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白銀の花が示す道はどこまでも真っ直ぐに続いている。途中、佐羽は男にいくつかの質問をした。そして返ってきた答えから察するに、この道は彼ら親子が住んでいた町からずっとこのように真っ直ぐで、一度も曲がったりはしなかったようだ。それでいて途中で他に人の通る道と交わることもなく、また途中で他の村や町に辿り着くこともなかった。そしてるうか達以外の人間や、野生の動物、“天敵”に会うこともなかった。
「普通の道ではないんだろうね」
佐羽はるうかにだけ聞こえるように言う。
「もしかしたら……本当にもしかしたらだけど、湖澄もこの道に導かれてどこかへ行ってしまったのかもしれない。だとしたら、その“楽園”に行けば湖澄に会えるのかも」
「もしそうなら、きっと槍昔さんの居場所も探せますね。湖澄さんは腕のいい賢者だったんでしょう?」
「ああ、そうだね。湖澄なら頼成の居所くらい分かりそうだ。……そううまくいけばいいんだけどね、本当に」
あまり期待はしていない様子で、それでもわずかな希望に縋りたいと思っている表情で、佐羽は小さく首を振りながら溜め息混じりに言う。先を歩く男がそんな佐羽を振り返った。
「君達は道に迷ったみたいだけど、こんな何もないところへ一体何をしに来たんだい?」
その問い掛けに、るうかは佐羽の代わりに答える。
「いなくなってしまった大切な人を探しに来たんです」
すると男はそうかと大きく頷いて、それから少しだけ悲しそうな目をした。
「それは辛いね。大切な人がいなくなってしまうのは、とても辛い」
男があまりにも実感を伴った様子でそんなことを言ったので、るうかは少しだけ黙ってしまう。そうしているうちに男は自分から話し始めた。
「僕達もね、大切な人がいなくなってしまったことがあるんだ。母さん、父さんのことをこの子達に話してもいいかい?」
男が問うと、彼の母親はゆっくりと頷いた。そして男は再び口を開く。
「僕の父は、僕がまだ君達くらいの年だった頃に重い病気に罹ったんだ。原因は分からない。ある日を境に少しずつ身体が動かなくなっていって、最後には目玉を動かすのがやっとなくらいになってしまった。それが大体ひと月くらい前のことだったかな。僕も母も、父はもう助からないって分かっていたよ。でも、そんな時に町に珍しく治癒術師の人がやってきたんだ。旅をしながら色々な町で重い病気の人を治しているっていう人でね、神殿で祝福を受けているから石化もしない、だから安心して治療を任せてほしいって言われて……僕も母も、父が助かるかもしれないって思ったらどうしても縋りたくなってしまったんだよ。だからたくさんのお金を持って治癒術師の人を家に呼んだんだ。父はもう動くことなんて全然できなかったからね。治癒術師の人は嫌な顔ひとつしないでうちに来てくれた」
そこまで話すと、男は一度小さく息を吐き出した。それから2、3回深い呼吸をして、改めて続きを語る。
「治癒術師の人は父の様子を見て、その状態がすごく悪いことに気付いたようだった。それで、自分が町に来るのがあと1日でも遅ければ間に合わなかったかもしれない。間に合って良かったって言ってくれた。とても心根の優しそうな人だった。それでその人はすぐに治癒術を使ってくれたんだけど」
だけど、と男は辛そうに繰り返す。
「あの、もし話しにくいことなら無理には……」
思わずそう言ったるうかに、男はいいやと首を振った。
「ここまで話したんだから、最後まで聞いてもらいたい。聞いて楽しい話ではないよ。でも、本当は誰かに聞いてほしかったんだ」
「……分かりました、聞きます」
「ありがとう」
男はるうかに向かって悲しそうに微笑み、話を続ける。
「その人が治癒術を使い始めるとすぐに父の身体に変化が起きた。目玉しか動かせなかったはずなのに、父が突然腕を持ち上げたんだ。驚いたよ。父はその手を治癒術師の方に伸ばして、動かなかったはずの口を動かした。でも声は出なくて、何を言っているのか分からなかった。きっと、その時に母が傍にいれば父の言いたかったことが分かったと思うんだ。でも母も病気で臥せっていたから、そこには僕と治癒術師の人しかいなかった。だから父が何を言いたかったのか分かってあげることができなかった」
男はもう一度深呼吸をする。
「今になって思えば、父は必死で治癒術師の人を止めようとしていたんだ。父には自分の身体に起きた変化が分かったんだろうね。病気の部分が癒されていくんじゃなくて、何か別のものに変わっていくのが……」
「……ひょっとして、あなたのお父さんは」
