王家の処置
イザイアの婚約解消宣言と平民落ち希望はすぐさま侍従によって国王オリヴィエロに報告された。エルシーリアが自身の気持ちとしては解消を受け入れるが、判断は国王と父公爵に委ねると貴族令嬢として正しい返答をしたことも含めて報告され、オリヴィエロは愚息に呆れエルシーリアを惜しんだ。
そのエルシーリアは婚約解消の同意書にサインをすると直ぐに城を出ている。それからほどなくイザイアも護衛騎士一人を伴い王城を出て王都へと出かけて行っている。恐らく情人の許へ行ったのだろう。事の優先順位を理解していない息子にオリヴィエロは呆れ、その場で廃太子することを決めた。正式な決定は主要大臣たちとの会議を経る必要があるが、この決定は覆らないだろう。
恐らく今日のうちにアディノルフィ公爵が登城し婚約解消について話し合うことになる。イザイアが帰城し謁見を求めるのとどちらが早いか。恐らくアディノルフィ公爵だろうとオリヴィエロは予測した。
そして、予測は当たった。エルシーリアの下城から一刻ほどでアディノルフィ公爵マルティーノと嫡子セノフォンテが登城し、マルティーノが王への謁見を求めた。セノフォンテは己の職場である財務部に向かい、謁見には同席しないそうだ。だが、セノフォンテの行動は先を見越してのことだと容易に想像がついた。
マルティーノとの謁見はごく小規模で行われた。国王の執務室に付属する応接室で、同席者は宰相と侍従長と書記官長。書記官長は謁見内容の記録を残すための同席だ。
その場でマルティーノはエルシーリアが身に付けていた録音魔道具を再生し、ありのままの婚約破棄宣言からのほぼ一方的な話し合いの様子を開示した。身を守るための手段として、同席者のいない会話は録音しておくのが貴族の常だ。今回もその録音が活きたことになる。
オリヴィエロはイザイア有責での婚約解消を認めた。本来はイザイア有責での破棄だが、エルシーリアの温情を無駄にせぬために解消とした。勿論、イザイア有責であるので婚約解消に伴う不貞の慰謝料、王太子妃及び王妃教育で長い歳月拘束したことの賠償金を支払うことで合意し、その金額は改めて算出したうえで正式な婚約解消となることが決まった。
そこまで決まり、一息ついたところで部屋の外が騒がしくなり、やがて扉前で警備をしていた騎士が『イザイア殿下が陛下への謁見を求めておいでです。男爵家の庶子を伴っておられます』と告げた。
先触れのない謁見希望に、本来登城資格のない男爵家庶子の同行。オリヴィエロだけではなく室内にいる全員が呆れた。謁見は当日申し込んでも叶わない。親子であってもだ。マルティーノの謁見が即座に叶ったのはそれだけ緊急事態であり、実際には登城前に先触れで謁見の申し込みがされていたからである。
「イザイアは部屋に閉じ込め、許しがあるまで自室での謹慎とする。男爵家庶子は地下牢に放り込んでおけ。登城資格のない者が王城内に侵入したのだ。すぐさま首と胴が離れなかったことに感謝するべきだな」
王城へ登城できるのは伯爵家以上の身分の者だ。文官・騎士・宮廷魔導士、そして使用人といった王城内で職を得ている者は子爵家以下でも職場なので登城できる。未成年の場合、伯爵家以上であれば親の同行がある場合のみ可、例外は王の子の側近と婚約者である。
そのどれでもない男爵家庶子は発覚すれば即処罰対象となる。
なお、誰も男爵令嬢とは言わず庶子というのは、王国の法において庶子は貴族に相応しい教養とマナーを身に付けていると認められなければ貴族の令息令嬢とは認知されないからである。つまり、ベルニ男爵庶子ジルダは貴族として認められていない、貴族所縁の平民という立場なのである。
「ところで陛下。イザイア殿下が平民になる際の下賜金ですが、どうなさるおつもりですかな」
王家と公爵家として一通りの話し合いが終わったところでマルティーノは切り出した。
「本来の公爵への臣籍降下であれば王太子の年間予算の10年分を渡すところだが、平民だからな。半年分と言ったところか」
下賜金は爵位によって明確に定められている。公爵で10年分、侯爵で8年分、伯爵で5年分、子爵で3年分、男爵で1年分だ。予定よりも下の爵位だからといって差額が与えられるなどということはない。嘗て側近がイザイアに示した例は例外中の例外だ。有体に言えば王家の不祥事に絡む口止め料だったのだ。なお、その後臣籍降下した王子と妻は暗殺され、その資産は王家が回収している。
「ほう、仕度金を下賜なさるのですか。財務部顧問としては少々異議を唱えたいところですな」
公爵家の当主は大臣にならぬ代わりに相談役として顧問の肩書を持つのがこの国の慣例だ。マルティーノは現在財務部顧問を務めている。
「どのようなことか言うてみよ」
まだ婚約解消に纏わる話が終わったわけではなかったのだと、オリヴィエロと宰相は背筋を伸ばした。
イザイアが婚約解消を告げてから10日後、イザイアはジルダとともに父国王に呼び出された。なおこの10日間イザイアは自室から一歩も外に出ることは叶わず、外部との接触も一切断たれ、悶々とした日々を過ごしていた。ジルダは地下牢に捕らえられ、当初は不満を喚き騒いでいたがやがて無気力に過ごすようになっていた。
国王への謁見ということで、牢から出されたジルダは入浴を許され、最低限の身だしなみを整えられた。与えられた服は平民時代に着ていた余所行き程度の装いだ。イザイアは侍従に言われるままに平民が身に付けるような衣服に着替えた。これも平民が畏まった場所へ行く際に着る、少しばかり上質な衣装だ。貴族や王族からすれば襤褸よりマシという程度のものだった。
そうして、二人は謁見の間へと連行された。案内というよりは連行というのが相応しいぞんざいな扱いだった。当然イザイアはそれに不満を漏らすが、案内する侍従も従う騎士もイザイアを無視した。
何かが可笑しい、そう思いながら入った謁見の間には国王夫妻と弟たち、宰相をはじめとする大臣、公爵家の当主たちが揃っていた。
侍従と騎士に促され、王の前へと進み、通常の自分が謁見するよりも遥かに国王から遠い場所で停止させられた。そして騎士に強制的に跪かされた。
「イザイア、そしてジルダ。そなたらの処遇について伝える」
重々しい国王──父の声に、イザイアは不安と恐怖に襲われるのだった。