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「あ、おかえり2人共」
「……佐羽、お前なぁ……」
佐羽の姿が見えないことに気付いたるうかと頼成は急いで元来た道を戻り、やがてメインストリートと思しき場所にある食堂でのんびりと昼食をとっている佐羽を見付けた。佐羽は2人を食堂の中に招きながら笑う。
「いや、ごめんね? でも頼成もるうかちゃんもスタミナありすぎるよ。俺全然追い付けなくってさ」
どうやら彼はこの入り組んでいる上に上下移動の激しいユレクティムの町を歩くことに手こずり、途中でるうか達に追い付けなくなったようだった。気付かなかったるうか達にも責任はあるが、それならそうと途中で声を掛けてくれればいいものである。
「この軟弱者が……体力つけろ、佐羽」
「頼成みたいに筋肉ついたら俺可愛くなくなっちゃうでしょ。このくらいの身体が好きって言ってくれる女の子が多いんだよ」
「そんなことはどうでもいいわ! 単独行動厳禁って言ったのはお前だろうが。何かあったらどうするんだよ……」
はあ、と溜め息をつきながら席についた頼成に、佐羽はふふふと楽しそうに含み笑いをしてみせる。
「嫌だなぁ、頼成。そんなに俺のこと心配してくれたの? 確かにこの町は治安が悪いけど、わざわざ黄の魔王を襲おうなんて馬鹿はいないよ。それに、この町にやってきてくれた青の賢者様の連れに手を出そうなんていう不届き者もいない。君はそれだけの尊敬と信頼を勝ち得ているよ」
そう言って佐羽は食堂の奥に声をかけ、るうかと頼成の分の食事を注文した。メニュー表などは特になく、その日ある食材で適当に何か作ってくれるのだという。代金にも規定はなく、金がなければ物や労働力で支払ってもいいということだった。
「この町は不便だけれど、枠に囚われないという点ではいい所なのかもしれないね」
よく分からない肉によく分からないソースをかけたものを丁寧な所作で口に運びながら、佐羽はどこかしみじみとした様子で言う。そしてるうかが嗅いだことのない匂いのするお茶を美味しそうに口に含んで、にこりと微笑む。
「ふふ、ちょっと変な味」
「お前……まぁ一応気を付けろよ。ひょっとしたらお前のことを知らない奴だっているかも知れねぇだろ。何かあってからじゃ遅いんだ」
「分かってる。でも君達もちょっとは後ろに気を配ってよね。中高で鍛えてた頼成や勇者のるうかちゃんと違って、俺はあくまで繊細な文化系なんだから」
「ああ……悪かったよ」
「ごめんなさい、落石さん。今度からは気を付けます」
るうかがそう言って謝罪すると、佐羽は何だかとても嬉しそうに声を立てて笑った。その顔が妙に幸せそうなのが気になったが、そこへちょうど料理が運ばれてきたためにるうかは質問するタイミングを逃してしまう。
皿に盛られた小魚のフライはやけにひれの大きな蝶のような形をしたもので、るうかの知るどんな魚とも違うようだった。添えられたソースはどういう材料を使っているのか微妙な青紫色をしており、一見して食欲を削ぐ役割しか果たしていない。セットとして出されたパンは固い黒パンだったが、そちらの方がまだ美味しそうに見えた。るうかはしばらく黙って皿の上の料理を凝視したが、やがて思い切って小魚のフライを口に入れる。死にはすまい、とまで覚悟して噛み砕いた魚の味は意外と淡泊で悪くない。そこで付け合わせのソースをほんの少しだけかけて食べてみると、今度は驚くほどにフルーティで華やかな味がした。これまでに食べたことのあるどんな食べ物とも異なる味だったが、決してまずくはない。それどころか意外と。
「……美味しい」
「マジか」
頼成はぎょっとしたようにるうかを見て、それから自分の皿に手をつける。佐羽が何とも言えない顔で頼成を見て、そのうち耐えきれなくなったのか口を開いた。
「あのね頼成……何るうかちゃんに毒見させてるの」
「え? いや、別にそういうつもりじゃ」
「じゃあ君は彼女より度胸がないってことだね。見慣れない料理を前に尻込みをしたんでしょう? わぁ、さすが頼成。なっさけなーい」
「スタミナ切れで迷子になった奴に何言われたって平気だぞ」
「迷子じゃないよ」
「ああ、ちゃんと元の場所までは戻ってきたんだもんな。それで何1人でのうのうと飯食ってんだよ」
「だって待ってる間退屈だったんだもん」
「だもん、じゃねぇよ。ホントお前って奴はいつまで経ってもそういうところがガキだよな」
