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アンドロイドに毒薬を(旧Ants)  作者: かいなた りかのすけ
chapter2:廃都市
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2-0

――私ってば、どうしてこんなことしちゃったんだろう。


 足が鉛のように重く、汗と血で全身がぐっしょり濡れて不快感を覚える。とっくにハイエナは見えないくらい前に行ってしまった。


「あ、あの……、……重いんですけど、もう少しだけ……ハァハァ……歩け、ますか。自分で……」


 ゼエゼエ喘ぎながら、アゲハはやっとの思いで声を絞り出した。無茶なお願いであることはわかっていたが、もう立っていることすら難しいほどだった。

 アゲハがお願いするたびに少しの間軽くなるが、やがてまた元の重さに戻る。

 死に掛けの男と女子高生の二人ではこの死臭にまみれたスラム街を歩く恐怖と言ったら、筆舌に尽くしがたいものである。まるで生きた心地がしなかった。

 だが、あのとき引き返したことに後悔はしていない。なぜなら、交渉ができるからだ。


「助けてあげますから……、協力して欲しいことがあるんです」


 当然、答えはる声はない。だが、アゲハは小さな声で続けた。


「私はこの一ヶ月で、ハイエナさんを……殺します。それを、手伝って」


 この言葉に、ピクリと背後の大男が反応した。乗って来た、そう来ないはずはないと思っていたが、思い通りの展開についついほくそ笑む。もう少しだ、もう少しの押しで、このモンスターは自分の手に落ちる……。


「一応私たちの間では、アナタの所持してる技術や薬品を奪えば、逃がすっていうことになっていますけど……。あの人がそのあと、逃がすと思いますか?」


 おそらく数十分くらいしか歩いていないが、アゲハは限界だった。この階段を上がったら休もう、ぼんやりとそんなことを考えていた。


「私に協力しないと、どの道アナタは死にます。……だから、協力し――」


 途中まで言いかけて、ハッと口を噤む。

 前傾姿勢の視界に、足元が映る。それを伝って見上げると、片方の眉を吊り上げて睨みつける灼眼の男と目が合う。


「何をごちゃごちゃと喋っている?」


――まさか、聞かれた!?


「……余計なことを」


 どうやらジガバチを拾ってきたことに対して怒っているようだ。大きく舌打ちをすると、ぎろりと睨む。

 思わずホッとして、心の中で神に感謝する。


「入れ」


 ハイエナはそう言ってシングルサイズの廃屋を指差した。

 疲労でもたついていると、痺れを切らした彼は大きくため息を吐くと、「貸せ」と言って、乱暴にジガバチの腕を引っ掴んだ。そのまま、一回りも二回りもでかいジガバチをひょいっと片手で肩に担ぐ。

 ぜえぜえと、しばらく膝に手をついて息を整えると玄関の敷居らしき境目を跨ぐ。

 生活感のない居住空間が広がっていた。ところどころ老朽化を感じる部分もあるが、カビと埃臭い以外は住宅として機能していることにアゲハは驚いた。

 屋根と壁があるという環境に安心した途端に、急にどっと疲れが押し寄せて来た。どろりとした眠気が体を包み込む。真冬というのに汗はなかなか引かない。ひんやりとした廊下が妙に気持ちよかった。

 バタッとそのまま倒れると、アゲハは深い、深い眠りに落ちた。



「いい加減にしてよ!! いっつもいっつも、特別扱いされてさ! 調子に乗らないで!」


 アゲハは強い憎しみをヒイラギにぶつけた。それだけでは飽き足らず、綺麗に巻かれた栗毛色の髪の毛を掴むと、思いっきり引っ張った。


――これ、夢だ。


 憎悪が胸を焦がし感情を揺らすが、頭だけは妙に冴えわたっており、この状況を俯瞰していた。

 当然ヒイラギも掴み掛かって、応戦する。


「何が? ねーちゃんみたいに、悪い点数取ったりしないもん!」


「そんなの、未来覗いて、ズルしてるからじゃん!」


「ズルくないもん!!」


 アゲハが十五、そしてヒイラギが十二のころのことだ。

 アンティーターの創立を祝う盛大な祭りの日で、花火にプロジェクションマッピング、出店が並んでいた。アゲハはスイバと行く予定だったが、テストの点数が悪く、折檻中であったため涙を飲んで帰宅した時だった。

 リビングの扉を開けると、おめかし姿のヒイラギと鉢会い、アゲハは激高するという流れだった。


「ひーちゃんもお祭り、スイ君と行く」


 彼女に特段他意はなかったことは、十分に分かった。だが、ここでアゲハの堪忍袋のをが音を立てて切れる。こうして、彼女に掴み掛かるのに至ったわけである。

 ここからは、「ズル!」「ズルくない!」の水掛け論である。しかしここで、ヒイラギは致命傷の一言をアゲハに浴びせた。


「ねーちゃんから勉強取ったら、何も残んないくせに!!」


 気付いたら手を挙げていた。ほんのりリンゴ色を帯びた、形のいい頬に向けて平手を振り下ろそうとする。

 その瞬間、後ろ襟を何者かによってグイっと強い力で引き寄せられる。母だ、全身の毛が逆立った。

 手を振り下ろすのをやめて、恐る恐る後ろを振り返る――。


「おい! いつまで寝てんだ、起きろカスッ!!」


 アゲハは、ジガバチの怒号とともにべチンっと頬を叩かれた。

 文字通りたたき起こされたアゲハは、自分がベッドに寝ていたことに驚いた。昨晩は疲れすぎて、廊下に倒れ込んだところまでは記憶していた。


「あれ……?」


 まだしっかり開いていないまなこをこすりながら、腑抜けた声が出る。その様子に、「オマエ、寝言がうっせェんだよ」と、怒鳴る。

 「えっ……」とアゲハはバツが悪そうに呟くと、再び布団をかぶった。

 しかし、そんなアゲハから布団をもぎ取ると、容赦なくベッドから蹴り出した。ドスンと尻もちをついて、思わず呻く。


「なんでてめーがそっちに寝てんだよ。ふつう俺だろがァ」

 

