1話 フェリム・コナーは言い渡された
「フェリム・コナー、召喚魔法テストの追試を言い渡します」
無情な声は、フェリムの頭上から降ってきた。フェリムは王立魔法学校の制服の裾を握り、目に涙を浮かべる。
「先生、これで二十九回目です……」
「それでは三十回目にならないようしっかり勉強なさい」
「ぶぇぇぇぇっ!!」
「鼻水を撒き散らさないでちょうだい!」
「んぐぅぅぅっ……!」
別に鼻水を撒き散らしてなどいない。豪快に泣いたら鼻水がたまたま飛び散っただけである。クソッタレ教師め、何が鼻水だ。何が追試だ。お前がめちゃくちゃかっこいいおば様系教師でなきゃ、今ごろ床に大の字になってたわ。
フェリムはポケットから出したハンカチで鼻水を拭った。可愛い顔からこんな汚い鼻水出ることあるかよ。蓄膿症か。あれ小さい頃になったけどつらいんだよな。
「フェリム。あなたには素養があります。不真面目にさえならなければ良いのですよ」
教師が眼鏡を片手で上げながら言った。彼女は毎回フェリムに追試を言い渡すが、非常に面倒見が良く、どの生徒にも平等なので人気が高い。フェリムにもその理由は理解出来る。だが、理解と感情は最も遠い位置にあるのだ。
どうしたって、真面目になれない。最初の頃は「僕はフェリム・コナーだぞ」の気持ちで真面目を取り繕えたが、本来の性格は書き換えられなかった。教師もさぞがっかりしているだろう。入学当初は天才児と持て囃されたフェリムが、今じゃ落第ギリギリだとは。
「先生、不真面目が治る魔法ありませんか」
「そんなものがあれば、今ごろあなたは真面目だったはずですよ」
「泣いちゃう」
「鼻水は撒き散らさないように」
「うっす」
教師の眼鏡が光ったので、フェリムは猫背になっていた姿勢を正し、きっちりと頭を下げた。
「以後気をつけます」
「よろしい。追試は来週の今日に行います。時間は放課後。場所は前回と同じです」
「生徒指導室ですか?そろそろ普通の教室に戻しても──……」
フェリムはそこまで言って口を噤んだ。教師の眼鏡がよく光る日である。肩を竦め、「承知しました」と小声で返した。教師は軽く頷くと、フェリムの前から一瞬で姿を消した。さすが王立魔法学校の教師だ。瞬間移動の魔法もお手の物だ。
誰もいない渡り廊下で、フェリムは足もとを見下ろす。窓から差し込んだ光で、影が出来ている。外からは昼休みで騒ぐ生徒たちの声が聞こえ、静かなこことはまるで別世界だ。
そう、別世界。別世界のことなのに──別世界のことだったのに、今ではもう自分のことだから、こんなにも追試がつらい。
フェリム・コナーは、所謂転生者だった。ただの前世持ちと違うところは、この人生を、前世の人格そのものが生きているというところだ。
フェリム・コナーはかつて蓮沼イサギという名前で、身長そこそこ体重重め、基本インドア派だが友達との付き合いでジムに通うくらいの地球の日本出身の高卒社会人だった。だが交通事故により死亡し、推しキャラだったフェリムに転生してしまった。死んだと思ったら「おんぎゃあああああっ!」と元気に泣く我が声にビビり、「フェリムったら、元気ね」と笑う母の声に挙動不審になったのは十七年前のことである。
イサギはフェリムになった。夜のオカズにもした、あのフェリムにである。
幼少期のフェリムは大層可愛らしかった。オカズにする?とんでもない。健やかに育つようにと鏡の中に向かって祈るほどだった。だが、この「フェリム」は自分である。たとえ成人したフェリムであっても抜けねぇよ。だってもう自分だから。こんなに可愛いのに、自分だ。中身は不真面目で下品な蓮沼イサギなのだ。イサギは神を呪った。よくもフェリムに転生させたな。転生させるならせめて近所のガキんちょであれよ。しかし、どれほど呪ったところで現実は変わらない。イサギはフェリムとして振る舞うことを努めたが──無理だった。そもそもイサギの知るフェリムは、過去があまり明かされていないキャラクターだったのだ。
異世界出身で、そこの王立魔法学校に通っていたというのは、「不思議解決部シリーズ」でフェリム自身が話していた。しかも一話目から。だがそれ以外は特に触れられていない。あのシリーズはまだ完結しておらず、ファンブックも無かった。フェリムは優等生だったのか、不良だったのか。それすらも分からない。二次創作では様々な過去捏造を見たが、どれも正解ではない。だからこそ様々なフェリムの過去が存在し得る。とはいっても、こんな「フェリム・コナー」は解釈違いだ!
