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どこまでも連なる白銀の花を辿り、るうか達は緑の中を歩いていく。それは不思議な感覚だった。まるで導かれているようであるのだが、当然その先に何があるのかなど分かりはしない。しかしどうせ何の手掛かりもなかったのだ。どちらを向いてもそう変わらないのならば、先が見えなくとも標のある道を辿っていく方がいくらか気持ちが楽になるというものである。
自然とるうか達の間から会話が消える。どこまでも続く道行きに疲れてきているせいでもあれば、口を開けばつい不安を漏らしてしまいそうになるためでもあった。そんな折、ふと前方にゆっくりとした歩みの人影が見えた。るうかと佐羽は一旦顔を見合わせた後、少しだけ早足になって人影に追い付く。それは大きな荷物を背負い、さらに荷車を押す中年の男性だった。
「こんにちは」
佐羽が柔らかな声で当たり障りのない挨拶をすると、男は少しだけ驚いた様子で振り返り、そうしてやはり少しだけ微笑んで「こんにちは」と返した。
「やあ、まさか自分以外にも道を辿っている人がいるとは」
男は足を止め、被っていた帽子を取ってるうか達に会釈をする。身なりは薄汚れているが、その所作は丁寧で客商売でもしていたかのような風情だ。佐羽はそれでも警戒しているのか、そっとるうかを後ろに庇いながら男に質問をする。
「道、というのはこの白銀の花のことですよね? これがどこへ通じているのか、あなたは知っているんですか?」
「ああ。もしかして君達は知らないで歩いていたのかい? ひょっとすると道に迷ってしまったのかな」
「ええ、そうなんです。ですからこの道がどこに続いているのかを教えてもらえると助かるんですが」
佐羽は困ったような笑顔で嘘をつく。もっとも、迷っているという表現はあながち嘘とも言い切れない。男はそんな佐羽に対して人のよさそうな笑みを浮かべると、何故かとっておきの秘密を話すような含みのある声音で「実はね」と切り出す。
「この道は、楽園へと続く道なんだ」
そして男は彼の住んでいた町に伝わっている話としてこんな物語を語った。
ある時、病気の老人が苦しんでいた。彼は自分の生がもう長くはないことを知っていたが、町の治癒術師による治療を拒み続けていた。彼は治癒術師が石化の呪いを受けていることを知っていて、その片手がすでに石になっていることを知っていた。だから彼は、彼を心配して家までやってきた治癒術師にこう言っては追い返していた。
「こんな老いぼれの身体を治したところで、せいぜい何年か寿命が延びるだけだろう。それよりあんたはあんたの命を大事にしなさい。あんたが元気でいることで救われる人間がこの町にはたくさんいるんだから」
治癒術師はそれならせめて老人の苦しみを少しでも和らげたいと申し出た。それくらいの魔法であれば治癒術師にかけられた呪いが効果を現すこともない。老人はありがたくその申し出を受け、病気による苦しみを少しだけ忘れることができた。老人は治癒術師に深く感謝し、そしてやがてその病気によって亡くなった。
それからしばらくして、まだ年若い男があの老人と同じ病気に罹って苦しんでいた。町の治癒術師はその片腕がすでに石になっていたが、男の元に出向いて病気を癒すことを提案した。しかし男は老人と同じようにそれを拒んだ。
「あなたのその不自由な腕を見ると悲しくなるのです。確かに私は今この病気によって苦しんでいます。病気が治ればどんなにいいかと考えます。けれども、それがあなたの健康と引き換えになるのであればそれは私が望む方法ではありません。あなたはあなた自身をもっと大切にしてください」
そこで治癒術師はせめてもの安らぎをと男に苦しみを和らげる魔法をかけた。男は大層感謝して、治癒術師にいくらかのお金を渡した。
治癒術師は考えた。彼の元にはたくさんの人が訪れる。重い病気を治してほしいという人も、軽い怪我を治してほしいという人も皆彼の元にやってくる。しかしあの老人や男は病気に冒された自分の運命に逆らわず、むしろ治癒術師の身体の心配までしてくれた。そんな彼らに対して治癒術師ができたのは、ただ彼らの苦しみを少しばかり軽くすることだけだった。
