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liar~嘘吐きな殺戮人形~  作者: まぼ
プロローグ
2/14

未成熟な少年

 鉄のような、金臭い臭いが鼻を突く。嗅ぎ慣れた臭いだ。

 夜は小さく息を吐くと、近くにあった書類を手に取り、一気に燃やす。厚い紙の束が炎に包まれたと認識した瞬間には、夜の手に残るものは何もなかった。

 灰がパラパラと不規則に揺れ落ちていく中、コツン、と背後から靴音が聞こえた。

「またえらく派手にやったね」

 夜が振り向くより早く、靴音の犯人が声を発した。チラリと視線を向ければ、呆れ顔で床に広がった赤い池を眺める男がいた。明るいブラウンの髪色は、この暗く陰鬱な場には相応しくないように思える。

 明らかに怪しい男と対峙しているにも関わらず、夜は特に表情を変えることなく前へ歩み出た。

「……すみません」

「いや、謝らなくてもいいんだけどさ、今日はいつもより荒くない?」

 掛けられた言葉に、夜は何も答えようとしない。ただ、視線を横にずらす。

 そんな夜に、男は諦めたように目を伏せ、「まぁいいや」と頭を掻く。そして、思い出したように顔を上げると、整った顔に笑みを浮かべた。月光に照らされたその笑顔はずいぶん神秘的に浮かび上がる。

「――そうそう、今日は消えないでね。話したいことがあるんだ」

 そう言う男に、夜は無表情で頷く。

「じゃあ僕はここ片付けるから、先に僕の家に行ってて。あ、中に入ってていいから」

「わかりました」

 夜は言うが早いか、その場から消えた。足音を立てず、猫のようにしなやかに――。

 一人残った男は足元を見て笑う。

「うーん、やっぱり鮮やか」

 楽しそうに唇の両端を持ち上げ、目を細める男。

 雲の切れ間から漏れ出る月の光が地上を照らす。もちろん、男の周囲も。

 月明かりに照らされた男の前には、黒ずんできた赤い液体が小さな池のように広がっている。その中心には、動かなくなった人間の体が横たわっていた。それらに向かって男が何か小さく呟くと、その全てが綺麗に、跡形もなく消え去る。

「よし、僕も仕事終了! 早く帰ろ」

 フフッと笑い声が上がった刹那、男の姿は闇に紛れて見えなくなった。残ったのは、何一つない、広いだけの暗い部屋。金臭さもない。まるで初めから何も存在していなかったかのようだ。

 男がいなくなった後も、月は相変わらずその部屋を照らし続けていた。



 男の家に着いた夜は、玄関が開いていないことに気付くと、裏にある二階の窓下へ向かった。夜の予想通り、窓は開いている。

 そのまま飛び上がり、窓の桟に足を着けた。白いカーテンは全く揺れない。――と、電気も点いていない部屋から、突然、光る何かが夜目掛けて飛んできた。しかし、夜は焦りや驚きの表情を見せることなく、冷静にその飛んできたものを避ける。そしてそのまま室内に入ると、胸ポケットから出した小型のナイフを、暗闇の奥へと投げた。

 プツッという音がした。何か、糸みたいなものが切れた音だ。

 次いで夜は、そのさらに奥へと歩く。五歩過ぎた所で立ち止まると、手を前に伸ばし、そこにあるスイッチに触れた。指先に、硬いが軽い感触が伝わる。そのまま力を込めると、暗闇に覆われていた部屋が白熱灯の明かりに包まれた。夜が触れたスイッチは、この部屋の電気を点けるスイッチだったのだ。

 先程投げたナイフの傍には、細いワイヤーが二本に切れて落ちていた。片方が窓の桟に繋がっていることから、何らかのトラップが仕掛けられていたのだとわかる。仕掛けたのは、この家の主人しかいない。

 夜は呆れて小さく溜め息を漏らす。ナイフを回収し、ワイヤーも片付ける。部屋の隅には小さなゴミ箱があり、そこへワイヤーを捨てた。

 丁度その時、部屋のドアが開いた。この家の主人が帰って来たのだ。

「あーれ、綺麗になってる。やっぱりあんなんじゃダメだったかぁ」

「……毎回仕掛けるの、やめてください」

「だって夜の腕が鈍るの嫌だもん」

 片付けを終わらせてきた男は、ずいぶんとご機嫌だった。今にも鼻歌を歌いそうだ。いや、さっきまで歌っていたかもしれない。

 夜は呆れながらも反論はせず――無駄なことだと知っているから――、男の顔をじとりと睨む。それでも男の態度は変わらない。

「……キースさん、話って何でしょうか」

 やがて夜は疲れたように口を開いた。

 キースと呼ばれた男は、夜を「まぁまぁ」と黒革のソファに座らせる。

「コーヒー……は嫌いだったよね? 紅茶でいい?」

 キースの問い掛けに、夜は小さく頷いた。

 フンフンと鼻歌を歌いながら飲み物を持って来るキースが、コトンと夜の前に紅茶を置いた。白い湯気が、ゆらゆらと天井に向かって舞い上る。紅茶の表面には、無表情な夜の顔が映っていた。

