4.性質検査
どうやら学園には、授業の初めに担任の教師から一日の流れや連絡などを聞く時間があるようだ。夜はフォルが淀みなく口を動かすのを見てそう考えた。隣では、ようやく落ち着いたらしいフィンがフォルの話を静かに聞いている。
「……以上だ。何か質問はあるか?」
フォルは依然として表情を変えない。それでも生徒達から嫌われたり敬遠されたりということはないようだ。むしろ生徒達はフォルを好いているように感じる。実は面倒見が良いのかもしれない。――夜はまだ学園について何も知らないので、話の内容はよくわからなかった。無論質問もない。そのためフォルをさり気なく観察していたのだが、そんなことしかわからなかった。
ふぅっと息を吐く。夜はとても疲れていた。クルスの張っている結界のせいもあるのだろうが、大きな原因は大人数の中にいることだろう。気配に敏感な夜にとって、沢山の人間の中にいるのは至難のことだった。
「質問はないようだな。では、一限目の授業は十分後に行う。準備しておけ」
そう言うフォルと目が合う。
「夜はこの後俺について来い」
視線が鋭い。何があるのか夜にはわからなかったが、とりあえず「はい」と返事をする。
フォルは夜の返事を聞くと、「号令」と一言言い放つ。すると、夜が挨拶した時フィンと同様に夜を庇った、気の強そうな少女が立ち上がる。
「起立。……礼」
少女の号令通りに生徒達が動く。その行動がどういう意味を含んでいるのかは知らないが、夜もそれに合わせておいた。
顔を上げた途端、生徒達は思い思いの場所へ移動したり、友達とお喋りしたりし始めた。そんな光景をよそに、夜はフォルに連れられて教室を出た。
「今からお前の魔力の性質を調べる」
フォルの後に続いて教室を出た夜に、そんな言葉が掛けられた。
説明によると、この学園では生徒の魔力の性質を登録しておくらしい。
(性質……)
夜は一度だけキースに調べられたことがあった。まだ関係が希薄だった頃だ。それでも、その時のキースの反応は忘れていない。それに、結局結果は教えてもらえなかった。――詰まるところ、夜にとって性質検査はあまりいい思い出ではないのだ。
しかし、郷に入っては郷に従え。夜は検査を受けるしかなかった。――その検査により、フォルの鋭い視線がさらに鋭さを増すことになるなんて、夜は知る由もないのだから……。
フォルに連れて行かれたのは、小さな物置みたいな部屋だった。中には、大きな水晶玉のような物が一つと、その周りに本棚があり、様々な本が所狭しと並べられている。ひっそりとした場所であるのに、部屋の中は綺麗に掃除されていた。
夜はふらりと水晶玉のような物の前に立つ。以前キースに検査された時にも使用した。あの時はもっと大きかったような気がしたが、そう感じるのは、自分があれから成長しているからだろう。そんなことを考えながら、思わず手を触れようとした時だった。
黙って後ろに立っていたフォルが、急に夜の手首を掴んだ。夜は反射的にその手を捻り上げるが、フォルは俊敏な動きで夜の体を拘束する。掴まれた手首からミシッと嫌な音が聞こえた。
「下手に動くなよ。骨、折れるぞ――」
低く地を這うような声。フォルから発せられているのだと、すぐにわかった。
「……どういうことですか?」
夜には、自分に落ち度があったようには思えなかった。怪しまれる覚えなどこれっぽっちもない。だが、フォルの眼差しは疑いに満ちていて、微かな怒気もちらほらと見え隠れしている。
フォルが嘲笑を浮かべ、夜の顔を見下ろした。
「お前、かなりの数殺ってきたな。その道では相当な手練れだろう?」
突拍子もない言葉に、夜は一瞬顔を顰めた。動揺を隠しきれなかったのだ。
フォルがにやりと笑んだ。その表情からは、フォルがかまを掛けたというわけではなく、確信していたのだと感じ取れる。
「……何故そんなことを?」
緊張はしていない。バレたなら殺せばいい――ただ、それだけのこと。
しかし、殺す前にこれからの参考として、何故わかったのかを訊きたかった。
「理由なんて単純だ。お前の、その空気――」
どういう意味かわからない。空気――とは、気配のことだろうか?
