「お姉ちゃんへ。私、聖竜の巫女になったみたい」
眩しいほどの青空に、淡く流れる白い雲。
どこまでも穏やかな午後の空気が、高校の裏手にある大きな木を静かに包み込んでいた。
その木は、いつからそこにあるのか誰も知らない。
けれど在校生の間では、「願いが叶う木」だとか「告白したら成功率100%の樹」など、さまざまな伝説めいた噂が絶えなかった。
ーー約束の樹。
その根元に置かれた古いベンチに、二人の少女が並んで座っていた。
一人は明るい栗色の髪をツインに結った少女。制服のネクタイを少し緩めて、スマホの画面を食い入るように見つめている。
もう一人はストレートの黒髪を揺らしながら、手に持った水筒をすこし傾けて、苦笑交じりに隣を見つめていた。
「……ねえ、もうすぐよ。あと少しで最終ルート突入!」
高橋未来は、ゲームの世界に全力投球していた。
「はいはい。早くエンディング見たいんでしょ?」
姉の高橋遥は、肩をすくめながらもスマホ画面を覗き込む。
その画面には、ファンタジー世界を思わせる美麗なイラストと共に、「Chapter Final」の文字が浮かんでいた。
「だってさ、ここで王子が“君こそ真の巫女だ”って言ってくれるの! でね、その後に……あ、見てて!」
未来が食い入るように画面を見つめる。
遥は興味半分、付き合い半分でそれに応じた。
「でもさ、ここってすごく似てない? ゲームのエンディング背景と。大きな木と、白いベンチと、静かな陽射し……」
「……うん。確かに言われてみれば、似てるかも」
「ねえ遥、もし私たちがこの世界に行けたら、どのルート選ぶ?」
「またそれ? 私はあんたの実況付きで充分です」
「もうー、ノリ悪いなぁ。でも、もしも、もしもよ? ほんとにその世界に行けたら……私、リアナになるね。巫女になって、世界を救うの」
「はいはい。じゃあ私は……悪役令嬢でもやっとく?」
冗談のように、遥が笑った。
その瞬間だった。
空気が、音を失った。
風が止まり、鳥の声が消え、雲が重く垂れこめていく。
「……あれ? 天気予報、晴れって……」
未来が顔を上げた瞬間、稲妻が閃いた。
轟音と共に、大木のてっぺんへと雷が直撃する。
目を焼く閃光。
耳を裂く衝撃。
熱、光、空気の振動。
そして、音が、世界が、白く、遠く、消えていった。
◆
ふかふかのシーツ。やわらかな香り。どこか懐かしいような、でも今まで嗅いだことのない花の匂い。
――あれ、ここどこ?
ゆっくりとまぶたを開けた瞬間、未来は目の前の景色に息を呑んだ。
純白の天蓋がかかった豪奢なベッド。壁には繊細な刺繍が施されたカーテン。小鳥のさえずりが聞こえる開け放たれた窓。
そして、その先に見えるのは、絵本でしか見たことのないような、幻想的な庭園だった。
「……うそ。ここ、どこ……? いや、っていうか、これ、えっ、まさか――」
がばっと身を起こすと、ふわりと腰まである長い金髪が視界に入る。
「――金髪っ!?」
驚いて触れた髪は、さらさらとしていて、確かに自分の頭から生えている。
顔の確認。
部屋の鏡へ、足元おぼつかないまま駆け寄ってみると……そこには、未来が何度もスマホの画面で見てきた少女――そう、リアナが立っていた。
「……リアナ……! 本物……! っていうか、私!? リアナになってる!? え、マジで!?」
鏡の中のリアナ――未来は、声をあげてぱたぱたとその場で小さく跳ねた。
「やった、やったぁー! 私、リアナだ! 巫女だー!!」
ふわりとドレスが揺れ、薄絹が宙を舞う。夢か現実かわからないけど、それでも確かに「なってしまった」。
未来がずっと憧れていた、あのゲームのヒロイン。聖竜の巫女リアナに。
「これってあれだよね!? 異世界転生ってやつ!? いや、憑依? どっちでもいいや! とにかく、世界を救っちゃうヒロインに……っ、うわー、すごい!!!」
豪奢なベッドに飛び込み、クッションを抱えてジタバタと転げ回る。
その姿はまさにテンション最高潮のオタクのそれだった。