それは彼らの望みでもあったのだから、と治癒術師は納得しようとした。しかしそれからいくらも経たないうちにあの若い男が亡くなり、葬儀に参列した治癒術師は彼の親族から執拗に責められた。どうして男を助けなかったのか。治癒術師でありながら男を見捨てたのか、と。
そうして治癒術師は町にいられなくなり、ほんのわずかの荷物だけを持って町を出ていった。
治癒術師のいなくなった町では大きな病気が流行ってもどうしようもなくなってしまった。薬師はいたが、あの治癒術師ほどには人々の苦しみを癒すことはできなかった。そんな時、またあの老人と同じ病気を患った娘がいた。娘は自分の病気が治らないことを知っていたが、せめて少しでも苦しみが癒されるよう星に祈った。
そしてある夜、娘が窓辺のベッドの上から外を見やると町の外に向かって点々と光り輝く花が咲いているのが見えた。彼女は不思議に思ってベッドを抜け出し、まだ歩くことのできた足で1歩1歩花の道を辿っていった。彼女は町を出て、夜が明けてもなお光り続けるその花を目印にやがて不思議な村に辿り着いた。そこは全ての苦しみが癒される場所であり、彼女を受け入れた村の長は病気を抱えてそこまで歩いてきた彼女の苦労と苦痛を心から労った。
そうして娘は村の長である治癒術師の魔法によってあらゆる苦しみから解き放たれ、安らかにその短い生を終えたのだった。
町に残された娘の両親はどこからともなく届いた手紙で娘の最期を知った。そして娘の字で書かれた言葉に涙を流した。
『病気が治らなくても、残された時間を穏やかに過ごすことができた私は幸福でした。だからどうか悲しまないでください。私は楽園に辿り着くことができたのです』
それからというもの、その町では重い病気に罹ると光る花が楽園へと導いてくれる、と信じられるようになったのだった。
「本当にそんな楽園があるのかどうかは、僕にも分からない。でもそれがあるなら、僕は母をそこへ連れて行ってあげたいと思ったんだ」
そう言って男はるうか達に自分が押している荷車を見せた。そこには痩せ細った小柄な老婆が1人、柔らかな干し草と布を敷いた上にゆったりと座っていた。彼女はるうかと佐羽を見てやんわりと微笑むと、とても穏やかな声で「こんにちは、良いお日和ですね」と言った。男はそんな老婆に優しく声を掛ける。
「母さん、疲れていないかい?」
「大丈夫だよ。あんたがゆっくり歩いてくれるから、荷車も揺れないしねぇ」
「疲れたらいつでも言ってくれよ。そうだ、少し水を飲んだ方がいい」
「はいはい、あんたも甲斐甲斐しいねぇ。だのにどうして嫁が来ないんだろうねぇ。やっぱりアタシがいるのがいけないのかねぇ」
「母さん、それは言わない約束だよ。それに、お嫁さんがいなくても僕が料理でも何でもしてあげるから」
仲の良い親子の会話に、るうかと佐羽は小さく笑いながら視線を交わした。どうやら男の母親は重い病に冒されているようだが、息子と話す様子は楽しそうで、決して不幸には見えなかった。彼らが目指す楽園というものが果たして本当にあるのかどうかは分からないが、今のるうか達には行くあてもない。2人は互いに頷き合った後、彼らに同行を申し出た。
「良ければ俺達も一緒に行かせてもらえませんか? こちらは荷物も軽いですから、少しお手伝いすることもできますよ」
佐羽が愛想よく言えば、男は「悪いよ」と一度は断る。しかしるうかが自分が勇者であり怪力自慢であることを告げると苦笑して「それじゃあ少しお願いしようかな」と言った。男はるうかの言ったことをどうやらあまり信じていないようだったが、実際にるうかが男の背負っていた大荷物を軽々と背負うのを見て考えを改めたらしい。本当に驚いたという顔でるうかを見て、それから「ありがとう」と言う。
「君は本当に勇者なんだね。すごいなぁ」
「お母さんの荷車を押すのも手伝いますか?」
「いいや、これだけは僕にやらせてほしい。母さんと旅をするなんて初めてだからね、僕が最後まで押していきたいんだ」
それから4人は時折世間話をしながら銀色の花を目印に進んでいった。るうか達2人きりの時よりも進む速度は落ちたが、不安は少なかった。
執筆日2013/12/04