コインを掘り返す
お題:鋭いお金 必須要素:スマホ
ねえ風子、と、姉は存外真面目な顔をして、ピンクの軽の運転席から身を乗り出した。
「あんたさ、本当に、叔父さんのこと好きなんじゃないの?」
そう言う姉の瞳は力強い。元々眼力メイクとか言って目の周りは念入りにメイクする人だけれど、そういう次元じゃない。姉の瞳は、荒々しく乱暴に、風子の心を覗きこんではかき乱すのだ。
だからそっと風子は目をそらした。前を向いて、信号機を見て、何もなかったように姉へと進言する。
「お姉ちゃん、信号青だよ」
姉がはっと前を向くのが横目で見えた。それから慌てて車を急発進させる。荒々しい運転に笑って、それでさっきの話題は流れた。姉のチラチラとした視線はなかったことにした。
風子とその姉の鈴子は、今母の実家へ帰省している。父はすでに亡い。風子が小学四年生の時だから、もう七年も前のことになるのか。まあ元々、父の方の実家には数えるほどしか行ったことがなかったのだが。
今年は祖母の体調もあって、少し早めで少し長めの帰省となった。今は二人で、車で四十分のスーパーまで買い出しだ。一番最寄りのスーパーがそこで、一番最寄りのコンビニが車で十五分のところ。母の実家はそんな田舎にあるので、車が運転できる姉は大変重宝されている。
「じゃあ風子はそっちの袋持って」
「はーい」
広々とした敷地内の適当なところに車を止めて、姉は風子へ指示した。風子が持たされたレジ袋は一つだけで、そういった妹的な気の使われ方に風子はすっかり慣れてしまっていた。姉は妹をそういう風に扱い、そしてああいう風に大切にしてくれているのだ。妹が馬鹿な男に引っかからないように、自分が傷つくような馬鹿な恋だけはしないように。そのことはわかっていたから、風子は車中での質問に答えなかった。
風子は片手に、姉は両手に袋を下げて家に戻ろうとすると、車のエンジン音が聞こえた。ややあって敷地内に入ってきたのは、黒のゴツい車。風子に車種だとかはわからないが、それが誰の車かは分かっていた。風子たちと同じく、帰省してきている叔父の車だ。
「あれ、叔父さん、出かけてたの?」
「おう。ちょっと買い出しにな」
バタンとドアを閉めて、運転席から叔父が降りてきた。それからもう一つ、バタンとドアの閉まる音。叔父は一人で出かけたのではないらしい。助手席の方からひょっこり顔を出したのは、風子たちの年の離れた従弟だった。彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、何かを大切そうに持っている。おや、と思うと、従弟の方から風子へ見せびらかしてくれた。
「みてみて! 買ってもらったんだ!」
「あ、花火?」
うん! と頷く従弟が掲げるのは、家庭用花火の詰め合わせセットだった。しかも随分と大きな奴だ。自宅の庭で打ち上げ花火が出来るのは田舎の特権だろう、と叔父が笑う。どうせだったら、派手な奴にしないとな、と。
「今日の夜やろうよ! 皆で!」
はしゃいで飛び跳ねる従弟を、風子は空いている片手でなでて落ち着かせる。そうしている間にも、姉と叔父は仲良さそうに会話していた。
「あのねえ叔父さん。あんなでっかいの買ってきて、使いきれると思ってんの?」
「なんだ。お前たちだって花火好きだろ」
「確かに好きですけどね。花火花火ーってああいうふうにはしゃぐほど子どもじゃないっての」
「といっても、まだ皆帰省してくるだろ?」
「確かにうちには従兄弟がたくさんいますけどね、叔父さん。その従兄弟たちも皆、子どもじゃないんですよ。わかってる?」
「あ、もう皆そんなにでかくなってたか?」
そこから話題は従兄弟たちの近況へとうつる。やれ長女のところは大学に進学しただ、やれ次男のところは行きたい高校で揉めているだ。その話題に、入ろうと思えば入れたのだけれど、そうすると従弟が仲間外れになってしまう。ああいった親戚の事情を笑って話すには、彼はまだ幼くてつまらないだろう。そう思って風子は従弟の相手をする。叔父と姉の様子だけちらちらと窺いながら。叔父は大層自然な動作で、姉からスーパーのレジ袋を一つ奪った。そういう光景を見る度、ああ、と思う。
