6、開店準備
龍星と陽樹が空子から連絡を受ける数日前――。
開店日を間近にひかえたメイド蕎麦屋『あなたのおそば』の店内には、アルバイトとして働く少女たちが仕事の説明を受けるために集まっていた。
アンティーク調の照明が天上から障子紙の飾りを通して照らす店内は純和風テイストではなく、ダークブラウンのフローリング、花柄のレリーフが入ったオフホワイトの壁紙やクリーム色のブラインドとレースのカーテンで飾られた窓、数々の洋風仕立ての調度品と、蕎麦屋というよりは洋菓子店のような内装をしていた。
客用である西洋風テーブルはフロアの端へと片付けられ、広々としているフロアの中ほどには座面にダークブルーの丸いクッションが置かれた椅子がゆるやかな弧を描くように配置され、少女たちがみな同じ身なりで腰掛けている。
フリルが波打つように並ぶ白のヘッドドレス、パフスリーブでひざ丈下の黒い半袖で立て襟タイプのワンピースと飾り気のない白く清楚なエプロンが一体化したピナフォア風ドレス。ふんわりとしたスカートの裾からのぞく足には白のクルーソックスと黒のデッキシューズ。
メイド蕎麦屋という看板どおりのひと揃いのメイド服姿で座る六人の中にいて、富津市子は緊張感からくるものとは違う居心地の悪さを感じていた。
(オーラが違いすぎる……)
平均的な一般女子高生を自認している彼女からすれば、自分の左右に位置する他の女子とは肩を並べていることが不思議なくらいに釣り合いが取れていない気がしていた。
全員おなじ学校に通う生徒でありながら、他のメンバーが自分よりも明らかに秀でている面をもっているのがただ座っているだけでもひしひしと感じ取れる。
(さすがに、ここまでの人がそろうとか想定外なんですけど……)
「どうかしたの、富津さん」
右隣に座っていた比楽泉が市子の様子を気にして話しかけてきた。
人当たりのよさとアクティブさが全開といった感じのクラスメートで、市子をこのバイトに誘ったのも彼女だ。
「こ、このメンバーの中にいると気後れというか引け目というか……なんというか個性のないモブですいませんって感じで……」
「いやいや、なんか深く考えすぎだって」
「そうはいっても……」
市子は左右に並ぶ面々へと目をやる。
学校の先輩に当たる2年生が三人、1年生が市子を入れて三人。
市子から見て、それぞれの女子は個性的な特徴を持っていた。
もっとも左端に座しているのは、堂々とした感じと気品を持ち合わせた2年生、姫堂瑠璃。
前髪を切りそろえたいわゆる姫カットと縦ロールに編み込まれたロングヘアと見るからにお嬢様といった感じだ。
実際、この地域でアパレル関連の店舗やレジャー・娯楽施設を展開する姫堂グループの御令嬢だと泉から聞いている。
その隣は、長めの髪をツインテールにしているやや硬質的な雰囲気がする2年生、桧之木琥珀。ワンピースの袖や裾から健康的にひきしまった四肢をのぞかせ、表情はりりしく、凜としている。
泉の情報によれば「ローカルテレビの番組で、女子武術界の新星って紹介されてたよ」とのことだ。
三人目となる2年生は、後ろ髪が跳ねたボブカットに黒縁メガネをかけたややぽっちゃりとした人なつっこそうな八尾和子。
漫画研究部の部長で、この店のチラシに使われているイラストの作者だと泉に教わった。
そして市子を挟むようにして五人目に位置するのが比楽泉。
活発そうなショートカットに明るい表情と性格で、どこでもすんなりと人の輪に溶け込めるタイプのコミュニケーションスキルが高い少女だ。
その隣、右端に座っているのは南須佐空子。
額を出したボブカットに銀縁のメガネをかけ、いかにも真面目そうな雰囲気を漂わせている。市子と泉が属するクラスで委員長を務めており、『委員長になるために生まれてきた』などと他のクラスや学年でもウワサされるほどの生真面目な少女だ。
この五人と並んでいると、
(縦ロールお嬢様、格闘少女、漫研部長、コミュ力の化身、メガネ委員長……キャラで負けてるというより太刀打ちできるものがない……)
没個性ゆえのコンプレックスとまではいかないが、この一芸に秀でたメンバーに交じっていていいのだろうかと、市子がややマイナス的な思考に陥っていると、
「お待たせしました」