フェリム──イサギは、床を強く蹴った。八つ当たりだ。
「追試二十九回目?嘘だろ!あと二十一回で退学処分だぞ!?」
ショートボブの銀髪を両手で掻き毟る。あの可愛い「フェリム・コナー」が大量の追試経験、それも言い渡されただけで鼻水撒き散らすなんて。解釈違いにもほどがある。しかしイサギは自分自身を変えられなかった。
素養は確かにあるのだ。魔力は強いし、基礎も頭の中にそこそこある。だがそれまでだ。コントロール?ほぼ出来ていない。応用?なんだそれは。生活に必要な浮遊魔法や火と水と風の魔法はできるのに──って、それは基礎だ。
「どうしよう……。召喚魔法とか鬼門中の鬼門だ……」
魔力のコントロールと知識の応用が大事な召喚魔法は大の苦手だった。召喚魔法により使い魔を呼び出し、契約し、その使い魔と共に学校を卒業する。それがこの世界での普通だ。使い魔が一匹もいない魔法使いなどありえない。しかしイサギには未だ使い魔がいなかった。入学して二年。未だに使い魔がいないのは、全校を見てもイサギのみだった。イサギは去年の後半から召喚魔法を追試テストを受け続けているというのにだ。
イサギは壁に背中から寄りかかり、高い天井を見上げた。石造りの建物にももう慣れた。魔法の世界にももう慣れた。筋力より魔力のところにも。
フェリムは非力なキャラクターだった。魔法の世界から来たのだから、全て魔法で行っていて、筋肉が発達しなかったのだろうと、作中でも主人公により考察されていた。それが正解であったことを、ここに転生してから知った。
こんな時、本当のフェリムならどうするのだろう。そもそもこんな状態に陥ることもないのか。
退学処分は嫌だ。二十九回目の追試だって失敗するに決まっている。三十回目も、三十一回目も、ずっとずっと。
魔力が多すぎるとは言われていた。それが失敗の原因の一つかもと言われていたのは追試七回目の時までだ。それ以降は本人の不真面目さによる失敗だと言われるようになった。ぐうの音も出ない。真面目に生きたいのに、人生二回目の学生生活なんてやる気が無くて無理だ。魔法の世界に慣れてしまったからこそ、もう何も刺激的では無くて、元の世界にあったインターネットが恋しくて仕方がない。イサギの脳みそはドーパミンを出したがっている。
「でも、このままでいいのか……?」
真面目にできない。だが、そのままでいたら終わるのは目に見えている。最悪なことに、この世界は学歴社会だ。せっかく狭き門をくぐり抜けて王立魔法学校に入ったのに、退学処分なんて食らったら、親のすねに齧り付いて、その骨すらもしゃぶって生きていかなくてはならない。
そんなのは嫌だ。親にも、ここまで面倒を見てくれた教師たちにも、なんだかんだと気にかけてくれる友人たちにも、何より「フェリム・コナー」にも申し訳ない。やる。やるのだ。やるしかない。よし、なんかやる気出てきた。このままいけば、なんかできそう!
イサギは勢いよく壁から離れた。目は爛々と輝いている。彼は久方ぶりのやる気に満ちていた。まずは図書室に行き、召喚魔法の本を探そう。
軽くなった身体を動かし、イサギは駆け足で図書室に向かった。およそ五分走った。イサギが図書室についた頃には、少し息が乱れていた。
王立魔法学校の図書室は広い。図書室というより図書館であり、図書館というより図書塔だ。縦に長い。
イサギは浮遊魔法でふわりと浮き上がると、積み上げられた本棚たちを下から順に見ていった。どこかに召喚魔法に関するコーナーがあったはずだが、なかなか見当たらない。箒の選び方百選?少し気になるものを入れるな。
だんだんと塔の上の方まで昇ってくる。生徒の数も減っていって、いつの間にかイサギの周りには誰もいなくなっていた。それでも目的のコーナーにはたどり着かない。司書に聞けば良かったかと後悔しても遅い。胸ポケットに入れた懐中時計を見れば、そろそろ昼休みも終わる頃だ。
「チッ、ダメかー」
イサギは大きくため息を吐き、下に戻ろうとした──その瞬間。空気が変わったのを確かに感じた。空気はピンと張り詰めているのに、ある一箇所だけが、異物が混じりこんだようにぐにゃりと曲がっている。気持ち悪い気配だ。そしてそれは、イサギの真後ろにある。
イサギが蓮沼イサギとして生きていた頃から心霊というものが怖かった。ちなみに霊感は無かった。フェリムの身体もそのはずだ。ついに心霊現象とご対面というわけか。背中に冷や汗が滲む。振り向くべきか、振り向かずに一目散に教室に逃げるべきか。震える手を握りしめた時だった。イサギの頭を、何か細くて硬いものがコツンと叩いた。
「無言の時間が長すぎよ」
少し低い女の声だ。イサギは反射的に振り返った。そこには煙管を持った身長およそ二メートルはある大きな女がいた。まず第一に目がいったのは、その豊満すぎる胸である。リアルの奇乳って気持ち悪いっていうより、怖い。動くたびに肩がこりそうだ。次に目がいったのは、その容姿である。妖艶という言葉が似合う、やけに綺麗な顔立ちをしていた。赤い髪も紫の目も、宝石みたいだ。そして出るとこが出過ぎたその身体を覆うのは黒い毛皮のコートで、頭にも同じ素材の帽子が乗っている。煙管を持つ手には黒革手袋が装着されており、全体的に黒の印象が強い人だ。
