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頼成は夢の世界で死んでしまったら現実でも死んでしまうんだから。佐羽の言った言葉に、るうかはぽかんと口を開けた。それは一体どういう意味だろうか? 確か今日頼成から聞いた話では、現実世界で死を迎えた者は夢でも同様に死んでしまうということだった。そして夢の世界で死んだとしても現実で死ぬことはない。そのことはるうか自身の体験が証明している。では佐羽はどうして今のようなことを言ったのだろうか。
黙ったまま口を半開きにしているるうかを見て、佐羽はふわりと微笑む。
「そっか、まだ話していなかったね。頼成は……それに俺もだけど、現実世界で生まれた人間じゃないんだ」
「え」
「現実世界で同じ夜にこの夢を共有している人は、現実でもこの世界でも同じように存在していることになる。でも現実世界でこの世界の夢を見ない人もいるし、この世界にいて現実世界を知らない人もいる。重なっている部分はあるけど、別の世界なんだ……って、前に言ったよね。同じことだよ。この夢の世界に“現実”の生を受けて生まれ、現実世界の“夢”を見る人もいる。それが俺達」
だから夢の世界で死んでしまえばそれが現実での死になってしまうのだと。佐羽はそう言った。
「それに、彼が石化したときのことも覚えているでしょ? 夢の中で石になった彼は現実でも身体を全くと言っていいくらい動かせなくなってしまった。それは彼が本来夢の世界の住人だからなんだよ」
るうかは納得すると同時にひどく衝撃を受けていた。夢は夢、現実は現実と明確に決まっていたわけではなかったのだ。頼成や佐羽からすれば、るうかの育った現実の世界の方が“夢”なのだ。
何も言えなくなったるうかに、佐羽は少しだけ厳しい眼差しを送る。
「ショックは分かるよ。でも……とにかく今は頼成を見付けないと」
「っ、そうですね。血の跡は宿屋の前で途切れていました。もしかしたら転移術を使ったのかもしれません」
「調べてみよう」
そう言って佐羽は一旦元の部屋に戻って身支度を整える。その間にるうかも同じように装備を整えた。そして宿屋の主人に部屋の扉を壊したことなどを一通り話して謝罪をし、宿泊代に扉の修繕費用を上乗せして支払ってから宿屋を出る。道にはまだ生々しい青緑色が残っていた。そろそろ町には出歩く人の姿も見られるが、誰もこれが血痕であるとは思わないのだろう。塗料でも零したのかと思われて素通りされているに違いない。
佐羽はその青緑色の染みに触れ、小さく呪文らしきものを唱える。
「 」
るうかには聞き取ることのできないその言葉に反応して一瞬、地面に何か紋様が浮かび上がった。佐羽は小さく首を振って溜め息をつく。
「駄目だ、辿れない。転移魔法を使ったのは間違いないけど、転移先が特定できない」
「それじゃあ、手掛かりは何もないってことですか……?」
「……」
るうかがあまりに不安そうな声を出したためだろうか。佐羽は彼女を見て少しだけ微笑みながら「そんなことはないよ」と優しい声で言う。
「俺は破壊と呪いが専門で、こういう転移だの探査だのっていう魔法には通じていないだけ。大丈夫、こういう魔法が得意な人ならもう少し辿れると思うから」
「そう、なんですか」
「でもこの町にそんな優秀な人材はいないだろうから……。今できることは目撃者探しかな。もしかしたら何か見たっていう人がいるかもしれない」
行こう、と佐羽はるうかへと手を差し伸べながら言った。るうかは縋るような思いでその手を取り、町の住人へと聞き込みに出掛けた。
昼が過ぎ、夕方が終わり、夜の帳が町を包み込む。るうかと佐羽は町で一番高いところにある家の屋根に腰掛けていた。強い風がるうかの髪や佐羽のローブを揺らす。月のない世界の眩しい星明かりが積み木で作られたような町を照らし、複雑で規則的な影を形作っている。
聞き込みは全く成果を上げることなく終わった。宿屋の主人ですら、物音ひとつ聞かなかったと言っていた。隣で寝ていたるうかが何も気付かなかったのだから当然と言えば当然なのかもしれない。るうかは落胆し、途方に暮れていた。そんな彼女を佐羽が優しく慰める。
「大丈夫。あとは現実に戻ってから捜せばいい。きっと大丈夫だから、ね」
「戻ってから……?」
「そう。手段はあるよ」
どうやら佐羽は初めからこの町での聞き込みをあまりあてにしていなかったようだ。手段はある、と言いながらもその表情はやや渋い。しかしるうかを元気付けようと彼なりに懸命になっている様子が見てとれて、るうかはこくりと頷いた。
「分かりました」
「うん。じゃあ……明日、うちに来てもらえる? 日曜日だけど、何か予定とか入っていたりするかな?」
