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同じ夜の夢は覚めない 2  作者: 雪山ユウグレ
第3話 ミッシング
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 電子音のアラームが幸せな夢を容赦なく打ち消してくれる。るうかは半分閉じたままの目で枕元の目覚まし時計を睨むと、7時を指したそれの上にあるスイッチを叩き切った。それから一度深く息を吐いて、吸って、やっと気を取り直して身支度を整える。

 とは言うものの試験明けの土曜日である今日は特に何の予定も入っていない気ままな休日だ。母親は休日出勤でもう出かけているだろうが、父親は家にいる。彼のためにもとりあえずは朝食の準備をして、それから今日1日をどう過ごすかのんびり考えるのも悪くない。

 そう考えてリビングに向かったるうかはまずテレビのスイッチを入れた。これは舞場家の通例であり、誰かがリビングにいるときは必ずテレビがついている状態になっている。背広姿の男性キャスターが全国のニュースを伝えている。るうかはリビングから繋がっているキッチンで冷蔵庫を開け、朝食用に軽く魚でも焼こうかとイワシのパックを取り出す。あとは適当に野菜でも盛り付けるかとレタスとトマトを取り出したところでニュースが地方版に切り替わった。

『昨夜10時頃、日河岸(ひがし)向陽(こうよう)区11丁目の工事現場で強風に煽られたクレーン車が横倒しになり、クレーンが吊り上げていた鉄骨が、通りかかった男性を直撃しました。男性はすぐに救急車で病院に運ばれましたが間もなく死亡が確認されました。男性は日河岸市常磐区に住む会社員の友知健治(ともしりけんじ)さん58歳で、両足に重度の麻痺があるため電動式の車椅子に乗用していたとのことで……』

 イワシのパックを開いていたるうかの手が止まった。ハッとしてテレビに目をやると、そこには見覚えのある顔とその下に“死亡した友知健治さん(58)”というテロップが表示されていた。イワシのパックが床に落ちる。発泡スチロールのトレイから飛び出したイワシがびたんびたんと音を立て、それでもるうかはテレビ画面に釘付けになっていた。

 間違いない。昨夜の夢の中、ユレクティムの町で家の崩落に巻き込まれて怪我をしたあのケンジという男だった。彼は夢の中の世界で“夢の中で死んだ”と言っていた。それはつまり、現実の世界で死を迎えたということだったのか。

 るうかはイワシを拾うと洗ってパックの中に戻し、それを再び冷蔵庫にしまった。すっかり気が動転していたためにうっかり冷凍庫の方に入れてしまったが気付かなかった。そしてそこにレタスとトマトも突っ込み、リビングのテレビをつけたまま自分の部屋へと取って返した。

 机の上に置かれた赤い携帯電話を手に取り、メールボタンを押そうとして一度手を止めた。発信履歴から目的の名前を捜して間髪入れずに電話をかける。5コール目で応答があった。

『るうか?』

 起きたばかりなのか、若干声がくぐもっている。しかしるうかは構わず相手に呼び掛けた。

「槍昔さん! ニュース見ましたか!?」

『ニュース……? 悪い、うちテレビない……』

「昨日の! ユレクティムの! あの人が……事故で……!」

 そこまで言ったきりるうかは言葉が続かなかった。しかし頼成はそれだけの言葉で状況を悟ったのだろう。小さくそうかと呟いて、それから静かな声で言った。

『るうか、今日時間あるか?』


 待ち合わせは頼成の通う大学の構内だった。るうかも通学時によく近くを通りかかる学生食堂の前にはすでに半袖のシャツを着た頼成がポケットに入れた携帯電話を弄りながら待っていて、るうかは小走りに彼に近付く。

「お待たせしました」

「え? あ、早いな。時間前だろ」

「待たせちゃいけないと思って……それに」

「ああ。中で話そうか」

 そう言って頼成は学生食堂を指差した。ここの学生でないるうかが利用してもいいのかと問うと、どうせ近所の人や修学旅行の高校生なんかも来ているから問題ないという答えが返ってくる。