でも。
その盛り上がりのピークが過ぎた頃。
未来――リアナは、ふと、ベッドの上で動きを止めた。
「……あれ?」
はしゃいでいる自分を、誰かがツッコミ入れてくれるはずだった。
「テンション上げすぎ」とか「すぐ調子に乗る」とか。
そう言って、あきれ顔で笑ってくれる人が――隣にいるはずだった。
けれど、そこにいたのはクッションだけ。
隣には、遥がいなかった。
姉が。
「……そうだよ。私、ひとりなんだ……」
胸の奥が、きゅうっと縮む。今まであたりまえだった姉の存在が、ここにはない。
さっきまでの喜びが、すーっと引いていく。
「……お姉ちゃん……」
静かすぎる部屋の中で、未来はもう一度、自分の髪をそっと撫でた。
きれい。
お姫様みたい。
ゲームの中のリアナそのもの――でも、鏡を見ても、遥の姿は映らない。
何も言ってくれない。
「……会いたいな。お姉ちゃんに……」
寂しさが喉元までこみあげてくる。涙が出る前に、未来はベッドから飛び起きた。
部屋の中を探し回り、机の引き出しから紙と羽ペンらしきものを見つけると、すぐに座って書き始める。
書き方なんて知らない。手紙の届け方も分からない。でも、今この想いを、誰かに伝えたかった。
――いや、伝えたい人は、ただひとり。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ。
わたし、聖竜の巫女になったみたい。
なんだか夢みたいで、うれしくて、信じられない気持ちでいっぱいなの。
でもね……目が覚めたら、隣にお姉ちゃんがいなくて、
わたし、すごくさびしい。
お姉ちゃんも、あの時、わたしと一緒にいたよね?
なのに、わたしだけ、ここに来ちゃったのかな……
この手紙、届かないって分かってるけど、書くね。
だって、何も言わずにいなくなるなんて、そんなのいやだよ。
お姉ちゃん、お願い。
わたしのこと、忘れないで。
いつか、また会えますように。
未来より。
□■□■□■
未来はそっと羽ペンを置き、手紙を胸元に抱きしめる。
涙はこぼれない。けれど、ぽっかりと空いた心の隙間に、小さな祈りを落とした。
届かなくてもいい。声にならなくてもいい。
でも、この想いだけは、絶対に――消えないように。
◆
朝の陽ざしが、白いレースのカーテン越しに差し込んでくる。
気品ある調度品で整えられた部屋。まるで宮殿の一室のようなそこが、どうやら今の“自分の部屋”らしい。
先ほどは興奮と戸惑いのあまり、ろくに探索もできなかった。
でも、手紙を書き終えた未来は違った。
「まずはこの世界の“チュートリアル”をクリアしなきゃ!」
気合いを入れてドレッサーの前に座り、鏡に映った金髪碧眼のリアナを見つめる。
顔は確かにリアナだけど、中身は未来。元の世界で「攻略ルートを完璧に暗記していたゲーマー」である自信を頼りに、まずは情報収集から始めることにした。
「リアナ様、お目覚めでございますか」
ノックの後に入ってきたのは、メイド服姿の少女たちと、その後ろに控える落ち着いた雰囲気の若い執事。
……っていうか、メイドと執事が本当にいる!
未来の内心は大騒ぎだったが、そこはリアナとしての威厳を保つため、にっこり微笑んでみせる。
「ええ、おはよう。……朝の支度、お願いできるかしら?」
――うん、うまく言えた。たぶん貴族っぽい!
そんな未来の頑張りをよそに、周囲は丁寧に身支度を整えてくれ、着替えや髪の手入れまでしてくれた。
なんだか、本当にお姫様になったみたいで――
「……お姉ちゃんにも見せたかったな、これ」
ふと漏れた言葉に、自分でも驚く。
どうしても、遥のことを思い出してしまう。
この喜びを分かち合いたかった相手は、誰よりも近くにいた“姉”だったから。
午前中の終わり頃。
「リアナ、部屋にいると聞いて来たんだが……」
扉が開いて、長身の青年が入ってくる。鋭い眼差し、金縁の軍服風の装い。
その姿を見た瞬間、未来の脳内には警鐘が鳴り響いた。
この人……誰!?
