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同じ夜の夢は覚めない 2  作者: 雪山ユウグレ
第4話 座標上の魔術師
17/42

4

 サーバ室、と書かれた扉の向こうにあったのはるうかの想像を超えた世界だった。

 いわゆるコンピューターというものは勿論るうかにも馴染みがある。学校でも情報学の授業が組まれているし、テレビ番組でもそれに関する話題を目にすることは多い。サーバ、というのが個人向けのパソコンよりももっと大型で特化した機能を持つものである、くらいの認識もあった。しかしそこにあったのはるうかがイメージするコンピューターとは全く異なるものだったのである。

 床も壁も天井までもが紺色で統一された広い部屋の中央にはくるくると色を変える巨大で奇妙な球体が浮かんでいた。よく見ればそれは立体映像で、真下にある機械から投影されているだけのものだと分かる。直径2メートル以上はあろうかと思われる球体の表面には時折細い光の帯が走り、るうかの目にはそれが夢の世界で呪文を使うときに見える文字列と同じものであることが分かった。しかしそれが意味するところまでを読み取ることはできない。

 緑は球体の近くにある椅子に座り、その前にある楽器のキーボードのようなものを操っていた。彼の大きな手がキーボードの上を滑るように動く度に球体の色が変わり、その表面に光の帯が走る。その様子はコンピューターを操作しているというよりは何か芸術的な表現をしているようだった。

 部屋の中には中央の球体以外にもそれに似た形の小さめの球体がいくつも浮かんでおり、それらは立体映像ではなく実際に存在しているようだ。天井から細いケーブルで吊るされたそれらは緑の手元の操作に合わせてまるで何かの意思を持っているかのように不規則に揺れる。まるで毎年11月も半ばになる頃には街のあちこちを彩り始めるクリスマス用のオーナメントのようだ。それらのひとつひとつがそれぞれに役割を持ったサーバコンピューターなのだと、佐羽が説明する。その声によってやっとるうか達の存在に気付いたのだろう。緑がキーボードから手を離さずに顔を2人に向けた。

「やぁ、起動は完了したよ。早速頼成くんの位置情報を追ってみようか」

 彼がキーボードを叩くと立体映像の球体表面に夢の世界の地図が表示された。それはするすると拡大されていき、やがてユレクティムの町の景色を上から見た映像へと変化する。佐羽が緑に指示を出し、るうか達が先日宿泊した宿屋を表示させた。そしてその前の道路にある1点を指差す。

「ここ。ここで転移術を使った形跡があった」

「正確な座標は分かる?」

「分かる。けど俺じゃ直接の打ち込みはできないよ。これって人間の言葉じゃないでしょ?」

「待って、今そっちの変換プログラムも起こすから」

「手間を取らせて悪いね」

「はい、じゃあここに打ち込んでもらえるかな?」

「人間語でいいんだね?」

 佐羽は念を押すように尋ね、緑の横からキーボードに手を伸ばし、そこでがくりと肩を落とした。

「緑さん……俺これ使えないってば」

「あ、そっか。ごめんごめん。じゃあ携帯から僕の携帯に送ってくれる? それで僕が打ち込むから」

「初めからそうすればよかったね」

 何が問題であるのか、傍で見ているるうかにはあまりよく分からない。きっと説明されてもさらによく分からなくなるだろうことだけははっきりと分かったので、ただ大人しく2人のやり取りを見守る。やがて佐羽が自身のスマートフォンから緑のタブレット型端末にメールを送り、緑がそこに表示された文面を元にキーボードを叩き始めた。どうでもいいが、佐羽のものはともかく緑のそれは携帯電話ではない。

 緑がキーボードを叩くと、球体表面に映し出されたユレクティムの路上に見覚えのある紋様が浮かび上がった。それは昨夜の夢の中で佐羽がそこで魔法を使った際に現れた紋様と同じか、それによく似たものであるように見えた。よし、と緑が呟く。