「何か言われたら見学に来ましたとでも言えばいいだろ。それに俺は現役の学生だから、何とでもなる」

 学生食堂は食券式で、様々なメニューがサンプルとして並んでいる。頼成はその中から迷わずピリ辛野菜ラーメンなるものを選んだ。奢るぞ、と言われてるうかは少し迷った末に頼成と同じものにする。安かったのだ。それぞれトレイを手に麺のコーナーへ行って食券を渡すと、係の女性がはいはいと言いながら奥の厨房へ引っ込んでいく。頼成はその背に向かって「もやし多めでー!」と叫んだ。さすがに慣れた様子である。

 土曜日なので基本的に講義はないらしく、食堂の中はがらんとしていた。やがてできあがったラーメンをトレイに載せて、2人は適当に空いているテーブルへと向かう。途中で頼成が片手でるうかのトレイを取り上げた。

「俺これ持っていくから、水持ってきてもらえるか? そこにあるから」

 見れば確かに無料の飲料水とコップが備え付けてあった。るうかは2人分の水を用意して頼成のいるテーブルへ向かう。そして横に並んだ2つのトレイの上にそれぞれコップを置いた。

 ピリ辛野菜ラーメンはその名の通り辛そうな赤い色をした野菜炒めが麺の上に盛り付けられたラーメンだった。いや、野菜炒めと言うよりもやし炒めと言った方がしっくりくる。ましてやもやし増量と注文した頼成のラーメンはすでにラーメンというよりもやしだった。パッと見ても麺の姿が見当たらない。赤いもやししか見えない。

「いただきます」

 2人は声を揃えて言い、割り箸を割った。そして互いにラーメンをすすりながら昨夜のことと今朝のニュースについて話し合う。

「それな。悪い、俺は大体見当がついてたんだわ」

 もやしの塊を飲み込んでから頼成が言う。るうかは辛さに負けそうになる口に水を一口含んでから聞き返す。

「ケンジさんが……“夢の中で死んだ”って言っていたのはそういう意味だったんですね。現実の世界で死んでしまうと、夢の中でも同じように死んでしまう……」

「そういうことになる。夢を見ている本人の意識がなくなるんだからな。けどまぁ、魔法で夢と現実を切り離せば夢の中では生き続けることもできる。ユレクティムでは俺はそうやってあの人の命を助けた」

「……」

 るうかはラーメンをすすり、野菜炒めと称したもやし炒めをよく噛んでから飲み込む。辛さにも大分慣れてきたが身体が熱い。再び水を飲んで、それからるうかは改めて口を開く。

「じゃああの人は……もうこの現実の世界を見ることはないんですね」

「ああ。自分にとっての現実がこの世界だったこともそのうち曖昧になっていって、夢の世界が“現実”になっていくんだろうな。夜に見る夢は普通の、続き物じゃない夢になる」

「でも夢の中で死んでも……現実には死なないんですね」

 私みたいに、とるうかは呟く。そうだな、と頼成も頷いた。

「ひとつの夢が終わったところで、それは夢の終わりでしかない。ただ俺達が共有している夢の世界は特殊なものだから、夢で起きていたことに関する現実の記憶は一緒に死んでしまったりする。あんたが昔のことを覚えていないのもそういう理屈だよ」

「私がもし現実で死んだら、夢のなかの“るうか”もいなくなるんですね」

「世界を切り離さない限りはな」

「どっちがいいのか……よく分かりません」

 そう言ってるうかはまたラーメンをすすった。頼成は「俺にも分かりはしねぇんだわ」と言いながらラーメンを食べ終える。早い。

「別に、どっちがいいって話でもないんだろう。自分だったらどうしたいか……それだけ考えておけばいいんじゃないか?」

「……私がもし現実で死んだら」

 ぼそり、と言ったるうかに頼成は「こら」と少しだけ苛立ったような声を出す。

「縁起でもない仮定を2回も言うな」

「考えてみたんです。でも、たとえ夢の中でだけでも“るうか”がいるのと……どちらの世界でも死んでしまうのと。それって結局“私”にはあんまり関係ないなって思いました。むしろ残された人がどう思うのかなって」