だが、次の言葉で全てがつながる。
「調子はどうだ? 少し、顔色が優れないように見えるが」
落ち着いた声と、微かな心配の色。
画面の中で何度も見た“彼”の姿が、目の前にある。
――カイル。リアナの兄。
「えっ……あ、あの、カイル……お兄ちゃん……?」
「……ん?」
ちょっと間の抜けた声を出してしまった未来に、青年――カイルは目を瞬いた。
「ああ。珍しいな。いつもなら、もっとツンとした顔で『兄上』と呼ぶのに」
「……あ、そっか……」
そうだった。ゲームのリアナはお兄ちゃんとあまり仲良くなかったんだ。
でも、未来にとっては“兄”なんて初めての存在。
うれしくて、気恥ずかしくて、どこかぎこちなくなってしまう。
「なんだ、熱でもあるのか?」
カイルは冗談交じりに笑ったが、未来は苦笑いするしかなかった。
午後には、庭園を軽く散歩しながらメイドたちと会話を交わし、さらには神殿から使いが来るという話まで耳にした。
――きっとあれが“イベント開始”の合図だ。攻略対象たちと出会う流れになるんだろう。
それにしても。
ゲームで見た舞台を歩くというのは、なんとも不思議な感覚だった。
キャラクターの一人になったという実感が、ゆっくりと、でも確かに心に広がっていく。
そして夜。
今日も未来は、あの机に向かった。
誰にも見せられない“秘密の手紙”。
でも、これだけは書きたかった。自分の気持ちを、過去の居場所に届けたくて。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
今日から本格的に、この世界での生活が始まったよ。
目が覚めたら、知らないベッドの上で。しかも、髪が金髪になってて、鏡に映ったのはリアナ。……ほんとに、リアナになっちゃったみたい。
ちょっと信じられないけど、もうこれは、夢じゃないんだって思った。
それでね、なんと“お兄ちゃん”までできちゃった。
ゲームでは見たことなかったけど、すっごく落ち着いた人。
……ちょっと怖いけど、優しいよ。
お姉ちゃんだったら、なんて言ってたかな。
「攻略対象じゃないのが惜しい」とか、言いそう。
わたし、頑張るね。
お姉ちゃんがいなくても、一人でも、この世界でちゃんとやっていけるように。
でも――本音を言うと、やっぱりさびしいよ。
お姉ちゃんがいないと、やっぱり、心細い。
だから、せめて……この手紙が、どこかでお姉ちゃんに届いてたらいいな。
今日も、おやすみ。
□■□■□■
未来は、窓の外に浮かぶ三日月を見上げた。
あの空の向こうに、遥がいるのかどうかは分からない。
それでも、想いは紡ぐ。
届かなくても、いつか繋がると信じて――
◆
午前中の陽射しが、神殿の大理石の床を照らしていた。
豪奢な柱、淡い光が揺れるステンドグラス、澄んだ空気に微かに香る香油。
まるでゲームのオープニングイベントをそのまま再現したような光景に、未来は何度も心の中で叫びそうになっていた。
――やばいやばいやばい!
――これ絶対、「聖竜の巫女、参上」のやつだよ!
――ってことは……来る。来る。絶対、来る!!!
そして。
「――お初にお目にかかる。第一王子、レオンハルトだ」
その声が、扉の向こうから響いた瞬間。
未来の頭の中で、ファンファーレが鳴った。
来たァァァァァァ!!!
背筋を伸ばして歩いてくるその青年は、完璧すぎる姿だった。
淡い銀髪、冷ややかで整った顔立ち。濁りのない青の瞳。
高貴な装飾をあしらった軍服のような礼装をまとい、ひとつひとつの動作がまるで劇場の一幕のように洗練されていた。
まさにゲームのイラスト通り――いや、それ以上だった。
目の前に来たレオンハルトは、未来――リアナの前で静かにひざまずくと、手を取って口元に添える。
「あなたが、聖竜に選ばれし者……リアナか」
リアナの名が呼ばれる。
心臓が跳ねた。息が止まりそうになる。
「……はい。リアナ、聖竜の導きにより、ここに参りました」
どうにか言葉を返したものの、脳内はパニック寸前だった。
無理無理無理、王子近い近い近い!!!