 その言葉でアゲハは昨日の出来事を思い出した。色々なことがあり過ぎて、はるか遠く昔のことのように思える。

 ちらっと周囲を見回し、ハイエナの姿を認める。彼は二人のやり取りなどまるで興味も無い様子で、


「そういえば、元気そうですね。よかったです」


 苦々しい表情でジガバチを見上げた。記憶が正しければ、あちこちに致命傷クラスの刺し傷と切り傷があるはずだが、それをまるで感じさせないほどピンピンしていた。


「見りゃわかんだろ。めちゃくちゃ瀕死だ、目ェ付いてんのか?」


 どこがだろうか? と突っ込みを入れそうになるが、昨日の凄惨な様子を思い出して思いとどまる。

 悶々としているアゲハをよそに、このクマムシ並みの生命力を持つこの男は、あれよあれよという間に服を脱ぎだすと「縫え」と言ってきた。

 手術手技を学ぶのは好きだった。ナノマシン技術や手術ロボットの技量がインフレしつつある今、そう言った分野が人の手で行われる傾向は廃れつつあった。だが、練習すればするほど、場数を踏めば踏むほど上達していく様子が目に見て取れる。先見の明があろうが未来が見えようが、才能は関係ない。努力がものを言う世界だったから、この時だけはヒイラギに勝ったような気がした。


「てめーの十八番おはこなんだろ?」


 あっけらかんとしているアゲハの前に仁王立ちになる。眉間にしわを寄せた、如何にも戦闘狂といった顔を見つめた。

 自分の手技を褒められたような感じがして、思わず顔が綻ぶ。しかし、目の前に居るのは快楽殺人犯であることを思い出し、慌てて笑みを消す。

 思わず、顔色伺うようにハイエナの方を見た。ハイエナはこちらの方を見もせずに背後の引き出しを黙って指す。

 “やれ”ということだろうか。

 彼女は慌てて立ち上がり、「はい!」と返事をして道具を取りに行く。

 引き出しを開けると、鉗子、鑷子、未開封のメス刃も大量にあった。アゲハは何かに使えるかもしれない、と思い大量に掠め取った。

 ハイエナの背後を見つめ、アゲハは今なら刺せるのではないだろうか、と思った。ハイエナはワイヤーを研いでいた。通りで切れ味がいい場合があるわけだ。

 だが、この体勢なら背後のアゲハを殺すことは難しい。

 アゲハは一枚だけ開封したメス刃を握って、背中を見つめた。


「何だ」


 ふいに声を掛けられてハッとなる。考えが読まれたかのようなタイミングに、背筋が凍る。


「……いいえ、何も」


「そうか」


 顔面蒼白になってジガバチのもとに戻ると、半笑いで「何やってんだ、お前」と声を掛けられる。

 ほとんど表情を変えないハイエナと長らくいたせいで、妙に人間臭い彼の表情に安堵さえする。

 しかし、心開きかけたとしても、ターゲットを目前にして、暗殺の作戦会議を続けるわけにもいかない。


「これ、使えるかもしれないので持ってきました」


 そう言って、おずおずとメス刃をいくつか手渡した。


「駆虫剤くれたら、手伝ってやるよ」


 アゲハは彼の無神経な一言に心臓が飛び出るかと思った。出会った時から蛮勇ともいえる命知らずな行為には、呆れを通り越して尊敬すらしたほどだ。


「あの、ジガバチのお母さんはメタボリックシステムの最高責任者だったんですよね」


 彼の言葉にはまるで気にも留めない風を装い、とっさに話を逸らす。


「そうだぜ。俺がまだ腹ン中いた時に都落ちしたんだと」


 先ほどまで黙っていたハイエナが、「……どおりで」と、呟いた。


「だが、珍しい話だな。システムの最高責任者は秘密保持のために、ナノマシンが心臓に埋め込まれるはずだ。それをどうくぐり抜けたんだ」


「心臓を一度止めて、死を偽装したらしいぜ。よくは知らねェけどな」 


 二人を交互に見た。だが、ジガバチの母親もまた、相当優秀な科学者であり、母であるユズリハと同じ職場で働いてことは分かった。それどころか二人は顔見知りだった可能性すらある。父親のことも知っているかもしれない、そう思うと、彼女について俄然興味がわいてきた。


「えーっと、ジガバチのお母様にお会いしてみたいんですが――」


「そいつは無理な話だな」


 アゲハの申し出をジガバチは鼻で笑い飛し、言葉を遮った。

 はて? と首を傾げる彼女は、彼の次に来る言葉で戦慄した。

 


「母親は俺が殺した」


 酷い自傷行為の痕をチラリと見てしまった時から、何かあるのだろうとは思っていた。

 皮膚を縫い合わせる手が震え、手にした糸に思わず力が籠る。


「……バッ!! 痛ェッ!」


「す、すみません!!」


――やっぱりコイツも頭がおかしいんだ!!


 絶対に心を赦してなるものか! と強く心に誓い、開きかけた心の鍵を再び閉ざしたのだった。

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