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同じ夜の夢は覚めない 2  作者: 雪山ユウグレ
第10話 夏の盛りに夢は続く
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2

 カチン、という音と共に阿也乃は大きな口を開けて笑いながら拳銃を下ろした。

「ははははは! いいぜ、るうか。お前、今一瞬たりとも俺から目を逸らさなかったな。ただの女子高生とは思えない胆の据わり方だ。あいつらと行動を共にして死線を潜り抜けただけのことはある。それとも元からそうなのか? 治癒術師るうかもまた、今のお前のように現実を真っ直ぐに見つめることのできる恐れ知らずの目を持っていたというのか? だとすればお前は俺の想像を超えた逸材だ」

 るうかは答えず、わずかに詰めていた息を吐く。この一瞬の緊張感はただごとではなかった。しかしるうかは何となく、阿也乃がここで自分を殺すことはしないだろうと考えていた。確証があるわけではない。浅海柚橘葉による拉致という強硬手段を経験した後で言うのもおかしな話だが、るうかは現実的に楽観的なものの見方をしていただけなのだ。現代日本で拳銃による殺人など滅多に起こるものではない。ましてや、ただの女子高生であるるうかがその犠牲者になるなど。その“常識”がるうかを大胆にさせた。

「この世界で自分が死ぬなんて、今の私にはまだ実感が湧かないだけです」

 るうかは正直にそう告白し、わずかに視線を下げる。

「でもだんだんとそれも分からなくなってきています。この世界は私にとっては現実ですけど、槍昔さん達にとっては違うんですよね。だから私はときどき、どっちも現実のような気がしてしまうんです」

 それは今からひと月半前に阿也乃から予言されたことでもあった。あの日、初めてるうかの前に現れた柚木阿也乃という女性は彼女に向かってこう言ったのだ。「だがそのうちに境目が分からなくなる。夢も現実も目を閉じてしまえば一緒さ。どちらを、どちらと思い込むかだ。その選択が重要になる」と。当時のるうかには分からなかったが、今になってみればそれが本当のことだったと実感できる。

 阿也乃はそんなるうかを意外と優しい目つきで見ると、ふふんと楽しそうに鼻を鳴らした。

「どっちも現実、か。それはまた残酷な答えだ。そしてそれをごく当たり前のように舌の先に乗せることのできるお前はやっぱり稀有な存在だ」

「そういうものなんですか」

「寝ても覚めても現実に生きなくてはならないというのはひどく忙しいことじゃないのか? お前が自分で言ったように、現実の世界では自分が死ぬという究極の恐怖を受け容れられないのが道理だ。だがお前はお前にとっての夢の世界で一度“死”を経験し、別人として蘇った今もなお死と隣り合わせになる経験を幾度もしている。それでいて、その夢を現実に近いものと認識することがあるというなら」

 阿也乃はソファから立ち上がると、身を乗り出してるうかに顔を近付けた。いつかも嗅いだミントの匂いと阿也乃の白い肌、そして青く鋭い瞳がるうかの感覚を覆い尽くす。

「お前は案外、佐羽や頼成よりも俺達に近い存在なのかもしれないぜ」

「……」

 るうかは何も言わず、ただ阿也乃の青い目を見つめ返してその言葉の意味を考えた。鈍色の大魔王という大袈裟な二つ名を持つ彼女は夢でも現実でも滅多に姿を見せることがない。るうか自身、彼女に会うのはこれが二度目である。それほど頻繁にこの建物に出入りしているわけではないものの、いつも来る度彼女は留守だと言われた。そして彼女と同じく“一世”と呼ばれる存在である浅海柚橘葉もまた、鼠色の大神官という夢の世界での肩書を持ってはいるもののそちらの世界では一度たりともお目にかかったことがない。彼女達の目には一体どちらの世界が“現実”として映っているのだろう? 阿也乃はそんなるうかの内心を見透かしたように言う。

「俺達“一世”にとっては夢も現実もない。どっちもただの世界で、遊戯の盤面に過ぎない。駒を置くのは俺達だが、駒がどっちにひっくり返るかは最終的には駒次第だ。どちらを現実として選び取るか、その選択が駒にとっての唯一の役割で義務になる。俺達は互いに手を出し合って駒の選択を誘導する。俺達の遊戯はそういう質のものだ」

 阿也乃の吐息がるうかの唇にかかる。鼻先が触れ、阿也乃の左手がるうかの後頭部を後ろから支えるように押さえる。

「その遊戯の盤面においてもしお前がどちらも現実だという答えを出すとすれば、それは駒としての破綻だ。もしそうなったときお前は異端になる。“一世”でも“二世”でもないただの人間がそんな選択をできるようなシステムになっていないのがこの2つの世界だ。お前にそれを覆せるか?」

 視界いっぱいの青い目玉がるうかの全てを食らい尽くさんとばかりにぎらぎらと輝いている。阿也乃は何かを期待しているようにも見えたが、同時に威嚇しているようでもあった。るうかはいずれ自分が彼女に殺されるかもしれないと半ば本気で感じる。彼女は浅海柚橘葉より、“天敵”よりもよほど恐ろしい敵になるのではないか。そんな予感がした。