「じゃあここから転移魔法の痕跡を探っていくね」

 そう言うなり彼の手がまるで一流のピアニストのようにめまぐるしく、それでいて優雅にキーボードの上を滑り始める。それに伴って立体映像の球体表面を青い光の帯が幾重にも取り巻いては消えていく。佐羽はしばらくそれを目で追っていたようだったが、やがて小さく首を振ってぼそりと言う。

「駄目だ、全然追い付けない」

「落石さん、これは今何をしているんですか……?」

 作業中の緑に聞くと邪魔になるだろうと思い、るうかは佐羽にそう尋ねた。佐羽は少しだけ肩をすくめるようにしながら答える。

「“魔法”を使っているんだよ。るうかちゃんもあっちの世界で見たことがあるでしょう? 頼成が治癒魔法を使う時に見える光の帯とか。あれって呪文の配列が光って見えているんだよ」

 それはるうかにも分かる。しかしここは現実であって夢の世界ではない。そして今球体の上を走っている光はるうかが見る限りでは読み取れるような文字の並びには到底思えない。るうかがなおも不思議そうな顔をしていたためだろう。佐羽は気を取り直した様子で再び口を開く。

「緑さんが使っているのは俺達が使う呪文よりももっとこの世界の仕組みに近い言語なんだ。言ってしまえば……この世界を構築しているプログラムと同じ言語。コンピューターでいうところの機械語、もっとファンタジックに言えば神様の言葉で呪文を使っているんだよ」

 そして、と佐羽はさらに続ける。

「ここはゆきさんの現実における地下塔だからね。あっちの世界を構築維持しているサーバの一部もここにある。この部屋にあるのはそのさらにごく一部だけど、見ての通り端末があるからここからでも夢の世界へ魔法を使うことができる。まぁそれこそゆきさんや、緑さんくらいしかできない芸当だけど……」

 俺にはあのキーボードのひとつのキーに割り振られた文字さえ読むことができないからね、とつまらなそうに言い、佐羽は話を締めくくった。るうかはるうかで今聞いた話を解釈するので手一杯である。つまり、夢の世界というのはコンピューターで管理されたプログラムだとでもいうのだろうか? それではまるでゲームではないか。しかし佐羽から聞いた話では彼も頼成も向こうの世界で生まれたのだという。それでいてこの世界にも存在しているのだから、それはもうゲームなどという範囲を遥かに超えていて……。

「るうかちゃん、今高校生だったよね?」

 唐突に緑が尋ねてきた。彼の手は今もキーボードを操っておりその視線は立体映像の球面に向けられているが、会話をする余裕はあるらしい。るうかははいと答える。

「じゃあ、物質の最小単位が原子として規定されていて……現代では素粒子論で説明されるけれど、突き詰めていけばどんなものも生物もみんなごくごく小さな粒子の結合によって成り立っているっていうことは知っているかな」

「な、何となくは……」

「それら素粒子の全てを記述できる言語があれば、物質を構成するプログラムを書き表すことはそう難しいことじゃないんだよ。勿論現代科学ではまだ証明されていない仮想粒子だってあるから、人間がその全てを理解するにはまだ随分と時間がかかるだろうけどね。そしてそれは、現実でも夢でも同じことなんだ」

 だってどちらも同じプログラムで記述された世界なんだから。緑はそう言って一瞬だけキーを叩く手を止める。そして球体表面に表示された光の線を少しだけ睨むように目を細めた後、再び打ち込みを始める。

「ここまで来ると概念と無機質なシステムが背反する奇妙な理論対決になっていくんだけど、つまり人間がこの世界で実感する物理法則はそう組まれたソフトウェアが動作している証明に過ぎないんだ。そこのプログラムにエラーが起きれば水は下から上に流れるかもしれないし、地上の重力は1Gじゃなくなるかもしれない。水が20℃で沸騰するかもしれないし、何もないところに火が生まれるかもしれない」