風子は叔父に恋愛感情を抱いているわけではないのだが、姉と叔父が仲良くしているのを見ると、どうしてか心がささくれ立つのだ。
夜。
予定通り、風子たちは夕飯をすませた後、庭で花火に興じていた。従弟が花火を振り回し、本来ならそれを咎める立場の姉は両手に花火を持って振り回していた。結局叔父がそれを注意して、風子はといえば、その光景を少し離れたところから見ていた。幼い頃から花火や祭は、こういうふうに少し遠くから眺めていた。姉のように飛び込んでいくだけの良い図太さを、風子は持っていなかったのだ。
だからこの光景は、随分と幼い頃から変わらないものだった。姉はいつでも無茶すれすれの遊び方をして、叔父がそのストッパーを務めていた。風子はそれを遠くから眺めて、風子ちゃんは大人しくて偉いねと、良い大人たちに褒められていたのだった。
そんな風に褒められても何も嬉しくなかった。風子はただ、叔父に構ってもらえる姉が羨ましかった。
それが恋心なのかどうか、自分でも疑ったときはあった。けれど自問自答の結果はいつでも否だった。これでもクラスに気になる男の子もいるし、彼が他の女の子と話しているとモヤモヤする。それと、叔父と一緒にいる姉への感情は、少し違うものだった。だから風子は、あの車中の質問になんと答えればいいのか、自分でも分かっていなかった。
きゃあきゃあと、三人は楽しそうに花火に興じている。従弟以上に無茶をする姉を、叔父が苦笑しながら諌めている。それを眺めてはささくれ立つ心を、花火が綺麗だと思うことで誤魔化すことにした。写真でも撮ってあげよう。そうすればそれは、一緒に花火に興じない良い言い訳になるだろう。
スマホを取り出そうとポケットをまさぐり、ふと、風子は地面に目を止めた。スマホを取り出すのはやめて、その場にしゃがみこむ。何か足元で光った気がしたのだ。淡い光の中でやがて見つかったのは、土に埋もれかけたゲームのコインだった。
ああ、懐かしい。幼い頃、風子と姉はこれをよく集めていた。こんなお金見たことないから、大層高価なものに違いないといって、二人で何枚も何枚も集めていた。
そっと地面を掘り起こして、コインを手のひらに乗せる。軽く土を払えば、風子には何やら思い出される記憶がある。それは多分もっと小さい頃で、多分少し大きな花火祭に行った時だ。
あの時、側に姉はいなかった。珍しく一人で、風子は地面を掘っていた。この辺りにコインがたくさん落ちていたので、もっと見つかるのではないかと期待しての行為だ。どうして一人だったのかと言えば、ああそうだ、一緒に来ていた父は、姉につきっきりだった。段々と深く記憶が掘り起こされていく。これはまだ父が生きていた頃の記憶だ。
姉は昔から無茶をする子で、元々父がそのストッパーだった。そうだ、思い出してきた。
だから風子は一人で地面を掘っていた。やがて、地面を掘る手に何か当たった。それはチクリとした痛みを伴っていて、慌てて指を見てみれば、そこから赤い血が流れていた。手に当たったのはコインで、どうやら何かの拍子に折れ、削れ、鋭利な角度を持っていたらしかった。風子はそれで指を切ったのだ。
痛い、と思った。涙が溢れて、けれどどうしようもなかった。だって風子はその時一人だった。いつでも一緒にいてくれた姉もなく、一人でどうすればいいのかも分かっていなかった。静かに絶望に打ちひしがれた風子へ、ああ、ああそうだ、その時話しかける声があったのだ。
「――風子ちゃん?」
それは叔父の声で、はっと風子は追憶をやめた。顔を上げれば、叔父が気遣うように風子を見ている。
「どうした? 気分悪いのか?」
ずっとしゃがみこんでいたから、心配させてしまったらしい。大丈夫、と首を横に振って、はたと風子は気づいていた。
しゃがみこんで見上げるその叔父の顔。花火の明かりに照らされて、片方が明るく、片方が暗いその顔が、ああ、あの時風子を見つけてくれた、父にそっくりだったのだと。