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波打つ銀色の髪が長く風になびいている。吊り気味の目は確かに青く、そしてどこぞの神官によく似ていた。羽織った黒いコートの裾は6枚に分かれており、その1枚1枚が翼のように風にはためく。
「天使……」
るうかの腕の中でミライがそう言って笑う。銀色の髪をした天使は彼のもとにやってきて、その顔を覗き込むようにして見た。
「久し振りだな、未来」
「うん、よかった」
「よかった?」
「もうじきだろうなー、って思ってたからさ。俺、死ぬんだろ? だからその前にあんたにも言っておきたかった。ありがとう」
天使がわずかに表情を動かす。鋭い瞳にほんの微かな笑みが混じる。
「そう言ってもらえると俺も嬉しい。未来、心残りは少しは軽くなったか?」
「少しだけどな。でもあのまま終わるよりずっとよかった。結構楽しかったよ。あと、今日は魔王と勇者にも会えたし。これって結構すごいことだよなぁ」
「ああ、ここに来る旅人は珍しいからな」
「だよなぁ。あ、ルウカ」
急にミライがるうかを見て、それからニッと悪戯っぽく笑った。
「さっきはまぁまぁって言ったけど、あんたそれよりずっと可愛いよ。俺が元気だったら付き合いたかったなぁ。ね、彼氏いるの?」
「い、いますよ」
そういう話をしている場合なのかと思いつつるうかは思わず正直にそう答えた。するとミライはますます面白そうに笑って、そして少しだけ残念そうに言う。
「なーんだ、売約済みかぁ」
「売約って」
「俺、本当は定基未来っていうんだ。あんたさ、ちょっとの間でいいから俺のこと覚えててよ。そうしたら俺……大分満足」
そう言ってミライはるうかの腕の中で最後の力を振り絞り、その身体を持ち上げた。そして彼はるうかの肩に手を回し、その頬にごく軽く口付ける。羽根が触れるような微かさで、それでも焼けるような熱を持った彼の最後のキスにるうかは何も言えず、ただその細すぎる身体を抱き締めた。
熱かった少年の身体が嘘のように冷えていく。るうかと佐羽、そして彼が天使と呼んだ青年に見守られて少年はその夢を閉じた。浮気しちゃったね、と佐羽が言う。そうですね、とるうかも答える。そして2人は天使と呼ばれた青年を見やった。
「やあ。久し振りだね、湖澄」
「ああ……よくここまで来られたな、佐羽。それに舞場さん」
そう言って清隆湖澄はるうかの腕からミライの身体を受け取り、抱え上げる。
「少し待っていてくれるか。未来を送ってくる」
「分かった。どこで待てばいい?」
「最初にセイマさんが通した詰所があるだろう。あそこで待っていてほしい」
「了解。気を付けてね」
慣れた調子で言葉を交わし、湖澄は一旦2人の元を離れていった。
夕刻になり、里に入ってすぐに連行された詰所で湖澄を待っていたるうか達の元にセイマがやってきて簡単な夕食を振る舞ってくれた。それを食べている間にやっと湖澄が入ってくる。おかえり、と佐羽が言った。
「……すまなかったな」
湖澄は開口一番にそう言うと、床に膝をついて佐羽に頭を下げた。佐羽は野菜スープをすすりながら面白くなさそうにそんな友人を見下ろす。
「謝るくらいなら、最初からやらなきゃいいじゃない。なんで俺達に何も言わないで出て行ったりしたの?」
「……」
「……ま、今はそんなことどうだっていいんだけどね」
スープを飲み干すと、佐羽はじろりと湖澄を睨んだ。そしてほとんど脅しつけるような目をして彼に詰め寄る。
「頼成がいなくなった。どうもさらわれたみたいだ。怪我をしている。最後に足取りが確認できたのはこのカードの座標。それ以外に手掛かりは見付かっていない。現実世界でも彼は姿を消している。君に彼を捜すための力を貸してほしい。いや、何が何でも協力してもらうよ、湖澄」
緑に作ってもらったカードを湖澄の目の前に突き付け、佐羽は有無を言わせぬ勢いでまくしたてる。湖澄はじっとカードを見つめながら佐羽の話を聞いていたが、そのうちにるうかの方へと視線を向けた。
「舞場るうかさん、で間違いないか」
緑がかった青い瞳にひたと見据えられ、るうかはわずかにどぎまぎしながら頷く。
「はい、そうです。あの……お久し振りです」
「俺のことを覚えているのか?」
「いいえ……でも、3年前のことは槍昔さんから全部聞きました」
「そうか」
わずかに眉をしかめて頷き、湖澄はほんの少しだけ肩を落とす。
「舞場さん、君にまた会えて嬉しい。頼成のことは勿論協力する。居場所を特定するのには、おそらくそう時間はかからないだろう」
「本当ですか?」
るうかの声に混じった喜色に気付いたのだろう、湖澄は大きく頷いて微かに笑う。
「ああ。……君は頼成と仲がいいのか?」
「えっ」
「とても不安そうな顔をしているからな。佐羽以上だ」