現実の距離感と、ゲーム画面の“安心できる二次元の壁”の違いが、想像以上に破壊力を持って迫ってくる。
そんな中、レオンハルトは表情一つ変えずに立ち上がる。
「……我が国は、長きにわたり竜と共に歩んできた。聖竜の巫女を迎えることは、我が王家にとっても光栄の至りだ。これより、王都と神殿において、貴女の支えとなる者たちを選定する」
「支え、となる者たち……」
「――つまり、仲間だ。必要であれば、私自身が剣を取ろう」
レオンハルトは、まっすぐな瞳で言った。
そこに迷いはなかった。
この青年は、“王としての務め”を当たり前のように背負っている。
感情ではなく、義務と責任で動いている――まさに、未来がゲームで見てきたレオンハルトそのものだった。
けれど。
だからこそ、ほんの少しだけ、未来は違和感を覚えた。
感動よりも、緊張感の方が強い。
優しさよりも、重圧のような気迫が勝っている。
(そっか……この人、ゲームだと“万能の王子様”って感じだったけど……)
(実際は、こんなふうに……自分の感情を抑えて、いつも誰かのために動いてるんだ)
初対面で芽生えた印象は、“憧れ”だけではなかった。
ゲームでは見えなかった“人としてのレオンハルト”の姿に、未来は戸惑いながらも、なぜか心を惹かれていた。
その日の夜。未来はまた、机に向かう。
そして、今日も姉に宛てた手紙を書き始める。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
ついに、会っちゃったよ。
ゲームの中で一番人気だった、王子様に……!
レオンハルト王子っていうの。銀髪で、すっごく綺麗な人。
顔も服も言葉づかいも完璧すぎて、まるで本物の王子様。
……でも、なんかね。近くにいると、ちょっと息が詰まる。
かっこいいのに、怖いっていうか。
本当の気持ちが、遠くにあるような感じ?
きっと、自分の気持ちより「国のこと」とか「役割」とかばっかり優先してる人なんだと思う。
そういうの、ゲームじゃよく見えなかったけど……
今は、すごくわかる気がする。
お姉ちゃんにも、見せたかったな。
“画面越しじゃない王子様”って、こんなにも違うんだね。
□■□■□■
未来は手紙をそっと折りたたみ、机の上に置いた。
たった一人の観客に向けて綴られたその言葉たちが、どこかの空の下で、ほんの少しでも届いていたらいいと願いながら。
◆
「リアナ様。間もなく、護衛役の任命式が始まります」
控室で衣装のチェックを終えた未来は、鏡越しに小さく深呼吸をした。
薄いピンク色のドレスは、聖職者らしい品のある仕立てで、まるで神話の中から出てきたような装い。
肩にかけられた羽織布が、儀式の荘厳さを引き立てている。
(いよいよだ……!)
ゲームでは、このタイミングで「護衛キャラ」たちが続々と仲間入りする。
その先陣を切るのが――
「リアナ殿下に忠誠を誓います。我が名は、ユリウス。以後、命ある限り、貴女をお護りいたします」
その名乗りと共に、儀礼用の銀の甲冑を身にまとった騎士が、床に片膝をついていた。
静かに伏せた瞳に、揺るぎない忠誠が宿っている。
未来は、一瞬言葉を失った。
(うわ……ユリウス、イラストそのまんま……いや、それ以上に……やばい……)
涼しげな銀髪と、鋭い彫刻のような顔立ち。姿勢は一分の乱れもなく、声には凛とした張りがある。
まさに「理想の騎士像」を体現したような男だった。
「……あ、あの、よろしくお願いします……!」
言葉が上ずってしまったことに気づき、未来は慌てて口を閉じた。
(ダメだ。昨日、王子にテンパったのに……またテンパってる)
そんな未来の様子を見ても、ユリウスの表情は揺らがない。
冷静というより、むしろ完璧すぎてどこか“人間味”が感じられないほどだ。
「リアナ様。以後、貴女の移動には常に私が同行いたします。警備計画もこちらで策定しておりますので、無理な行動はお控えください」
「あ、う、うん……」
堅すぎる!