「まるで魔法みたいですね……」

「でしょう? それが夢の世界に存在する“魔法”なんだよ」

 緑は球体を見つめたままそう言って笑った。

「向こうの世界では物理法則のソフトウェアに人間が干渉できるようなプログラムが加えられている。本当はこっちの世界にだってそれはあるんだけど。さらにアンチプログラムで規制がかけられているから一般に魔法が存在しないように見えているだけ。だから夢の世界では人間もある程度のプログラム言語……つまり呪文を使って世界の法則に干渉して物理法則に一過性のエラーを生じさせることができる。それが通称魔法って呼ばれるわけだね」

 さぁできた、そう言って緑は球体に映し出された夢世界の地図を指差した。るうかと佐羽は身を乗り出してそれを見る。そこには頼成の転移ルートが分かりやすく線で表示されていた。それを見ながら緑が解説を加える。

「出発点がここ、ユレクティムのL160254/W372B94。それでいくつかの中継地点を経て最終的に転移した先がここ、L2423A9/W14B604……ユレクティムからおよそ580キロメートル離れた大魔王領の外れだね。と、いうよりも緩衝地帯だ」

「緩衝地帯?」

 耳慣れない言葉にるうかが問い返すと、緑は「領地と領地の間にあって互いに不可侵と定められている地域のことだよ」と教えてくれる。つまりは厳密に言えばどこの領地にも属さない土地ということらしい。

「ここまで転移してきたのは間違いない。でもここからは別の移動方法を使ったみたいだね。もうこれ以上を魔法で探索するのは難しいな」

「でも、とにかくその位置から徒歩か馬車かで1日で移動できる範囲に絞れたとみていいんでしょ? 今頼成がいる場所。だったらそこへ行ってみるしかないよ。緑さん、お願いできる?」

「勿論」

 佐羽の要望に対して緑は笑顔で再びキーボードを叩く。するとその下にある機械から2枚のカードが印刷されて出てきた。そう、あの枕の下に敷いて寝ることで夢の中に持って行くことができるカードである。まさかそれがこのような家庭用プリンタとさほど変わらない機械で印刷されていたとは。るうかは軽い眩暈を覚えつつも緑の手からそれを受け取った。カードにはるうかには読むことのできない文字で何やら紋様めいたものが描き込まれている。緑の説明によれば、これは転移術の呪文を封じ込めたカードらしい。佐羽はカードを目の上にかざしながら言う。

「そういえば俺、カードの解放ってやったことないんだよね……いつも頼成に任せていたから」

「じゃあ今教えてあげるよ。そのくらい覚えられるでしょ」

 緑の言葉に佐羽は少しだけムッとした顔をした。「そりゃああなたには簡単なことだろうけどね」という劣等感にも似た嫉妬が隠れもせずに漏れているが、緑はそんなことには頓着しない様子で佐羽に呪文のレクチャーを始める。相変わらずるうかには聞き取ることのできない言葉だが、佐羽は顔をしかめながらもなんとかその発音をなぞっているようだ。何度かの練習の後、緑は「これならもう大丈夫」と太鼓判を押す。

「さすがに阿也乃の一番弟子なだけあるね。呑み込みが早くってびっくりしたよ」

「それはどうも。……あと、頼成捜しに協力してくれてありがとう」

 佐羽は真っ直ぐに緑を見据えて言う。緑は黒いカラーコンタクトレンズをはめた両目を一度ぱちりと瞬いて、それからにっこりと笑った。

「どういたしまして。現実の方でも僕なりにちょっと探ってみるから、君達は早く夢の中の頼成くんを助けてあげてね」

「……うん、そうするよ」

 佐羽はまだどこか悔しそうな様子を残しながらも素直にそう頷いたのだった。明滅する光の帯をまとった球体を背に佇む緑色の魔術師はそんな彼を少しだけ寂しそうに見守っていた。

執筆日2013/11/29

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