教師にも生徒にもこんな人物はいない。来客の予定も無かったはずだ。イサギは警戒して女を見た。相当な国家魔法使いか、それとも王城の顧問魔法使いか。
女はイサギの目も気にせず、煙管を持っている方の肘に、胸の下で手を添えた。真っ赤な唇はそのまま煙管に近づき、ぴとりと触れた。
「ワタクシが如何にして現れたかは、アナタに対し説明不要よ」
煙管を吸い、灰色の煙を吐き出す。ふざけんな。ここは禁煙だ。しかしイサギの睨みに少しも狼狽えることなく、女はただ話を続ける。
「ワタクシのその他の事柄に関しても、アナタに対し説明不要。これがアナタの求めていた魔導書よ」
突然、女とイサギの間に魔導書が現れた。それはふわふわと浮いて、イサギの手もとまでやって来る。大きさは文庫本くらいなのに分厚くて、見るからに重そうだ。
「受け取ってちょうだい。よろしい?よろしいわね」
「よろしいじゃねぇわ!怪しすぎんだろうが!!」
「一日で召喚魔法をマスターできる魔導書だったとしても?」
イサギの息が止まった。なんだその喉から手が出てしまうようなキャッチコピーは。しかしだからこそ、警戒心が強まる。一日でマスターできるものはこの世には無い。詐欺の常套句ではないか。
「信じなくても結構。しかし、信じずに滅びるのはアナタ自身。それは忘れてはいけないわよ」
女はイサギの心を読んだようにそう言った。イサギは女の目と魔導書を交互に見る。
詐欺の常套句だ。これに騙されるなんてどうかしてる。信じて滅びるのは自分自身だ。なのに、「もしかしたら本当に?」の声が脳内に響いている。時間が経つごとにその声は大きくなっていって、それ以外の声が聞こえなくなる。
退学処分まで、追試はあと二十一回も残っている。でも、これ以上追試で「フェリム・コナー」を汚してもいいのか?せっかくやる気を出したのに、ここで終わっていいのか?
固く握ったイサギの拳がピクリと揺れる。握りしめた指が魔導書に伸びようとしている。
触るだけなら何も問題無いはずだ。中を見ても実際に実践しなければ問題無いかもしれない。どんどん「ここまで」というラインが下がっていく。もはやそれは言い訳になっていて、イサギはあの魅惑的なキャッチコピーに捕らわれていた。そして、ついに指が魔導書に触れる。そこからは一瞬で、すぐに魔導書を両手で持った。女は満足そうに頷くと、また灰色の煙を吐き出す。
「その魔導書を使い、ワタクシの顧客を満足させてちょうだいね」
「……顧客?」
訝しげに繰り返したイサギに、女は「ええ」と返した。
「ワタクシはただの商売人。顧客の依頼でなければ、ここには来ないわ」
「その顧客ってのは何をあんたに依頼したんだ?僕を追試地獄から助けろって?」
「これ以上は守秘義務に反するわ」
「はぁぁっ?」
イサギのぶっちぎりに機嫌の悪い声を無視して、商売人の女は口角を上げた。
「それでは、顧客から再び依頼があるその時まで」
そう言うと、女の姿は元々そこに無かったかのようにぷつんと消え、張り詰めていた空気も緩んだ。瞬間移動にしてはその余韻も一切無く、魔力の流れも感じ取れなかった。いったい何だったのかと恐怖が湧く。
手の中にある魔導書を見る。辞書のような分厚い本だ。これを教室に持って帰ったら、間違いなく誰かしらに指摘される。「そんな本、図書室にあったっけ?」と。
教師に言うべきだと分かる。だが言って大事になるのも面倒だ。それはイサギの日本人としての悪い性だ。魔導書を胸に抱きかかえ、ゆっくりと下降する。床に足が着くまでに考えよう。
「ん?……ん!?」
いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。急いで懐中時計を確認した。昼休み終わりまであと五分。図書室から教室まで、走っても間に合うかどうか。
「やばいやばいやばいやばいッ!!」
急降下し、地面に足を着ける。少し勢いが良すぎたせいで足首が傷んだがそれどころではない。急いで図書室を出て、教室へと向かう。箒が学内で禁止されていなかったら、今ごろ箒に跨って猛スピードで教室に突っ込んでいたところだ。
イサギは死ぬ気で駆け抜けた。一度死んだ身であるイサギが「死ぬ気で」と表現するのだから、それがどれだけ必死なことかはどんな人間にも伝わるだろう。
イサギが教室に滑り込んだ時、生徒たちは全員席についていて、授業開始の鐘が高らかに鳴った。自分の席についた時には教師が入ってきた。魔導書を机の横に掛けたカバンに突っ込むと、イサギは教科書を取り出して、教師の咳払いを受ける。「えへへ……」と誤魔化し笑いをしつつ、こめかみから汗を流したイサギから目は逸らされた。
ただでさえ成績が危ういのに、授業態度でさらに成績を下げられたんじゃ、二十一回の追試を待たずして退学処分だ。
友人たちの揶揄うような目に睨みを返しつつ、イサギは教師の指定した教科書のページを開くのだった。