でもそれがユリウスらしい。
彼はゲーム内でも「仲間全体を守るタンク役」として有名で、その責任感の強さと任務に対する忠実さは、ファンの間でも定評があった。
――でも、近くにいるとなんか胃が痛くなる。
未来はこっそり息を吐いた。
ゲームの中では「頼れる騎士!」って思ってたのに、実際に隣にいると、緊張感がものすごい。
「リアナ様、顔色が優れません。水をお持ちいたしましょうか」
「い、いえっ! 大丈夫です! 緊張してるだけです!」
目を細めるユリウス。たぶん彼は、未来の様子を“体調不良”だと判断している。
彼の中には“聖竜の巫女は大切にすべき対象”という責任ががっちり刻まれているのだろう。
(ゲームの通り、完璧すぎるくらい完璧だ……)
(……だけど、なんだろう。言葉が硬い分、行動がすごく優しいんだよね)
口調は冷たいけど、未来が少しでも困ればすぐに反応してくれる。
その真剣さが、少しだけ心をあたためた。
夜になり、未来はまた手紙を書く。
姉にだけ、本音で言える今日のこと。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
今日、新しい仲間に会ったよ。
名前はユリウスさん。王子の側近で、騎士団の中でもすごく偉い人らしい。
もうね、姿が「完璧」って感じ。歩き方も、声の出し方も、鎧の輝きすら美しかった。
でも、近くにいると、ちょっと苦しい……かも?
なんていうか、空気がピンと張ってて、気を抜けないの。
わたし、ちゃんと巫女として振る舞えてるかな?
ユリウスさんって、たぶん真面目すぎて、ダメなとこ見せたらすごくがっかりされそうで……
でも、そんな彼が「リアナを守る」って言ってくれて、なんだか安心もした。
お姉ちゃんがいない今、わたしにはこういう人が必要なのかも。
明日は、神殿に行くんだって。もしかしたら、また誰かに会えるかも?
ちょっとずつ、この世界に慣れてきたよ。……たぶんだけどね。
□■□■□■
ペン先をそっと紙から離し、未来は大きく息を吐いた。
書くことで気持ちが整理されていく。
言葉にすることで、自分が“リアナとして生きている”ことを、改めて実感する。
明日もまた、新しい誰かと出会う。
その度に、未来は自分自身を知っていく――
◆
神殿の奥、淡い光に満ちた回廊を歩く。
窓のステンドグラスから差し込む陽光が、足元に色とりどりの模様を描いていた。
未来は、慎重に歩を進めながらも心の中では大興奮していた。
(来た……! ついに神殿イベント!!)
(ってことは、今日は絶対セシルが出てくるはず……)
ゲームで何度も見た“神託の間”を思わせる大扉の前で、案内役の神官が静かに言った。
「リアナ様。神託の守人、セシルよりお迎えの言葉がございます。どうぞ中へ」
未来は大きく息を吸って、扉の奥へと歩みを進めた。
そして――
「ようこそ、聖竜の巫女さま。あなたに会える日を、心待ちにしておりました」
光の中に立っていたのは、まるで絵画から抜け出してきたような少年だった。
白を基調とした神官服に身を包み、柔らかく微笑む彼の目元には、深く澄んだグレーの色が宿っていた。
未来はその姿に、一瞬で心を奪われる。
(わ、わ……やばい。
笑顔がふわっとしてて、癒し系なのに神秘感もあるとか反則でしょ!)
「……わたしが、リアナです。あなたが、セシル……さん?」
思わず敬語になってしまう。セシルはふふっと小さく笑った。
「はい。神の声を預かる者として、あなたをお迎えする役目をいただきました」
言葉のひとつひとつが丁寧で、声の調子はどこまでも柔らかい。
それなのに、どうしてだろう。
セシルの目が未来を見つめた瞬間、ひやりとしたものが背中を走った。
「聖竜は、あなたを選びました。でも――その理由は、まだあなた自身も知らないのですね」
……え?
