かなかった。静稀の兄である清隆湖澄は3年前のある日に突然原因も分からないまま身体が動かなくなり病院に運ばれ、その翌日には奇跡的に快復した。実際には夢の世界で彼の身体が魔王の呪いにより石化し、その夜の夢でそれが解かれたために現実でも快復したということになる。そして静稀とのやりとりで新たに分かったことと言えば、退院した湖澄は真っ直ぐ家に帰らず学校に寄ると言って迎えに来た家族と別れ、それ以降の足取りを絶ったということだけだった。
静稀の話を聞いた輝名は「なるほどな」と言ったきり何も言わなかった。頼成達はそれすらも言えず、ただ黙りこくっていた。しばらくして佐羽が静稀に向かって「辛いことを思い出させちゃってごめんね」と優しく声を掛け、それに対して静稀は小さく首を横に振った。
そして彼女はそのまま席を立つと、自分の分の飲食代をテーブルに置いて黙って店を出ていった。理紗が慌てて後を追い、るうかだけがそこに残る。いいのか? と頼成がるうかに尋ねた。
「いいんです。私が追いかけても……多分意味ないですから」
知らなかったんです、とるうかは言った。何も知らなかった。静稀とは中学校以来ずっと親しくしていたというのに、彼女の兄が失踪していたことすら知らずに彼女に接していた。そのことがひどく後ろめたくて、るうかはじっと座っていることしかできなかった。頼成はそんなるうかの頭をいつものように撫でて言う。
「あんたがそんな顔することはねぇよ。3年前、あんたはものすごい覚悟で湖澄を助けに来てくれたじゃねぇか。……その後のことを話さなかったのは俺らの責任だ。悪かった」
「いつかは伝えようと思っていたんだけど、ね。湖澄の妹さんとは友達だっていうから、どうやって伝えたらいいか少し悩んでいたんだ。そうしたら今日、偶然にみんなで出会っちゃったんだけど」
ごめんね、と佐羽も言った。るうかは首を振り、それから輝名を見る。
「輝名さんも、静稀ちゃんのお兄さん……湖澄さんのことを知っていたんですね」
すると輝名は口元をわずかに歪め、皮肉めいた笑みを浮かべて答える。
「ああ、勿論だ。こいつらよりもよく知っているくらいだぜ。何しろあいつは俺の左腕を斬ってくれた張本人だからな」
るうかはまたも衝撃を受けた。輝名の左腕は夢の中の世界において失われており、そのせいか現実でも肘から先が完全に麻痺して動かないのだという。麻痺した腕というものは相当に重いらしく、三角巾などで吊っておかないと日常生活にも色々と支障があるそうだ。定期的に病院に通ってはいるが、そもそも夢の世界では肘の上から先が完全に失われた状態であるため、いくらリハビリをしたところで感覚が戻るわけではないのだと輝名は言った。
その輝名の左腕であるが、失われた経緯についてはるうかも彼本人から聞いて知っていた。夢の世界では神官である彼は、ある賢者に祝福を与えることでその賢者による治療が患者の“天敵”化を引き起こすことを防いでいた。しかしあるときその代償として彼自身の左腕が“天敵”と化した。それを知った賢者は彼の元にやってきて、その左腕を一刀の元に断ち切ったという。しかしまさかその賢者というのが静稀の兄だったとは。
「湖澄さんって、すごい人だったんですね」
るうかは呟くように言い、頼成がそうだなと頷く。そして彼はそのままごく平坦な調子で言葉を続けた。
「3年前、あんたが来てくれて湖澄が助かった後……俺も佐羽もすっかり気が抜けちまってそのまま寝ちまったんだ。目が覚めたら現実で、当時の俺達は湖澄の居場所も何も知らなかったからあいつがこっちでも助かったのかなんて全然分からなくてな。それでその晩、夢の世界で目を覚ましたら……あいつはもうどこにもいなかった。書き置きも何も残さないで、挨拶ひとつしないで、あいつはどっかに消えちまったんだ。それ以来……俺達は各地を巡ってあいつの足取りを探した」
「るうかちゃんのいた研究所と行き来しながらね。そのためにも頼成は転移術その他もろもろの上級魔法を習得して賢者になったというわけ。でも、いまだに手掛かりひとつ掴めていないんだ」
佐羽が補足し、るうかと輝名はなるほどと頷く。輝名は輝名で彼の腕を斬って以来姿を見せなくなった湖澄の足取りを独自に調査していたとのことだが、やはり成果は得られなかったらしい。
「夢の中での調査も限界があるように思えてな。それでいい加減こっちでも情報交換をしようってことで今日は集まったんだが……結局目新しい話はなかったな」
ソファに背を預けて顔をしかめる輝名に、そうでもないよと佐羽が微笑む。
