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同じ夜の夢は覚めない 2  作者: 雪山ユウグレ
第8話 重なれど、違う世界
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2

 るうか達がいたのはネグノスの里の奥にある草ぶき屋根の簡素な家だった。湖澄によれば、彼はずっとここで暮らしていたらしい。そして里に癒しの風を吹かせ、結界を張り、そこに暮らす人々の安寧をひたすらに守ってきたのだという。里の住人は彼を聖者と呼び、尊敬していた。しかし同時にその力を恐れてもいたのだそうだ。何故なら彼は何の代償もなく完璧に人の病や傷を癒すことができるのである。誰もがそのことに薄々気が付いていて、そしてその力に頼りたくなる思いと闘っていた。

「俺は本当はこの里にいない方がいい人間だ。それも分かっていた」

 里の中では一番高い小さな丘の上に立って、湖澄はその長い髪を癒しの風に遊ばせる。

「舞場さん、君は勇者としてこの世界で目覚めて何を感じた?」

 湖澄の問い掛けは静かに、しかし重くるうかの心に響く。その響きが収まるまで待ってから、るうかはゆっくりと口を開いた。

「たくさんの怖いものを見ました。初めて人を殺しました。自分にそれができることを知りました」

「“天敵”も人だと言うのか、君は」

「人でしょう。ただ生きたくて、その方法を求めて、うまくいかなかったという人です。でもきっと、そういう人は現実……向こうの世界にもいるんだと思います」

「そうだな。だがあちらの世界ではたとえそうでも人を食らう化け物になることはない」

「ただ苦しんで死んでしまうってことですか」

「……最終的にはそうなる。本当の意味で安らかな死なんてそうそうあるものじゃない」

「だったら、この世界は」

 るうかはそこで言葉を切った。化け物になってでも生きるチャンスを得ることのできるこの世界は向こうの世界よりも良いものだろうか? 人間を食わなければ生きることすらできない化け物になることでその人は救われるだろうか? しかし足掻くことすら叶わない絶望に焼かれながら死んでいくのはどんなに辛いことだろう。るうかもこの世界で何度か死線を潜り抜けてきた。それは向こうの世界、特に日本という比較的平穏な国での日常においては決して体験できないことだったろう。だから比べて考えてどちらが良いと簡単に答えを出すことはできない。どちらの世界にも理不尽な死はある。この世界には化け物になってでも生きるチャンスがある。向こうの世界にはそれがない代わりに化け物にならずに独り死んでいくというチャンスがある。人間のままでいられる。

「なんだか、分からなくなりました。私がこの世界で感じたのは……この世界も向こうの世界も、似ているということ。そして違う部分もたくさんあるってことです。それでも人間はどちらの世界でも生きているってことです」

「率直な意見だ。見たままを述べただけとも言える」

「私にはそれがいいか悪いかなんて分かりません。この世界で生きている誰もが1人1人違う答えを持っているはずです。私が感じたのはそういうことでした。それはきっと、向こうの世界も同じです」

 るうかがそう言った後、湖澄は少しの間沈黙していた。目映いばかりの星明りが死を待つ者の里を華麗に照らしている。るうかは何となく空を見上げ、それがまるで向こうの世界での街明りのように見えることに気付いた。うんと手を伸ばせば届きそうで、それでもこの世界と向こうの世界は個人の夢によって隔てられている。

「君の目にはどちらの世界にも相応の価値が見えるのか」

 湖澄が口を開いた。難しい言い回しに、るうかは首を傾げる。すると湖澄は少しだけ微笑んで言葉を変える。

「君はどちらの世界でも生きていたいと思うのか」

「はい」

 今度はるうかも即答することができた。向こうの世界ではせっかく生まれた命、こちらの世界ではせっかく拾った命だ。どちらも大切にしたいと思うし、生きていたいと思う。そして今、その希望を形作る要素の中には間違いなく頼成達の存在が含まれている。

「さっき浅海さんと戦った時、本当にもう駄目かと思いました。この世界で死んでも私は向こうの世界では生きていられます。でももしかしたら、3年前に湖澄さんのことを忘れてしまったみたいに槍昔さん達のことも忘れてしまうかもしれない。死ぬことの怖さよりも先にそれを考えました。今の私にはどっちの世界にも大事な人がいます。だから、どっちも大事な世界なんです」

「たとえそれが命のために命を犠牲にする世界でも。あるいは窮屈で退屈な論理と一部の生まれの良い人間だけの希望ばかりが通る不公平がまかり通る世界でも、か」

「あんまり難しいことは分かりません。でも、今私はどっちの世界でも生きていたいです」

 そうか、と湖澄は考え込むような調子で頷いた。そして再びの沈黙の後でゆっくりと口を開く。

「俺と輝名は“二世”と呼ばれる、少し特殊な人間だ。もっとも、役割が振られているというだけで君達と何ら変わりはない。だから祝福を授ければ自らが“天敵”になる恐れがあるし、呪いを受ければ石化する可能性がある。その人間の瞳でこの世界を見ることが俺達に課せられた役割だった」

 彼はネグノスの里全体を見渡すようにしながら続ける。

「一体誰がこの“勝負”を始めたのか。それは俺達の口から語ることはできない。だが“一世”である柚木阿也乃と浅海柚橘葉(ゆきは)はその定められた勝負を遂行しなくてはならない。この世界と向こうの世界、どちらがより人々に選ばれる仕組みを持つ世界なのか、それを選定しなければならない」