その言葉に、未来の背筋がピンと伸びた。
どこか鋭く、核心を突くような響きがあった。
まるで――“バレている”ような。
(まさか、私が本当のリアナじゃないって気づいてる?いやいや。まさか)
だけど、セシルの言葉には説明できない“重さ”があった。
「私は神託を受けるだけの器にすぎません。でも……ときどき、神の言葉は“嘘”も“真実”も超えて、人の本質を教えてくれるんです」
その言葉と同時に、セシルの瞳がスッと細められた。
にこやかな表情はそのままなのに、心の奥まで見透かされている気がする。
「リアナ様。これから多くの人々が、あなたに希望を託してくるでしょう。でも、その期待がすべて正しいとは限りません」
「……それって……」
「どうか、ご自分の意思を見失わないでくださいね」
その言葉に、未来は思わず口を閉じた。
――この人、やさしい顔して、すっごくこわい。
けれど、なぜか不思議と怖いだけではなかった。
未来の心には、その言葉がまっすぐに届いていた。
あたたかくも、どこか厳しく。まるで遠い未来の答えを先に知っているような、そんな不思議な人だった。
夜。未来は、手紙を書いた。
今日の出会いは、ただ“かわいい”や“かっこいい”では語れなかったから。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
今日は、神殿でセシルに会ったよ。
すっごく優しい感じで、声も穏やかで……最初は、癒し系キャラだ~!って思ってたのに。
でもね、話してるうちに、だんだん怖くなったの。
まるで、私のこと、全部知ってるみたいな顔で見てくるんだもん……!
「あなたがなぜ選ばれたか、まだ知らないんですね」って言われたときは、本気でドキッとした。
あの人、たぶん本当に“神の言葉”が聞こえるんだと思う。
違う世界から来たこと、気づいてるわけじゃないと思うけど……それでも、あんな目で見られたら隠し事できないかも。
セシルって、ゲームだと頼れるバッファーだったけど、現実では“問答無用で核心を突いてくる存在”って感じ。
……でも、ちょっとだけ、好きかも。
だって、嘘の言葉よりも、本当のことをまっすぐ言ってくれる人だから。
明日は、騎士団の訓練場に行くんだって。
たぶん、ガルドが出てくる予感がする……!
覚悟しなきゃね。
□■□■□■
未来は手紙を折りたたみ、そっとベッドサイドに置いた。
その視線の先には、静かに輝く夜の星々。
遠くて、届かなくても、祈るように――手紙を書き続ける。
◆
聖竜の巫女としての生活にも、ほんの少しだけ慣れてきた頃だった。
この日、未来は王城の外にある騎士団訓練場へと案内された。
目的は――「武闘の加護を持つ者との顔合わせ」。
ゲームで言うところの、アタッカーとの初対面イベントだ。
(ってことは、ついに来る! ガルド!!)
騎士や兵士たちが汗を流して訓練をしている広場の端で、未来はその人影を見つけた。
一人だけ、どこにも属さず、ひたすら素振りを繰り返している青年。
日焼けした肌、無造作な黒髪、肩から下げた粗布の上着。
他の者たちが声を掛けづらそうに距離をとる中、彼は黙々と拳を振るっていた。
「……ガルド」
付き添いの騎士が小声で名を告げた瞬間、未来の心は高鳴った。
(あの人が……ガルド!)