「彼の妹である静稀ちゃんから直接話を聞けたのは大きい。彼はこっちでの大切な家族にすら何も言わずに消えたんだ。そこにはきっと深い訳があるんだと思うよ」
「家族、ねぇ」
「輝名だって、そういう意味でも湖澄が大切なんでしょ?」
「……」
珍しく輝名がふてくされたような顔で沈黙した。意味が分からず戸惑うるうかに、隣から頼成が事の次第を教えてくれる。
「輝名と湖澄は、あっちの世界じゃ血の繋がった兄弟なんだよ。さっき妹さんが輝名を見て驚いてただろ? あいつと輝名はそれくらいそっくりだってことだ」
「えっ……そうだったんですか」
夢の中と現実では家族の繋がりも異なるらしい。そう言えばるうかは夢の中で両親に会ったことはないし、彼女の両親もまた続き物の夢を見るというようなことはこれまで一度も言っていなかったように思う。以前佐羽が説明してくれた現実と夢との関係は、つまり一部だけが重なり合った2つの円のようなものであり、どちらの世界にも存在する人間もいればどちらか一方にしか存在しない人間もいるのだということだった。だからたとえ家族であっても夢と現実ではその関係が異なるということか。
「湖澄さんも、輝名さんみたいな綺麗な銀髪だったんですね」
るうかは静稀の容姿を思い浮かべながら呟くように言う。彼女は癖のない黒髪で、瞳もほとんど黒に近い茶色をしている。彼女の兄である湖澄の容姿が輝名のような銀髪碧眼であるなら、随分と似ていない兄妹ということになるだろう。不思議なことも起こるものだ。
「まぁ……湖澄にとっては俺よりもあの子の方がよほど大事な家族だっただろうよ。“天敵”もいない代わりに治癒術もないこの世界で、あいつは妹に何かある度に真剣な顔で心配していた。それこそ俺達がまだ中学生だった頃から……妹が熱を出したと言っては1日中そわそわして。『こういう時はスポーツドリンクとかを買っていったらいいのか?』なんて俺に聞いてきやがった。そんなに心配なら早退しろよって言ってやったら本当にしやがって。全くあいつはとんだ妹馬鹿だった」
「お前、こっちの世界でもあいつと交流があったのか……」
輝名が語った内容に対して頼成が少しばかり呆れたように言う。どうせならもっと早く教えてほしかったといったところだろうか。そんな彼の内心に気付いてか、輝名はフンと鼻を鳴らして頼成を睨む。
「鈍色の大魔王直属のてめぇらに気安く情報をくれてやるほど呑気じゃねぇんだよ、俺は」
「でもこの間の神殿襲撃でそうも言っていられなくなった。……ってところかな?」
夢の中では黄の魔王と呼ばれる佐羽がふんわりとした笑みを浮かべて輝名を見やる。輝名はその可愛らしくも物騒な笑顔を前にわずかに眉を動かして肩をすくめた。
「3年だ。3年も手掛かりが掴めないとなると、さすがの俺もちっとは焦る」
「ふふ、そういうことにしておいてあげる。実際、俺達もそういう思いはあるからね」
佐羽の言葉にはいつも本音と建て前が同居している。そのふわりとした笑みを浮かべているときはいつもそうだ。穏やかで人好きのする笑顔を盾にして、彼は己の中の様々な心を守っている。
「それにしても……まさかお前が星央に通っているとは思わなかったぞ」
頼成がアイスティーを口にしながら言った。一口飲んで、少しだけ顔を歪めてガムシロップを入れる。綺麗な琥珀色をしたお茶をストローで混ぜ、さらに一口飲んだ。まだ少し物足りない顔をしている。彼は相当の甘党だ。そんな彼をつまらなそうに見ながら、輝名はどうでもいいことのように言う。
「この世界じゃ学歴が結構な力を持つらしいじゃねぇか。俺みたいに身体を使った仕事が難しい奴はなおのことだ。食うためには知恵をつけるしかねぇ」
「湖澄も星央だったのか?」
「ああ。本人は公立に行く気だったが、両親が猛烈に後押しして星央を受けさせた。元々頭のいい奴だから試験そのものは楽勝だったろうよ。その恩を返したい、なんてことも言っていたな」
「そっか……」
結局2つ目のガムシロップをグラスに注ぎながら、頼成は遠くを見る眼差しで呟く。
「あいつはそんな風に、この現実の世界で生活していたんだな」
頼成と佐羽はるうかの高校の卒業生だという。この辺りの公立高校の中ではそこそこ上のランクに位置する学校ではあるが、当然ながら輝名の通う星央高校とは比べ物にならない。しかしるうかに言わせてもらえば頼成達だって相当のものだ。何しろこの界隈では並ぶもののない難関の春国大学に現役で入学しているのだから。
るうかはそれ以降もほとんど何も話すことができず、頼成達の会話を聞くばかりだった。
執筆日2013/11/16