 るうかはそこまで言うと冷めてきたラーメンを一気にすすった。熱々のときと比べれば辛さも幾分和らいでいる。水を飲み飲みラーメンを食べ終え、るうかはふうと一息ついた。

「ごちそうさまでした」

「おう。……で、俺としてはあんたが死ぬなんて仮定は却下だぞ。夢でも現実でもな」

「え」

「今更あんたのいない世界なんて想像したくもない」

 そう言って頼成はるうかの頭をポンポンと撫でた。

「さて、飯も食ったし少し歩くか?」

「あ……はい」

 トレイと食器を片付けて外に出ると、生温かい風と強い日差しが容赦なく降り注ぐ。2人は暑さを避けて木陰の多い緑地帯へと向かった。大学の敷地内だというのに小川が流れるそこは近所の子どもの遊び場であり、熟年夫婦の散歩コースでもある。椅子なのかモニュメントなのか分からないが等間隔に並べられた四角い石に腰を掛け、るうかと頼成は他愛もない話をした。夢の話、現実の話、それらの間を繋ぐ話。頼成と会話をしているうちにるうかも少しずつ落ち着いてくる。夢の世界では救われ、現実には助からなかった男のことも受け容れられこそしないものの受け止めることができた。少なくとも、彼はこれから夢の世界だけで生きていくことになったのだと。

 夏の風が吹く。木々の葉が地面に濃い影を落とし、その隙間に落ちる木漏れ日は激しく眩しい。そんな光を見つめていたるうかの耳に草を踏みながら近付いてくる足音が聞こえた。そっと振り返るとそこには黒髪を肩より少し下の辺りまで伸ばした優しそうな風貌の若い女性が立っている。どこかで見たような気もするが、初対面である気もした。気付いた頼成が振り返ると、彼女はパッと顔を綻ばせる。

「ああ、やっぱり。薬学部の槍昔くんですよね?」

 黒々とした目を輝かせ、彼女はとても嬉しそうに頼成を呼んだ。るうかは訝しげに彼女を見る。怪訝に思ったのは頼成も同じだったようで、彼女に向かって首を傾げる。

「そうだけど……あんたは?」

「あ、すみません。私は浅海佐保里(あさみさおり)といいます。文学部の2年で、落石くんとは同じクラスなんです」

「ああ……佐羽の」

 どうやら彼女は佐羽の知り合いらしい。それが何故頼成に声を掛けてきたのかと思えば、彼女はなんとこんな説明をした。

「一度会ってお話してみたかったんです。去年の学祭の女装コンテストでものすごく嫌そうにしながらチャイナドレスを着せられていた槍昔くんがとっても印象深かったので!」

「ぬはっ」

 頼成が奇妙な悲鳴を上げた。るうかもまた彼女の言葉に衝撃を受け、それから頼成のその姿を想像し、うまく想像できないまま妄想だけが膨らんで最後にはぶっと吹き出した。

「るうかっ、笑うなぁ!」

 あれは佐羽が勝手に出場登録しやがったんだ! と喚く頼成をよそにるうかと、そして佐保里は堪え切れずに笑い続ける。この逞しい身体つきをした強面の頼成がよりによってチャイナドレスである。ちなみに佐保里によるとドレスの色は淡いピンク色だったらしい。背の高い頼成には当然丈が短く、色々な意味でかなりギリギリだったという。もう笑うより他なかった。

 散々頼成をだしに笑った後、佐保里という女性は「楽しかったです」と言い残して去っていく。夏の太陽は最高点に達しようとしていた。疲れ切った様子の頼成が「帰るか……」と言い、るうかはまだ笑いを残しながら頷いた。

 大学の門をくぐり、敷地から出る。

 その瞬間、急に強い風が吹いた。るうかは思わず目を閉じ、顔を庇う。

 そして次に目を開いたとき、頼成の姿がどこにもないことに気が付いたのだった。

執筆日2013/11/25

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