 飲み物を置き終えたキースは、自分も向かいのソファに座り、ゆっくりと長い脚を組んだ。黒い上質の布を纏ったその脚は、組まれることでさらに長さを強調する。

「さて、話なんだけど……」

 キースはコーヒーの入ったカップを口に近付ける。ブラウンの髪が前に垂れるが、天然の巻き髪は、毛先がクリンと上に巻かれていて、カップには入らなかった。キースの白い喉がコクリと上下する。

「夜、君は学園に行きなさい」

 夜は柄にもなく固まった。それもそのはずだ。珍しくキースが真剣に――しかも真顔で話したと思ったら、「学園へ行け」という内容。告げられた言葉は唐突過ぎて、夜の頭の中ではっきりと輪郭を成さなかった。

「夜は何歳?」

 固まったままの夜に、キースは「ふぅ……」と息を軽く吐き、訊ねる。

「…………」

「何歳かも忘れた?」

 髪と同じブラウンの瞳が、俯く夜の姿を見据える。明るいブラウンのはずなのに、今は暗く見えた。

「覚えてるでしょ、夜君?」

 どこか、揶揄するような響きを含んだ言葉遣いだが、声色はそんな軽いものではなかった。顏が良いだけに迫力も倍増である。

「『十四歳からは、各地域の、国に定められたいずれかの学園に入るべし』っていう法律知ってる?」

 夜は明らかに顔を曇らせた。

「知ってるよね? 僕、夜にいろんな知識やら何やらを叩きこんだもん」

 キースの顔に笑みが浮かぶ。しかし、瞳は相変わらず暗い。

「夜さぁ、初めてここに来た時、十歳って僕に言ったよねぇ?」

 ピクリと夜の肩が動く。両手の指先を合わせ、組んだり弄ったり、落ち着かない。

「その言葉を信じれば、今、君は十三歳――うん、確かにまだ学園に行かなくてもいい歳だ。でも……」

 キースの笑みが黒さを纏う。

「ごめんね、調べちゃった」

 夜は弾かれたように顔を上げた。その拍子に目が合ったキースの表情は、どこか楽しげで、でも寂しそうな色を含んでいた。

 夜は一瞬戸惑ったが、構わずそのままソファの背側に飛び降り、床を蹴って窓に向かう。だが、そんな夜の素早い行動は、キースの手によって止められた。夜の手首を熱めの体温が覆う。力を入れても外せない。

「放し――」

「放したら逃げるでしょ? そんなに過去を知られたのがショック?」

「……っ、うるさい!」

 遮るように滑り込んできたキースの言葉が興奮状態の夜に突き刺さる。おかげで一瞬だけ冷静の岸に引き戻されたものの、すぐにカッとなり、ますます夜の心は乱れた。

「君はここに来た時、本当は十二歳だった」

 キースが夜の耳元で囁いた。途端に夜は動きを止める。

 鼓動が激しくなり、指先が冷え、全身の血の気が引いていく。ちっとも暑くないのに、体中から汗が吹き出しそうになった。

「なぁんで嘘吐いたの?」

 夜は口を開かない。けれどキースは、「まぁ知ってるんだけどね」とクスクス笑う。

 耳元から聞こえてくる声が、体の自由だけでなく、呼吸さえも奪おうとする。

「ねぇ、僕は夜が好きだよ? でも――」

 キースは夜の顔を自分の方へ向かせた。

「嘘吐かれるのは嫌い」

 目の前にある顔はにっこりと微笑んでいるはずなのに、背筋が凍りそうなほどゾクリとした。

「だけど、学園に行くなら許してあげる。行かないなら――バラしちゃおうかな?」

 その言葉に、夜は選択肢がないことを悟ったのだった。



 あの日から三日が経った。しかし、夜はキースに対して警戒心を持ったままだ。

 キースはできあがっていた信頼関係を壊したこと、また、夜を強制的に動かすことが辛かった。だが後悔はしていない。

 夜のことは好きだ。素性も知らない少年に対して、キースはまるで本当の父親のような、兄のような気持ちを持っていた。その気持ちは、夜の過去を知ってからも変わらない――いや、むしろ強くなったと言える。だからこそ、このままでいいのかと考えた。ただでさえ非凡で凄惨な過去を経験している夜に、仕方がないとは言え、世間一般でいう『裏の仕事』をさせているのだ。これからは少しでも当たり前の暮らしをさせたいという気持ちが生まれた。