彼はゲームでは“無口な最強武闘家”として人気が高く、仲間内では口数こそ少ないものの、戦闘中は圧倒的な存在感を放つキャラだった。
「巫女様、こちらにどうぞ」
ガルドは訓練の手を止めず、こちらを見ようともしない。
まるで“自分には関係ない”とでも言いたげな態度。
だが、それもまた――ゲームで見た通りの彼だった。
「……あの、ガルドさん」
勇気を出して声をかけてみると、彼はようやく動きを止め、振り向く。
無言で。
ただ、まっすぐな黒い瞳だけが、未来を射抜いた。
(え、ちょっと待って。こわ……いや、ちがう)
無表情なのに、そこには確かに“感情”があった。
警戒でも、拒絶でもない。もっと、ずっとまっすぐで、静かな「覚悟」みたいなもの。
「おまえが、巫女か」
やっと出た言葉は、それだけだった。
でも、不思議とそれ以上のものが伝わってきた。
(ああ……この人、言葉より拳で語るタイプだ)
未来が何かを返そうとした時、突然ガルドが言った。
「戦えるか」
「……え?」
「巫女だろうが、命を狙われる立場に変わりはない。守ってもらうだけじゃ、後ろから死ぬぞ」
言葉に感情はほとんどなかった。
けれどそれは、冷たさではなく“本気の忠告”だった。
未来は一瞬たじろいだが、すぐに頷いた。
「……うん。がんばる。守ってもらうだけじゃなくて、自分の足で立てるように……なりたい」
ガルドは、何も言わなかった。
けれど次の瞬間、未来の目の前で拳を振り抜いた。
地を裂くような音とともに、演習用の岩が真っ二つに砕けた。
まるでそれが、何かの答えであるかのように。
「なら、おまえが倒れそうになったら……そのときは、俺が前に立つ」
その一言に、未来は胸がぎゅっと締めつけられた。
言葉数は少ないのに、ちゃんと伝わる。
この人は、信頼を言葉じゃなく、行動で示してくれるんだ。
夜、未来はまた手紙を書く。
不器用だけど、ちゃんと伝わってきた気持ちを、そっと綴る。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
今日ね、すごい人に会ったよ。名前はガルド。格闘家で、無口で、ちょっと怖くて……でも、すっごく強い人。
最初は「話、通じるかな……」って不安だったんだけどね、ちゃんと伝わったよ。
あの人、言葉じゃなくて行動で信じさせてくれるタイプ。
「倒れそうになったら俺が前に立つ」って言ってくれたの。
もう、かっこよすぎて心臓止まるかと思った。
あれで無表情なんだよ? 反則じゃない?
ゲームだと、ただのアタッカーキャラだったけど……本物の彼は、もっと優しくて、ずっと深くて、静かに熱い人だった。
わたしも、あの人に恥じない巫女にならなきゃなって、ちょっと思っちゃった。
明日は、神殿の診療所に行く予定。
ヒーラーの子がいるって聞いたんだけど……どんな子なんだろう?
□■□■□■
そっと筆を置いた未来の胸には、ほんの少しの勇気と、くすぐったい余韻が残っていた。
不器用な言葉にこそ、まっすぐな気持ちが宿っていたことを、彼女はもう知っている。
◆
神殿の診療所は、王都の中心部から少し離れた静かな場所にあった。
荘厳な外観に反して、中は光と香草の香りに満ちた、優しくあたたかな空間だった。
案内された一室では、若い男女が忙しなく患者の応対をしていた。
その中でも、未来の視線を引き寄せたのは――
「ノエル様、こちらに巫女様をお連れしました」
その声に、少年が振り向いた。
肩に届くほどの柔らかな金髪。
穏やかな薄緑の瞳。
年齢は未来とそう変わらないように見えるが、白衣に似た治癒士の法衣がよく似合っていた。
「――ようこそ、聖竜の巫女さま」
そう言って微笑んだ彼の声は、驚くほど優しかった。
それはまるで、温かい春風のように、心の中までふわりと染み込んでくるような――
「僕はノエルと申します。今日からあなたの治癒を担当させていただきます」
(あっ……これはヤバい。これは、尊い……!)