「分かりません」

 るうかは正直にそう答える。どうせ阿也乃はるうかがそう答えるだろうことを見越してこのような脅迫めいた問い掛けをしてきているのだ。ならば素直に答えるより他どうしようもない。

「私は夢の世界のことも、“一世”とか“二世”とかのこともまだほとんど知りません。この世界の……というよりこの街のことだって全然知らないようなものです。そんな私が今何かを選択するとかしないとか、そんな状況にはありません」

「もっともな答えだ」

 阿也乃はそう言って、ふと目を細める。

「だが、俺の目は誤魔化せない。お前はもう異端の入り口に立っている。そこからどう転ぶかはある意味頼成次第なのかも知れないが、どちらにしたって俺はお前を見逃したりはしないぜ」

「槍昔さん、次第?」

「そうさ。恋人なんだろう? くくっ、ふざけた話だが面白い。あの馬鹿真面目な男がお前にどれほど執着しているか、俺にも測りきれないが……展開次第では盤面にすら影響するだろうな。ゆきの奴もそれがあるから頼成にちょっかいを出してきやがったんだろう」

「……」

「なぁ、るうか」

 名を呼ばれ、るうかは返事をしようとわずかに唇を開いた。そこにねじ込むようにして阿也乃が口付けてくる。突然のことにるうかは抵抗できず、ただただ背筋を駆け抜ける悪寒に耐えた。呼吸さえ奪われて数秒、るうかの体感では数十秒。やっと解放された途端にるうかはソファに倒れ込んだ。うまく息を吸うことができずに咳き込む。阿也乃はそんなるうかを愉悦に満ちた目で見下ろしている。

「もしお前を殺す時には、こういう趣向も面白いかもしれないな」

「……悪趣味、ですね」

「そうか? 俺は可愛いものが好きだぜ。佐羽もそうだが、お前もなかなか可愛い部類に入るだろ。性別なんて俺には関係ないさ。可愛いものを愛で、壊すのはまさに快感だ。病み付きになる」

「落石さんも壊すってことですか」

 思わずるうかは阿也乃を睨んでいた。その視線を受けてなおさら阿也乃は嬉しそうにニヤニヤと笑う。

「あいつはもう充分に壊れているさ。お前はまだ知らないのかもしれないが、あいつは俺にとって本当に役に立つ優秀な駒だ。この世界の希望をひとつひとつ確実に、そして限りなく残酷に、優しく摘み取っては散らしていく。なぁるうか、今までにあいつが自殺に追い込んだ人間の数を教えてやろうか?」

 テーブルを乗り越え、阿也乃がソファの上のるうかに覆い被さる。再び近くなった吐息にるうかは顔を背けて抵抗した。阿也乃はそんなるうかの手首をがっちりと掴むと、その耳元に囁く。

 るうかの頭の中で、何かが割れる音がした。


 それからどうしたのだったか。るうかは阿也乃の家から飛び出し、走った。身体を走り抜ける怖気が止まらない。目の端から涙が零れていることにも気付けない。どこへ向かって走っているのかも分からない。ただただ恐ろしくて、何が恐ろしいのかも分からなくて、るうかはひたすらに走って走って走り続けた。耳の奥に阿也乃の笑い声が響いている。鼻の奥に彼女の吐く息の匂いが沁み付いている。喉の奥にミントの味を感じる。全てがるうかに悪寒と吐き気をもたらす。耐えきれず、るうかはたまたま見付けた寂れた公園に駆け込み、そこに無造作に置かれていたゴミ箱の中に嘔吐した。

 酸っぱい液体を吐き出し、味の薄い涙を飲み込み、再び腹の中に溜まっているものを吐き出す。それをしばらく繰り返した後、るうかはぐったりと近くのベンチにもたれて座った。空は青く、夏の陽射しは容赦なくるうかの肌を射す。気温は恐らく30度を超えていることだろう。それでもるうかの肌は粟立ち、寒気で歯がカチカチと鳴る。るうかは自分の身体をぎゅっと抱き締めるようにして恐怖に耐えた。

 しかし、耐えられるはずもない。少し顔を俯ければ再び襲い来る吐き気がるうかに涙を流させる。どうしてこのようなことになってしまったのかと自問し、答えは当然のように返らない。

「助けて」

 ぽつり。るうかは小さく小さく呟いた。周囲には彼女の声を聞き取る人間など誰もいない。るうかもそれを分かった上で言ったのだ。しかし。

 しかしそのとき、るうかの鞄の中で微かに音楽が鳴った。携帯電話の着信メロディなど滅多に弄らないるうかが唯一分かるように設定した、お気に入りの音楽だ。イントロ部分の激しさと、それに反して穏やかなメロディライン。そして強く印象に残るサビが好きだった。似ている、と思ったのだ。

 るうかは震える手で鞄から赤い携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。

執筆日2014/01/03

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