1.人形が生霊になった経緯
「何で、お前が!お前なんかが!公爵家の娘だと!?ふざけるな!」
がつんと殴られ、ごすっと蹴られる。
憂さ晴らしをされているのは、枕でも、木箱でもなく、私だ。そして私に八つ当たりをしているのは、薄汚い身なりの壮年の男性。まぁ、斯く言う私も、薄汚い身なりなのだけれど。
つまり、私もこの男も平民なのだ。しかし、先程から男が喚いている内容から推測するに、私は平民ではなかったらしい。
そうなのだとしても、こんな扱いを受けているのだから、正妻の子ではないのだろう。妾か愛人か。兎も角、私はその公爵家の娘という出自に価値を見出してはいなかった。
この男、私を育ててくれた親に近い存在の男性なのだが、この男は本当の親ではないということか。
まぁ、公爵様の娘なのか、公爵夫人の娘なのかは分からないので、逆の可能性もあるのだが。
「いいか?公爵様に引き取られたら、俺に褒美を与えるように、お願いするんだ。公爵様が探させて、保護する娘なんだ。一生遊んで暮らせるくらいの額を捥ぎ取って来い!」
男の一方的な要求に、私は返事をすることも、頷くこともしなかった。そんな私の様子を反抗だと取ったのか、男は再び八つ当たりを始める。
殴られると分かっていても、私が何もしないのは、今まで通りのことだ。
だって、声を上げれば煩いと殴られ、視線を向ければなんだその目はと怒鳴られる。ならば、話す価値も見る価値もないだろう。
そうして私は、動かず話さず、何もせず、全てを無視することが当たり前となっていったのだった。
しかし、今日は一段と酷いな。男の機嫌は中々直らず、私は気を失うまで殴られることになった。
そして目覚めた時には、何故か男に街の大通りに連れられていた。
何故なのだろう。それに凄く嫌な予感がする。
人通りの多い通りには活気があり、沢山の綺麗なお店が並んでいる。物珍しく周囲を見回していると、男がにやりと笑い、私を道の中央に突き飛ばした。
「え」
久しぶりに口から漏れた声はか細く、喧騒にかき消されてしまった。そんなことを呆然と考えながら、顔を上げると、そこには馬車が迫っていた。
あぁ、そういうことか。
あの男はどうやら、私を殺したいらしい。もしくは怪我を負わせて、傷物に。ただの嫌がらせというにははっきりとした殺意のような悪意を感じる。
こういう時って、思考の速さが上がるんだな。
そんなどうでも良い感想を最後に、私は馬車に轢かれた。
ぱちりと目を覚ますと、豪華な天井が目に入った。
そのまま身体を動かしてみるが、どこにも異常はない。
ここはどこだろう、と見回しながら、ベッドから足を降ろす。ゆっくりと立ち上がろうと足に力を入れる。
しかし、床の感触がない。いや、足の感覚がない?
驚いて足元を見ると、足首までが床に埋まっていた。
「え?」
驚いて足を引き上げると、何事もなかったかのように足が現れた。というか、何だか、私の身体が透けて見えるのだが。
取り敢えず、立ち上がってみる。いや、立つというより浮いているような。何だこれは。もしやここは天国なのか?と何の気なしに後ろを振り返ると、そこにはベッドに横たわる私がいた。
「え、私?」
いやでも、こっちの私は透けていない。何故だろうと、私は私の身体に触れようと手を近付ける。そして、何の感触もなく、手はすり抜けた。
えぇー!?これは、私、死んだのかな?
「おーい、誰かー!」
声を上げてみるが、誰にも聞こえていないらしい。見えないし、聞こえないし、触れない。
うーん、これは幽霊?いや、生きているのだから、生霊ってやつか?
何故こうなった?どうやったら、こうなるのだ?
色々と疑問は尽きないが、兎に角、本体?に戻りたい。
近付いてみたり、触れてみたりと色々なことを試したのだが、全く変化も成果もなかった。私の本体はまるで人形のように、ベッドに寝ている。
うーん、中身がない状態であれば、本当に人形ではないだろうか。
自分の本体が心配だ。ここがどこかも分からないし。まずは、本体に戻る方法を考えつつ、周辺の情報収集をしよう。
そう決意した私は、自分と周囲の観察を始めた。
ここはどこだろう。こんなに豪華なお部屋は見たことがない。お貴族様のお屋敷だろうか。
そんな立派なお部屋の綺麗なベッドに寝かされている私の身体を見ると、場違い感に居た堪れなくなる。
物珍しく、部屋の中を観察していると、扉をノックする音が聞こえた。そしてそのまま、沢山の人たちが入って来る。
近くにいる私には全く気が付いていない様子で、視線を向けられることもなく、そもそも触れられず、私をすり抜けて行った。
一気に部屋が狭く感じるほどに沢山の人が来て、その大半は壁際や入り口で待機している。その間に、一部の人は私の身体があるベッドの傍に来ていた。
「先生、どうだろうか」
「はい、公爵様。お嬢様のお身体の傷は全て治療を終えています。じきに目が覚めるでしょう」
「そうか。引き続き、宜しく頼む」
「はい」
先生と呼ばれた人は、私の身体を見て、公爵様と呼ばれる人に話しかけた。
その内容を聞いた私は、改めて自分の身体を観察する。
確かに、馬車に轢かれたのだろうし、その前にもあの男に殴られたり蹴られたりしていた傷が綺麗さっぱりなくなっている。
もしや、私が馬車に轢かれてから、かなりの時間が経過しているのだろうか。
それで言うと、今はいつなのだろう。
あの男のところに居た頃から、どのくらいの時間が経っているのだろう。
そんな新たな疑問を抱いているうちに、先生という人は部屋を去って行った。だが、私の傍にはまだ多くの人が残っている。
「父上、あの男はどのようにしましたか?」
「勿論、捕えてある。公爵令嬢であるフローラを虐待していたのだ。貴族への暴行傷害だけでなく、殺害の意図があったかも取り調べをしているところだ」
「そうですね。お願いいたします。本来であれば、私も取り調べに同席したいところですが」
「止めておきなさい。アルヴィン。フローラを傷つけるような者の言葉を聞いても、無駄な怒りを覚えるだけだ」
「そうですね」
アルヴィンと呼ばれた青年は、この公爵様という人物の子どものようで、この子どもたちの中では一番、年上に見える。
「それにしても、俺たちのお姫様は可愛いな。寝顔も可愛い」
「ブラント兄上。何だか、変質者のようです」
「シリル。変質者って、そんなことないだろう。俺はただ、俺たちの可愛い妹を鑑賞しているだけだぞ」
「ですから、妹を鑑賞という言葉遣いが、変態なのです」
「あ?だったら、お前も変態だろ?」
「いいえ、僕は鑑賞しているのではなく、心配して、顔色を窺っているのです」
「澄ました顔で何言ってんだ。やってることは同じだろうが」
「こらこら、二人とも。静かにしなさい」
「申し訳ありません、母上」
「…………はい」
シリルとブラントという少年たちの会話は、母上と呼ばれた女性によって、終了した。
「それにしても、フローラはよく眠っているな」
父上という男の言葉に、皆が心配そうな表情で頷いた。しかし、私はそれよりも、フローラという言葉の方が気になっていた。
先程もそう呼ばれたのだが、あぁそう言えばそんな名前だったかもしれないな、と思っていた。
何と言うか、他人事、みたいな?呼ばれることがほとんどなかったので、そんなこともあるのかな、という気分だ。
まぁ名前のことは兎も角、まずはこの生霊での生活に慣れよう。そう思った。
全四話です。