「どうせ早生まれですからー。何さ、勝手に家出ていってうちのことほったらかしにしたくせに」
「実際の家事なんてほとんど緑さんに任せてたんだろうが」
「ああ、そういえば俺が掃除しなくてもいつも家は綺麗で、不思議に思っていたんだよね。ゆきさんは掃除嫌いだし……」
「お前……気付けよ! 緑さん、ずっとお前に気を遣ってこっそり家事やってくれてたんだろ」
「頼成だって気付いてなかったじゃないか。俺にばっかり押し付けないでよ」
放っておくといつまでも喋っていそうな2人をよそに、るうかは出された食事を全て平らげる。それからさてお代はいかほどが適切かと考えていたところへ、急に大きな音を立てて食堂に1人の男が飛び込んできた。
「ああっ、ここにいたのか賢者!」
「ん?」
見覚えのある顔に頼成が反応する。血相を変えて飛び込んできたのは、先程聞き込みをしていたときに出会った顔に傷のある中年の男だった。彼は頼成を見て両手を合わせ、拝むように言う。
「頼む、手を貸してくれ! 町の西側で家が崩れたんだ。下敷きになった奴がいる!」
「っ、分かった。案内してくれ」
「私も行きます」
るうかは食べ終えた皿の横に代金を置こうとしながら立ち上がったが、そこへ店の奥から店主が怒鳴るように声をかけてくる。
「金なんか要らねぇ! 嬢ちゃん、赤の勇者だろ。力ぁ貸してくれれば食事代なんざチャラだ!」
「分かりました、ありがとうございます。ごちそうさまでした!」
るうかは店主に礼を言って、顔に傷のある男と共に食堂を出る。頼成は勿論のこと、佐羽も何も言わずについてきた。また込み入った道を辿るのかと思ったがそうではなく、傷の男はるうか達を先導して家々の屋根を伝いながらすぐに現場まで連れていった。やはり町の者にしか分からない特別なルートがあるらしい。
男の言った通り、そこでは複数の家が崩れて重なり合うように潰れていた。うっすらと煙が立ち上っているところもあり、火災になる可能性もある。家屋のほとんどが木造であるため、炎が広がれば人命救助どころではない。
「佐羽、火元が見えなくても火を抑えられるか!?」
「いける! 頼成は怪我人の方に。るうかちゃん、俺が火を抑えたらすぐに瓦礫撤去に回って。また崩れるかもしれないから慎重にね!」
頼成と佐羽が素早く対応し、るうかも潰れた家の一番下と思われる場所へ近付いた。現実世界でもテレビ画面でしか見たことのない事故現場に戦慄するが、臆している暇はない。男の話ではおそらく3軒の家が崩れ、そのうち1軒にはひとりでは歩くことのできない足の悪い中年の男性が住んでいたということだった。崩落する自宅から飛び降りて足を捻った若い男が頼成による手当てを受けている。もう1人は木材が肩に当たったということで痛がってはいるが、どうやら打ち身程度らしい。他にも近くを歩いていて巻き込まれた者が何人かいたが、皆軽傷だった。しかし足の悪い男の姿だけが見当たらないのだという。
「鎮火完了! るうかちゃん、いいよ!」
佐羽が大声で叫ぶ。るうかは崩れた家の残骸に手をかけた。無惨な断面を晒す木材はすでに相当の年月を経ているのかやけに脆い。るうかが少し力を加えただけでぼろっと折れてしまう。元々下方の家屋がかなり傷んでいたのだろう。それを補強できないまま今日まで来て、そのために崩れてしまったのだ。
家の土台に使われていたらしい角ばった石が重い。まずは上に乗っている家の建材をひとつずつゆっくりと取り除いていく。るうかが瓦礫の山に這い上がり大きな木材や石組みの土台を下に降ろす。他に集まった男達や怪我人の手当てを終えた頼成が下の方で取り除いても大丈夫と思われる場所から瓦礫の撤去を始める。時折誰かが姿の見えない1人の名前を呼んだ。
「ケンジー! 聞こえたら返事をしろお!」
顔に傷のある男が怒鳴りながら瓦礫の山をかき分ける。るうかはその声を下に聞きながら一抱えもある巨大なタンスを下に降ろした。建材だけでなく家財道具全てがひしゃげ崩れて瓦礫の一部と化している。つい先程までは誰かが生活していたであろう場所が崩壊し、凶悪なまでの様でその場を占有している。人間の生活など、知恵など、所詮はこの程度のものなのだ。そう嘲笑うかのように乱れた空間がそこにある。るうかはめげそうになる気持ちを奮い立たせ、勇者の怪力を存分に発揮しながら瓦礫という敵に立ち向かった。
執筆日2013/11/25