 したがって、学園へ行かせることはキースにとって、まさにうってつけ――これ以上ない、夜への贈り物なのである。

 たとえ夜が自分のことを嫌おうが、折れるわけにはいかない。そう考えていたキースは、ふとドアの外に夜の気配を感じた。

「どうしたの、夜?」

 ガチャリとノブを回す。予想した通り、夜はドアのすぐ前に立っていた。キースが中に入るよう促すと、夜は黙ったまま部屋に入って来る。

 これまで警戒されていたことを思うと、何故夜が自分の部屋を訪れたのか不思議だったが、明日は学園に入る日だ。緊張でもしているのかと、そっとソファへ促す。しかし夜は、ソファへ向かう足を止め、不意に口を開いた。

「仕事は……」

「ん?」

「仕事はどうするんですか……?」

 ああ、そういうことかと、キースは至って明るく答える。

「僕一人で充分だよ。もともと一人でやってたんだしね」

「…………」

「夜の仕事が見れなくなるのは残念だけど」

 夜の仕事――キースの仕事でもある――は、『殺し屋』だ。

 そう、夜の殺しは本当に鮮やかだった。こんな表現は異常なのかもしれない。それでも、音もなく、素早く且つ正確に目標を狩るその姿は、与えられた舞台で舞う極上の踊り子のようで、キースの頭から離れない。あれは暗殺向きだとつくづく思う。

 そんな風に思わせる夜の仕事ぶりが見られなくなるのは残念だが、しばらく我慢すればいい話だ。

 一人でうんうんと頷いていると、突然夜の目から真珠のような滴が零れ落ちた。

 キースは驚き、普段はあまり見せることのない表情を露わにする。

「どうしたの!?」

 夜はポロポロと涙を零しながら、小さく口を動かし始めた。

「……僕のこと、いらなくなりましたか?」

 予期せぬ言葉に、キースはさらに驚いた。

「な、何で?」

「だって……っ、いきなり学園行けって言ったり、……昔のこと、バラすって……」

 震える声に、夜の心が表れていた。正直、夜がこんなに不安定とは思っていなかった。

 夜は同年代の子ども達と比べてもかなり落ち着いている。興奮したり、泣き叫んだり、我儘を言ったり、大声で笑ったり、そういった、所謂『子どもらしさ』みたいなものがない。そのため、あまり感情の起伏がなく、淡白な性格だと思っていたのだ。

「いや、僕は夜に規則を守って欲しいっていうか、そのっ、普通の暮らしを体験してもらいたいっていうか……あ、殺し屋が何言ってんのって感じなんだけど」

 ダメだ。言いたいことが纏まらない。

 キースは何とか気持ちを落ち着かせようと努力する。とりあえず、そう、誤解を解かなければ――。

 キースは夜の頭を撫で、目線を合わせる。涙の膜が張られた瞳は痛々しい。

「うんとね、冷たくしたのは、夜が素直に学園行かないことがわかってたから……要するにわざと。あと、僕に嘘吐いたお仕置きかな」

 ひくりと夜の喉が鳴る。涙はだいぶ止まったみたいだ。

「夜が嫌いになったわけでも、いらなくなったわけでもないからね。卒業したらちゃんと戻っておいで」

 キースが微笑んでみせると、若干、夜の頬も緩んだ気がする。

 夜は不安だったのか、とキースは反省した。そして、反省しながらも嬉しく思った。夜は自分に感情をぶつけてこないため、信頼関係はできていると思いながらも、自分はもしかして嫌われているのかという気持ちが心のどこかに少なからず存在していたのである。それに、こないだのこと――夜の過去を調べたり、学園に行かせるために脅したりしたこと――で、完全に嫌われたと思い込んでいた。

 自分だけじゃなかったんだなと、キースは密かに安心した。

 それにしても……と、頬が緩んだままの夜を見遣る。

 ――うーん、初めて見たなぁ……夜の泣くとこ……と、笑顔。こりゃ学園行ってから大変かも……と、キースは左の頬をポリポリと掻いたのだった。

 今夜は満月。月が夜空を明るく輝かせる日。雲はなく、代わりに無数の星が散りばめられている。明日の夜の新たな旅立ちを祝福しているのか、はたまた嵐の前の静けさなのか……。どちらにせよ、満月はただただ静かに闇を照らすのみ。

 生温い風が、窓に付けられた白いカーテンを踊らせた。

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