佐羽が思わずといった調子で言葉を挟み、そして沈黙する。男はやはり悲しそうに頷いた。
「父の腕が突然破裂するように大きくなって、真っ赤になった。僕はただただびっくりして何も分からなくなっていたんだけど、治癒術師の人はすぐに異変に気付いたみたいでね。どうして、と言いながらも真っ先に僕に向かってこう叫んだんだ。早くお母さんを連れて逃げなさいって。そして町にいる戦士や魔術師か勇者を連れてきなさいって。そこで僕もやっと気付いた。術は失敗して、父は“天敵”になりかけているんだってことに」
ごくり、とるうかは唾を飲み込んだ。それからの顛末は男もあまり詳しくは知らないのだという。何しろ彼は治癒術師に言われた通りに母親を連れて家を飛び出し、町の集会所に逃げ込んだ。そこにたまたま神殿から派遣されてきたという戦士と魔術師の一団がおり、彼らに頼んですぐに家に向かってもらったらしい。そしてそれ以降彼の父親と治癒術師はこの世から姿を消したということだった。
るうかと佐羽はすでに気付いていた。何故そのような悲劇が起こってしまったのか、そして何故折よく神殿から派遣された“天敵”討伐の一団がいたのか。それは1ヶ月前、彼らも関わったアッシュナーク大神殿での事件に端を発していたのだ。おそらく男の父親を癒しにきた治癒術師は大神殿の地下にいた神官から祝福を受けていたのだろう。しかしその神官はあの事件の折に“天敵”に変えられ、祝福は解かれてしまった。そのため、治癒術師の使った高度な治癒術は男の父親の細胞を再生させる際にそれを完全にすることができず、誤った細胞……集まれば“天敵”となる異形細胞へと変えてしまったのだ。大神殿側ではそういった悲劇が起こる可能性を予測していて、各地に伝令ともしもの時に“天敵”を討伐するための要員を派遣していたのだろう。しかし男の父親に関して言えば、そして彼を救おうとした治癒術師にとってみれば、それは一足遅かったのだ。
「それは……お辛いことでしたね」
3年前、“るうか”が“天敵”になる様をその目で見ていた佐羽は噛み締めるように言う。男はそんな佐羽を見て少しだけ寂しそうに微笑むと、辛い話をしてごめんねと謝った。
「あれから、僕も母も治癒術が怖くなってしまったんだ。あの治癒術師の人はきっと父に食べられてしまったんだろうね。父は自分の病気をどう思っていたのかな。それを治しにきてくれた治癒術師の人をどう思っていたのかな。最後の最後、自分を助けにきた人を食べる化け物になってしまって、そうして殺されてしまって。どうして僕は、父の最期をそんな風にしてしまったのかな……」
男の押す荷車の中では彼の母親が声もなく涙を流していた。彼らは父親であり夫であったその人の最期を経験したために、おとぎ話のような楽園の存在に縋って町を出てきたのだろう。彼らの辿った道程を思うとるうかも悲しい気持ちになる。
誰も悪くはなかった。父親の病気が治る可能性に賭けた息子も、その願いに応えようと術を使った治癒術師も、そして“天敵”となってしまったその父親を討伐した神殿の兵でさえも。最善を目指していたはずなのに、ほんの少しの運命が彼らを悲劇へと導いてしまった。男は目尻に零れた涙を拭い、言う。
「母も最近ずっと胸が痛いと言っていてね。時々息をするのも辛そうなんだ。でも僕達はもう治癒術師には頼めない。それは怖いことだし、それに“天敵”を出してしまった家に来てくれる治癒術師なんていないからね。だから、せめて母の痛みや苦しみだけでも楽にしてあげられればいいなと思っていたんだ。そうしたら……不思議なこともあるものだね。家の前の道に1輪の花が光っていた。そして町の入り口から真っ直ぐここまで僕達を導いてくれたんだ」
ゆっくりと荷車を押しながら、男は少しだけ晴れ晴れとした顔で笑った。
「楽園があってもなくても、僕は母とこうして気持ちのいい場所を歩けるだけで幸せなのかもしれない。ずっと歩いていたらそんな風にも思えてきたよ」
「……楽園は、きっとあると思いますよ」
佐羽はそう言って柔らかく微笑んだ。魔王の名には全く似つかわしくない、優しく穏やかな笑顔で彼はふと目の前の空間を指差す。
「目には見えませんが、そこに強力な結界があります。きっと楽園の入り口で間違いないでしょう。導かれない者が入ってこないよう、魔法を使って覆い隠しているんだと思います。導かれたあなた方であれば結界に阻まれることなく入ることができるでしょう」
「何だって……?」
男は驚いた様子で佐羽の指差した先を見る。そしてるうかも。
そこにはやはり緑色の草原が広がるばかりだったが、その中にぽつりぽつりと輝く白銀の花が散らばって咲いていた。長い道の終わりだった。
執筆日2013/12/04