 勝負とは本来公正であるべきだ。彼はそう言って虚空を睨みつける。

「“一世”は人間を殺すことを禁じられている。それはアンフェアだからだ。だが配下を使って殺人を犯せばそれは規約上では違反にならない。それでも、俺達“二世”は勝負を見届ける役割を持つ者として判断を下すことができる。“それは公正な手段ではない”と」

 そして湖澄はるうかを振り返る。

「今回浅海佐保里が君や頼成を直接狙ったことは勝負において不正と見なすことができる。その咎によって浅海柚橘葉の行動に制約を設け、向こうの世界で囚われているだろう頼成を救う手段を講じる。君は今夜の夢から覚めた後、落ち着いて吉報を待っていてほしい」

 一瞬、るうかは言われた言葉の意味を理解することができなかった。湖澄の物言いは難しい。しかしゆっくりと彼の言葉を反芻してみればつまり、彼もまた現実世界での頼成救出に力を貸してくれるということに違いなかった。るうかは思わず彼に向かって頭を下げる。

「よろしくお願いします。私は……向こうの世界ではただの女子高生で、きっと何の役にも立てないから」

 すると湖澄はるうかに頭を上げるように言った。そして彼は彼女の瞳を覗き込むように見て、わずかに微笑んで告げる。

「確かに君は向こうの世界では戦う力も権力も持たない少女に過ぎない。だが、何の役にも立てないなんていうことはない。現に君は、静稀(しずき)を支えてくれた。俺が逃げ出した後、あいつはきっと随分深く悩んだだろう。余計なことにまで気を回して辛い思いをしただろう。だが君がいてくれたから、あいつは独りではなかったはずだ」

 湖澄の声にはこれまでにない温かさと切なさが込められていた。彼の現実世界への思いは強い。静稀は彼が血の繋がりのない兄であることを知って、確かに苦悩していた。しかしそれは彼を思うが故に諦めきれない気持ちを整理するために血縁関係がないことを言い訳にしようとしている自分への戒めによるものだった。そして彼女は3年前からずっとるうかに感謝し続けてくれていた。

「湖澄さん」

 るうかは一抹の希望を持って湖澄に語り掛ける。

「静稀ちゃんのところに……戻ることはできないんですか?」

「……」

 湖澄は少しだけ目を伏せ、小さく首を横に振る。

「清隆の家族に迷惑を掛けたくはない。さっきも言ったように、俺も普通の人間だ。向こうの世界ではただの若造に過ぎない。万が一何かあった時に家族を守りきることなんてできないだろう」

「だったら……せめて、声だけでも。電話だけでもしてあげられませんか? 静稀ちゃんはずっと悩んでいたんです。あなたが本当のお兄さんじゃないことを知ったことで、自分を責めているんです。だから、湖澄さんの口から言ってあげてほしいんです」

「俺が、今更あいつに何を」

「ただ家族として、自分は元気だって伝えるだけで充分ですよ……」

 るうかの耳に、電話の向こうから聞こえた静稀の声が蘇る。3年という時間の中で自分の気持ちに折り合いをつけてきた彼女のことだ。もし湖澄の声を聞けばその均衡が崩れてしまうかもしれない。永久に何の連絡もないままの方が穏やかなのかもしれない。それでも、それでは静稀にしろ湖澄にしろすれ違ったままだ。

「そういうものなのか、家族っていうのは」

 湖澄はぼんやりと里の家々を眺めながら呟くように言った。るうかはそこまで自信があったわけではなかったものの、敢えて強く頷いた。湖澄はそれを見て小さく首を傾げながら溜め息をつく。

「前も思ったが、君は不思議な子だな」

「……そうですか?」

「ああ。この互いに重なり合っていて、それでいて全く異なる理で動く2つの世界にいて、その目が揺れることがないのは不思議だ。何が君をそんなに確かにさせているんだろうかと、興味さえ湧く」

 湖澄の緑がかった淡い青色の瞳がこれまでにない程優しく細められている。その顔立ちは輝名と本当に瓜二つだが、2人から受ける印象は全く異なる。輝名が太陽のようにギラギラと輝いて周囲を圧倒するのに対して湖澄は静かな月のように人の心の深いところを照らし出す光を放っているようだ。湖澄の銀色の長い髪が星の光に煌めきながら風に流れる。月のないこの世界で、彼を月にたとえる不思議にるうかはふと可笑しさを覚えた。自然に持ち上がった彼女の口角が、湖澄の表情をさらに変化させる。

「笑うと可愛いな、君は」

「え」

「あまり表情の変化が見られなかったから、なおのことそう感じるのかもしれない。君の笑顔はとても素敵だ」

「は」

 いきなり何を言い出すのだろうか。湖澄は柔らかく微笑んだ瞳で、とても安らいだような表情でるうかを見つめながらそんなことを言ったのだ。まるきり口説き文句のようなそれが、どうやら湖澄にしてみれば率直な感想であるらしい。何にしろ、それは深い意味もなく女性に向けるべき言葉ではないだろう。あらぬ誤解を招く恐れがある。

 そう、たとえば何やら猛然とこちらに向かって掛けてくる、つい先程まで貧血でふらふらしていたはずの青の聖者がそうであるように。

「……湖澄ぃ! お前っ、何言って……!」

 息せき切って駆けてきた頼成が強面をさらに凶悪なまでに歪めて湖澄を睨んだが、彼は不思議そうに頼成を見るばかりだった。

執筆日2013/12/21

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