どうやらこの湖澄という青年はその澄んだ青い瞳でよく人を見ているらしい。同じ目をした輝名にも似たような部分があった。おまけにこうして対面してみると確かに彼らはよく似ている。静稀が輝名を見て驚いたのも無理はないだろう。しかし彼らにはどこか決定的に異なる部分があることもまた確かだった。それが何であるのか、そこまでは今のるうかには分かりそうにない。
「るうかちゃんは頼成と付き合っているんだよ」
佐羽が今言わなくてもいいようなことを敢えて口にする。るうかは赤面するが、湖澄は「そうか」とひとつ頷いただけだった。彼があまりにも自然に頷いたので、るうかは思わず彼に尋ねてしまう。
「あの、驚いたりとかはしないんですか」
「いや。俺はあまり君のことを詳しく知っているわけじゃないが、君と頼成ならお似合いだと思う」
「ふえっ」
「君のことはよく静稀から聞いていたからな」
妹の名前を呼んだ時、湖澄の表情が和んだ。それは紛れもなく家族を恋しがる顔で、それでも彼が姿を消さなくてはならなかった理由があるのだと推測させるには充分な切ない表情だった。佐羽が溜め息をつきながら湖澄に言う。
「もういいよ、詳しい話は後でたっぷり聞かせてもらうから」
「ああ。今は頼成の行方を追うことが先決だ。……おそらく、お前達がネグノスに導かれたのはそのためなんだろう」
「君に会うため、ってこと? あの銀色の花は君が咲かせたの?」
「いや、違う。あれは……」
湖澄がそこまで言ったとき、建物の中にセイマが入ってきた。彼はオレンジ色の目を細めながら「あの花はボクの仕業なのです」とまるでとっておきの秘密でも語るかのように楽しそうに言う。
「ボクはこの里を管理するよう、とても尊い方から委託されているのです。ネグノスに集うのは残されたわずかな時を穏やかに過ごしたいとささやかな希望を抱く人々です。現実の世界では未だ全ての痛みや苦しみを取り除くことはできません。身体の苦痛だけではないのです。死への恐怖、病と闘うことでの疲労、それら心の痛み。そして病のために働くことができないにも関わらず治癒術師や薬師に払う大金を工面しなければならないという経済的、社会的な苦痛。さらには自分がこの世界で生きてきたことの意味、死んでゆくことの意味を根本から問い詰められるような、人生の命題と直面しなければならないという苦しみ。あらゆる苦痛が病に冒された人々を虐げます。ボクがこの里でできることは、そんな人々の辛さをひととき忘れさせてあげることです。そうして彼らが心穏やかに残りの生を全うし、最後にこの世界で過ごしたことを後悔しないよう願うのです」
セイマは自分の胸に手を当て、一言一言を噛み締めるように語った。そしてわずかに照れ臭そうに頬を染めながら微笑む。
「と、理想はこのようなところなのですが。なかなかうまくはいかないものです。そこで湖澄くんにも長いこと手伝ってもらっていました」
「里の人が聖者と呼んでいるのはあなたのことなんですか? それとも湖澄?」
「ボクはただの長です。一応治癒術の心得はありますが、湖澄くんにはとても敵いません。何故なら彼の魔法には危険がないから……人の細胞を作り変えて“天敵”へと変貌させてしまうことのない完璧な治癒術を彼は扱うことができるからです。そんな彼を、人々は聖者と呼びました」
そう語るセイマの横で湖澄は難しい顔をして黙っている。なるほどね、と佐羽は口元を歪めながら頷いた。
「まるで頼成と一緒だ。石化の解けた賢者の血にはやっぱり異形細胞を排除する力があるんだね」
「……頼成もそうなったというのか?」
湖澄が大きく目を見開き、眉根を寄せた。るうかは佐羽と共に頷く。そして彼に赤い刃を持つカタールを見せた。
「これは私の血から作られた剣です。先月、アッシュナークの大神殿で神官の皆さんが一斉に“天敵”化するという事件がありました。槍昔さんはそこで怪我をした人達の手当てをして、そして石になったんです。私はこの剣で槍昔さんを刺しました」
「あいつね、君がいなくなった後で賢者になったんだよ。元々才能はあったわけだしね。でも俺はあいつに君みたいになってほしくはなかった。だからゆきさんに頼んで魔王にしてもらって、あいつに呪いをかけたんだけど……結局は逆効果だったってわけ」
「……そうだったのか」
湖澄はるうか達の語った内容を噛み締めるように一度瞳を閉じ、そっと身体の前で両腕を組んだ。しばらくの沈黙の後、彼は目を開いて顔を上げる。
「そういうことなら、頼成の連れ去られた場所には心当たりがある。探査魔法を使うまでもない。お前達をここから直接その場に送るから、どうかあいつを助けてやってほしい」
「……湖澄、それって一体どういう意味……」
「善は急げだ」
そう言うと湖澄は佐羽の問い掛けを無視して立ち上がる。佐羽は慌てて彼に掴みかかろうとした。湖澄は黙ってその手を振り払うと、るうかには聞き取ることのできない言葉で呪文を唱える。
「湖澄! どうして君はいつもそうやって大事なことを言わないんだよ!!」
佐羽は最後の足掻きとばかりに叫んだが、その声が湖澄に届くより早く彼の姿はるうか達の視界から消えていた。
執筆日2013/12/09