夜が首を傾げているのを見て、フォルが再びくつりと笑う。今度は白い歯が微かに覗いた。
「一定の人数を殺してきた奴が纏う、特別な空気だ。……普通は隠すものだが、そこは、お前がまだガキだっていう証拠だろう」
「詰めが甘いんだよ」と吐き捨てるフォルの表情は、どこか楽しそうだ。
夜は、フォルに感じていた変なものが、恐らく自分と同じ――フォルの言葉を借りるなら――、この空気なのだと直感的に感じた。
だとしたら、この状況は危険だ。
夜にとって、学園の教師くらいなら難なく倒せる相手だろう。しかし、フォルはそう簡単にはいかない相手のようだ。何せ、自分と同じ空気を感じるのだから。それなら力量だって同等のものだろう。
無表情を装っていた夜だが、この時ばかりは微かに唇を噛んだ。
夜は覚悟を決め、ギュッと歯を噛み締める。――が、夜が覚悟したようなことは起きなかった。それどころか、夜を捕まえているフォルの手から力が抜けていく。一体どういうことだろう。
「……どうして」
「別に最初から殺すつもりなんて俺にはない。ただ釘を刺しておいただけだ」
「一応俺の生徒だからな」と言い、手首をグリグリと回し、関節のストレッチを始めるフォル。夜はポカンと口を開けたまま、その様子を眺めることしかできなかった。
(……効いたか)
フォルは柄にもなくホッとしていた。確かに殺すつもりはなかったが、相手が攻撃を仕掛けてきた場合は別だ。もし夜が自分を殺しに掛かったなら、こちらもそのつもりで対応しなければならなかっただろう。夜はそんじょそこらの人間とは格が違うのだから……。そうなれば、フォルは夜を殺していた。――いや、実際は自分が殺されていたかもしれない。一方的にやられることはないだろうが、良くて相討ちだろう。それくらいフォルと夜の力量は均衡していたのだ。
夜にはバレなかったようだが、フォルは内心ヒヤヒヤしていた。余裕を見せていたのも、楽しそうにしていたのも、全部演技である。そうでもしなければ、夜は確実に戦う道を選んでいただろう。相討ちにならず、且つ釘を刺すには、そうするしかなかった。そして、フォルは賭けに勝ったのだ。
黒い瞳がフォルを見ている。長い前髪に覆われているため、はっきり表情が見えるわけではないが、不思議に思っているということはわかった。
どういう経緯かは知らないが、夜はどうやら、「殺し」に生きるしかなかった少年なのだろう。現に、この状況で自分を殺さないフォルが理解できないという様子だ。これは、夜がそういう状況を経験したことがないという証拠だ。
部屋の真ん中に置かれた水晶に、フォルと夜の姿が映っている。それは当たり前に大人と子どもの姿でしかない。大人に庇護されるべき子どもが、何故そんな世界を生きてしまったのだろうか。同情とも憐憫ともとれる感情がフォルの胸の内を支配する。
「――と、いうことだ。疑われるような行動は十分慎むんだな。俺はいつでもお前を消せる」
未だ外れない視線に自分の視線を合わせた。先にある瞳が揺れる。
「……別にそんなことするつもりは初めからないです」
ムッとしたような口調に変わった。理事長室で会った時より、若干感情が表に出てきているような気がする。
「それならいいがな」
「生憎、怪しいものには疑って掛かるのが性分なんだ」夜につられて、思わずいつもならしない言動をとってしまった。
夜がそれっきり口を開かなくなったため、小さな部屋に沈黙が訪れる。
「……調べないんですか?」
些か不機嫌そうに話を切り出した夜の言葉に、「あぁ、そういえばそれが目的だったな」とフォルは思い出し、そう返した。
予定を忘れたりすることなど滅多にない。――それだけ、この子どもに自分が心を乱されているということか。
フォルが一つ息を吐くと、その顔は、いつものような、冷たさを感じる表情に戻った。
「では、この水晶の前に立て」
(お前がどれだけ謎めいたガキでも、俺には関係ない。やるべきことをやるのみだ)
丁度夜が水晶の前に立った。その時、密室の部屋に風を感じた気がした。
「これでいいんですか?」
夜は水晶の前に手を翳した。白く細い指が、その表面に歪んで映る。
「ああ。そのまま魔力を放出させろ」
フォルに言われた通り、手始めに微量の魔力を放出させた。そして、徐々に量を増大させていく。キラリと水晶が輝いたのを、夜は見逃さなかった。
次いで、一瞬の輝きの後、水晶は膨大な、圧倒的な光を放ち始める。
「……っ、これは!」
無色透明の水晶が、今は様々な色に変化していた。透明から黒へ、黒から白へ――変化の幅は大きい。
フォルの表情が、同じ状況だった時のキースの表情に酷似している。やはり自分はどこか異質なものなのだろうかと、夜はぼんやり他人事のように思う。
「……もういい。魔力を抑えろ」
落ち着きを取り戻したフォルの声に従い、夜はゆっくりと魔力を抑え込む。手早く戻すと、その分無駄な魔力を消耗してしまうのだ。
完全に魔力放出を止めると、疲れたようなフォルの顏が迫ってきた。思わず後ずさる。
「お前は……」
そこで一旦言葉が切られた。続きを待ってみるが、何の返事もなかった。仕方なく夜が切り出す。
「何でしょうか?」
「……いや、何でもない」
そう言うフォルの顔は、何でもないような顔ではなかった。それでも、問い質したところで返事はないだろうことが予想されたため、夜がそれ以上フォルを追及することはなかった。
突然、柔らかい響きを持った、しかし荘厳な鐘の音が鳴り響く。この学園の始業の鐘鼓だ。
「授業が始まる。急いで教室に戻れ」
そんな音を掻き消すかのように、フォルから淡白な言葉を掛けられる。時間がオーバーしたのはそっちのせいだろうと文句を言いたかったが、実際そんなことを言っている暇はない。モヤモヤした気持ちを残し、夜はその場を後にした。
そういえば検査の結果を教えてもらっていないと夜が気付くのは、教室に着き、フィンに「何してたんだ?」と訊かれてからのことだった。