るうかは首を横に振った。たとえ予定が入っていたとしてもキャンセルするに決まっている。
「じゃあ大丈夫だね。時間はいつでもいいから、うちに来て」
「はい。……そうしたら、槍昔さんの居場所を調べられるんですか?」
「うん。そういうのがすごく得意な人がいるからね……」
佐羽はそれが誰であるかは言わなかった。しかしるうかにもすぐに見当がついた。確かに、彼なら色々なことができてもおかしくないかもしれない。
「おーい、あんたら飯はいいのかー?」
不意に足元から声がする。そこにはるうか達の座る屋根の下にある窓から顔を出した顔に傷のある男……カヒコの姿があった。宿屋の備品をいくつも破損させてしまったため宿泊を断られたるうか達だったが、今夜はここに泊まるといいとカヒコが自分の家を快く提供してくれたのである。るうか達は彼の言葉に甘えて夕食をご馳走になることにした。
「それにしても、あの賢者がさらわれるなんてな……」
彼は顔に似合わず家庭的な料理をテーブルに並べながらやるせなさそうに言った。
「まさかうちの町の連中じゃあないと思いたいが」
「ああ、それなら多分大丈夫です。こちらの問題ですから、町の人は関係ないはずですよ」
佐羽は取り分けてもらった魚料理の皿を受け取りながら丁寧に答える。そうか、とカヒコは少しだけ安心したような、そして申し訳なさそうな顔をした。
「あんたらにはすっかり助けてもらったのに、こっちは何の力にもなれなくて悪いな」
「いいえ、こうやって泊めてもらえるだけで本当に助かります」
女の子もいるので野宿っていうわけにもいきませんしね、と佐羽が言えばカヒコも重々しく頷いた。
「ああ、柄の悪い連中は多いからな。いくら赤の勇者とはいえこんなに可愛らしい女の子なんだ。とてもじゃねぇが外になんて置いておけない」
「あ、勿論カヒコさんも彼女に手を出したりとか、よからぬことは考えないでくださいね?」
にっこりと笑って佐羽が言えば、カヒコは「おお怖」と首をすくめる。
「黄の魔王が相手じゃ誰だって腰が引けるってもんだ。それに、幸いなことに俺はロリコンじゃねぇからな。いくら可愛いっていってもお嬢ちゃんじゃなぁ」
「うーん、るうかちゃんがロリコンの対象年齢かどうかは微妙なところですね。彼女、これで結構いい身体を」
ばきっ。
骨でも折れそうな音がして、佐羽が顔を引きつらせて押し黙る。その足元ではるうかのブーツが彼の脛に突き刺さらんばかりの勢いで叩きつけられていた。声もなく悶える佐羽をよそにカヒコの手料理を食べるるうかを見て、カヒコは堪えきれなくなったように笑う。
「黄の魔王もさすがに勇者様には敵わねぇみたいだな」
「食事中に変な話をするからです」
「違いねぇ。なぁルウカ、もし夜中にサワネに襲われそうになったら遠慮なくぶちのめせよ? 何、部屋の物くらい多少壊したって構わねぇ。あんたの貞操の方が百倍大事だ」
「ありがとうございます。もしそんなことになったら遠慮なくやります」
「なんで……そういうことになるの……?」
呻く佐羽をよそに、るうかとカヒコはそれぞれ自分の分の食事を平らげた。
そして夕食後、るうか達はカヒコが用意してくれた客間でひとつきりのベッドを前に顔を見合わせる。佐羽は明らかに床で寝たくないようで、それでもるうかを床に寝かせるのもどうかと葛藤しているようだ。るうかとしては別に床で寝ようが構わない。カヒコから自分用の毛布を借りることができたので寒いということもないだろう。
「るうかちゃん……一緒に寝る?」
葛藤の末にそんなことを聞いてきた佐羽にるうかは一言「嫌です」と告げた。そしてぽかんとする佐羽を置き去りにさっさと寝心地の良さそうな床を探してそこに横になって毛布にくるまる。そこからはちょうど天井に近い位置にある窓が見え、差し込む星明かりが優しく室内を照らしている様子が美しかった。
「るうかちゃん、いいの?」
戸惑ったように佐羽が言い、るうかは「いいです」と返す。そしてこう付け加えた。
「槍昔さんは何もしないって言ったらしませんけど、落石さんはなんだか信用できませんから」
「それは……いくら何でも俺だって親友の彼女に手出ししたりしないよ?」
「一応冗談です」
「ああ、そう……」
「槍昔さんじゃないと、一緒に寝たくないんです」
佐羽がるうかの方を見る。星明かりに照らされた部屋は意外と明るく、彼女の表情もその頬の赤さも隠されないままに佐羽の目に映った。佐羽はくすっと笑い、頷く。
「るうかちゃん、可愛い」
「放っておいてください」
「大丈夫だよ、頼成は必ず取り戻す」
「……はい」
佐羽の力強い言葉はるうかの不安を少しだけ軽くしてくれたのだった。
執筆日2013/11/29