未来の乙女心が一瞬で陥落しかけた。
彼はゲーム内でも「純真ヒーラー」として人気を集めたキャラで、見た目と中身のギャップが最大の魅力。
その“中身”というのは――
「あなたが“聖竜の巫女”になってくれて、本当に良かった」
いきなりまっすぐな眼差しで言われて、未来はどきっとした。
「……えっ、あ、うん? ありがと、う……?」
「この国の人々は、みんな心のどこかで“巫女の出現”を待っていたんだ。僕もその一人だった。だから、あなたは“希望”そのものなんだよ」
きらきらした瞳で、彼は心からの信頼と敬意を向けてくる。
その純粋さに、未来は思わず言葉を詰まらせた。
(すごい……うれしいけど、なんか怖い……)
彼の言葉に嘘はない。疑いの影すらない。
けれど、それだけにプレッシャーも大きかった。
“聖竜の巫女”という存在に、ここまでの期待を抱かれるなんて――
「……私、本当は“希望”なんて呼ばれるほどの人間じゃないよ」
自嘲気味にそう呟いた未来に、ノエルは柔らかく首を振った。
「僕はね、奇跡って、完璧な人が起こすんじゃないと思ってる。
不安だったり、間違ったり、迷ったりする人が――それでも誰かのために踏み出すから“奇跡”って生まれるんだって」
――その瞬間、未来は確信した。
この人は本物だ、と。
見た目がかわいいとか、性格が優しいとか、そんな次元じゃない。
彼は、人の痛みを心から理解して、受け止めてくれる存在なんだ。
「……ノエルくん。ありがとう。まだ私、自信ないけど……できることからがんばるね」
「うん。それでいいよ、リアナ」
――その笑顔に、未来は少しだけ、救われた気がした。
その夜、いつものように筆を取った。
大切な人へ、届かないけれど伝えたい手紙を。
□■□■□■
> お姉ちゃんへ
今日ね、神殿でヒーラーのノエルくんと会ったよ。
もうね、王子とか騎士とか格闘家とは全然ちがう。
穏やかで、優しくて、でも、すごく芯がある子。
「あなたが希望なんだ」って言ってくれたの。
……うれしかった。
でもちょっとだけ怖かったよ。
そんな風に見られるには、私はまだまだ未熟だから。
それでもノエルくんは「それでいい」って笑ってくれた。
……ねえ、遥お姉ちゃん。
わたし、ほんとにこの世界でやっていけるのかな。
ちょっとずつでも、自分を信じていけるように、なりたいな。
□■□■□■
◆
□■□■□■
> お姉ちゃんへ。
今日はね、初めての学園での授業があったよ。
王立アカデミー、ゲームで見てたよりも広くて綺麗で……ほんとに、本物なんだって感じた。
授業は騎士団の歴史とか、神聖魔法の理論とか……ちょっと難しいけど、みんな優しく教えてくれるの。
それでね――なんか、すごく順調なんだ。
王子のレオンハルト様とは、入学式の時に少し話しただけなのに、今日廊下ですれ違ったら、ちゃんと「リアナ」と名前で呼んでくれて。
ユリウスさんは図書館で偶然会ったら、勉強に使えそうな本を黙って差し出してくれて。
ちょっと怖いのかと思ってたけど、あれたぶん、すっごく優しい人だよ。
セシルくんは授業中に突然「あなた、光の加護が強くなってるね」って言い出してびっくりしたけど、
そのあとすごく熱心に魔力のバランス調整のアドバイスくれて……不思議だけど、悪い人じゃないの。
ガルドさんは廊下でモップが倒れてきたのを無言で受け止めてくれて……あれはちょっと反則。
口数少ないけど、絶対いい人。あと、モップに強い(?)
ノエルくんとは、今日もお昼を一緒に食べたよ。
お弁当のおかずを「交換しよっか?」って言われて、
えっこれ、恋愛フラグじゃない!?って内心テンパったけど、ただの純粋な善意だった……。
でも、うれしかった。
……それでね。思ったの。
この世界、誰かひとりだけを“選んで”仲良くならなきゃいけないわけじゃないんだね。
ゲームだと、好感度を上げられるのは選択肢で選んだ1人だけ。
選択肢ひとつでルートが決まって、他のキャラとはほとんど会話もなくなるし……
正直、それがちょっと寂しかったんだ。
でも今は、そんなの関係なくて。
みんなそれぞれ、自然に話しかけてくれるし、
気づいたら隣に座ってたり、何気なく笑いかけてくれたりして。
ああ、これは“現実”なんだなって。
ゲームじゃなくて、ちゃんと“私の人生”なんだなって。
……お姉ちゃん、見てて。
私ね、この世界でもっともっと仲良くなっていくよ。
全員と、ちゃんと。
攻略じゃない、選ばれたルートでもない、私自身の選択で。
ちょっとだけ怖いけど……それでも、今はすごく楽しいの。
だから、ちゃんと報告したくなっちゃった。
お姉ちゃんにも、届いてるといいな。
未来より。
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姉の遥と妹の未来による『聖竜の巫女と邪竜の巫女』のゲーム世界転生による短編2本。
交互にストーリー進行する形に1本化したいけど、うまく形にならない。
誰か…助けて。