人を試そうとするとき、己もまた試されていますの
ヘレンと別れたあと、ローラとアメリアは黙々と教室へ向かった。彼女たちが目指す教室は”東リス”と呼ばれている棟にある。
建物が幾つもあるメリアテッサ学園において、小動物のリスの名を持つ校舎は主に学生が使うものだ。講義によっては特別な機材や薬品を扱うため、”リス”と呼ばれる棟は複数あり、それぞれ、建っている方角や屋根の色などで呼び分けれていた。冠する生き物の名前に似合わず”東リス”は学園の中でも特に目を引く建築物で、3学年分の学生たちのための教室がそこにある。
”東リス”は5階建てで、生徒たちが空き時間を過ごせるよう1階は全面が開放的な談話室となっている。ローラたちが校舎の中に入った時にも、まだ教室に向かわずにそこかしこに置いてあるテーブルを囲み談笑している上級生たちのグループがいくつかあった。
1年生の教室は2階にあり、学年が1つ上がる毎に階数も1つ上がる。二人が一階を抜け階段を上がり教室へと入ると、どよめきが起こった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよ──きゃああっ!」
「ご……ご覧になって……!」
「ローラ様があの破滅令嬢とご一緒に……!」
「おいおい、マジかよ」
「信じられん……!」
挨拶に紛れ彼女のクラスメイトたちがヒソヒソと噂する声の止まぬ中、ローラは悠々と教室の最後方の座席に着席した。
生徒たちが座る座席は段々に配置されており教壇がよく見えるように緩い扇形に広がっている。そして最後方の座席は最も高い位置にあった。席の位置は指定されておらず固定もされていないが、慣例としてより高い爵位のある家の人間が後方に座することが多い。したがって国の最高峰貴族たる公爵家のご令嬢、ローラが教室の最後方に着席すること自体はごく自然なことなのだが──
ローラの右横、つまり最後方に列する座席に、アメリアも着席した。
「えっ……?」
パンナイフ家は子爵を賜われているが、家格が上の者たちはこの講義室に何名もいる。その位置に子爵の位の人間が座っては駄目だという規則はない。しかし、思わぬ事態に戸惑いの声が囁かれた。
──あらまあ。
ローラはアメリアがどの席に座るか少しだけ試すような気持ちでいた。それ故に、特に何も言わずに最後尾に座ったのだ。そこに、今朝アメリアに驚かせられたことへの意趣返しの気持ちがなかったか、といえば嘘になる。しかしアメリアは一切怯むことなく彼女の横に座り、遠巻きに驚きと困惑の目を向けている学友たちの視線も気にせず、講義の準備を始めていた。
「アメリア様? 敵を──」
「『アメリア』と呼んで」
「敵を作るような真似はよした方がいいわ」と小声で囁やこうとした彼女を遮り、アメリアは隣に座るローラに顔を近づけた。
「私たち、友人なのでしょう?」
「ちょ……アメリア様……」
「ア・メ・リ・ア」
「迂闊でしたわ」とローラが気がついたときにはもう手遅れだった。「人を試そうとするとき、己もまた試されていますの」などとぼやく己の声が呑気に頭の中をよぎる。
「し……仕方ありませんわね。アメリアさん。では、わたくしのことも『ローラ』と」
「『さん』はいらない。ローラ」
二人のやり取りに耳をそばだてていたクラスメイトたちのどよめきが講義室を揺るがした。
「きゃああああっ!」
「そんな……っ……まさか!」
「わたくし、もう破滅しそうですわ……」
「しっかりなさって!」
「恐れ知らずか、破滅令嬢は!」
──なんとまあ、賑やかなクラスですこと。
激しく脈を打っている自身の鼓動は聞こえないふりをして、ローラは呆れ返ってみせた。
「まったく……この騒ぎはあなたのせいですわよ。破滅令嬢さん」
「アメリア」と呼び捨てで気安く呼べず、軽口で誤魔化した彼女をアメリアは不満げにちらりと見て何か言おうとしたが、一人の女子生徒がやってくるのが見えて黙った。
アメリアの視線の行方に気がつき、ローラもそちらを見やるとやって来ている少女に向かって「ごきげんよう」と声をかけた。
その少女はにこやかな表情を見せ、アメリアとは反対側であるローラの左手側にストンと着席した。そして左肘を机につきその手に頬を預け二人の方を見ると、マリーゴールドのようなオレンジ色の髪を持つ少女は、右手のひらを広げ無邪気にニカっと微笑んだ。
「チャオ、ルルベル様にパンナイフ様」