鈴を転がすような中性的な声とともに、店の奥から少女たちと同じようなメイド服に身を包んだ人物が出てきて一同の前に立った。
深くかぶった猫耳飾りのついた帽子と小柄で華奢な体つきのせいで、ここに集まっている皆の中ではいちばん幼く見える。
市子はその容姿に見覚えがあった。ただ以前に見かけたときはメイド服ではなく巫女の衣装を着ていた。いや見た目だけでなく本職の巫女だったはずだ。
(なんで巫女さんがこんなところでメイドの格好をしているんだろう? それとも似ているだけの別人かなあ……)
そんなことを考えながら見ていると、向こうも市子の視線に気付いたのか、微笑みを浮かべて軽く会釈する。
市子も慌てて軽く頭を下げたが、他の女子たちも自分たちに向けられた礼と思い、市子同様に会釈を返した。
「皆さん、おはようございます。皆さんの指導および監督を受け持つアルバイトリーダーの織富と申します」
織富と名乗った猫耳帽子のメイドがちょこんと頭を下げると、少女たちは椅子から立ち上がり、
「おはようございます」
と返礼した。
「はい。よい挨拶ですね。それでは着席していただいてけっこうです」
織富は皆に座るようにうながし、
「さて質問ですが、皆さんはこういった仕事をしたことはありますか? 経験があるなら挙手してください」
と尋ねてきた。
誰ひとり手を挙げることなく、全員が未経験者であることが確認できると、
「なるほど、皆さん初挑戦というわけですね。では、簡単に仕事の内容を説明していきましょう」
織富は、店内と外回りの清掃、接客、注文の受付、配膳、食器の洗い方と整頓、時間帯による店内の模様替え等、業務をひとつひとつ説明していく。
「これらをまとめた手引きはお客様から見えない場所にカンニングペーパーとしていくつか置いておきますので、手順が分からなくなったら確認してみてください。ここまでで、なにか質問は? なければ、実際に接客の模擬演習をしてみましょう」
織富の指導の下、女子たちは隣に座る者同士でペアを組み、営業時と同じ配置にしたテーブルと椅子を使って、来店時の挨拶から始まり、注文、配膳、片付け、会計といった給仕の流れや注意事項を、ウェイトレスと客の役割を順番に演じながら確認していく。
数時間後――。
店主夫婦の厚意によりデザートとして供されるガレットが出来上がるまでの間、店舗の2階に更衣室兼休憩室として設けられた和室で、ひと通りの研修を終えた女子たちはメイド姿のままで休憩を兼ねた談笑をしていた。
雑談の輪に加わる市子も研修前とは打って変わって、明るい表情を見せている。
リーダーを務める織富の指導法が丁寧かつ『ほめて伸ばす』タイプだったこと、パートナーとして組んだ和子だけでなく泉や空子らもきっちりとサポートを務めてくれたことも気持ちの切り替えに大きく貢献していた。
そうして会話の内容はいつしか『なぜこのお店で働こうと思ったのか』に移っていた。
「料理とこの服装に興味があって」と答えたのは、学校のフード研究会にも参加している泉。
同じくメイド服に興味があるのと漫画の資料や題材に使えそうだからと、和子。
琥珀は、バイトリーダーである織富に誘われて、とあっさりとしたものだった。
瑠璃は、琥珀が『あなたのおそばで』で働くと聞きつけた妹の美月に『琥珀先輩が働いてる様子を近くで見てきて』と頼まれたからと告げた。
「え、そうなん?」
予期してもいない理由に、琥珀が驚きの声をあげ、
「そうですわよ。それに、こういう仕事を体験するのも悪くはないですし」
瑠璃は事もなげに答える。
空子は、夏祭りの神社で巫女のバイトを勤め上げる予定がメガネを壊したことにより果たせずにいたところを泉に誘われての参加だった。
市子も泉に誘われた形ではあるのだが、彼女にとっての決定打は、委員長である空子が一緒に働くバイト仲間だということだった。
というのも――、
「なるほど。お祭りで使われていた鬼打提灯の由来を自由研究の課題とするために、1年生の三人でチームを組んでいるのでござるな」
と、市子から詳しい話を聞いた和子が芝居がかった口調で要約する。
「そうですそうです、富津さんが発起人で、アタシが便乗して、委員長を巻き込むかたちで。それで『提灯の由来が妖怪退治をした鬼打姫の名前に由来してます』で終わってしまうのを避けるために……」
泉に続いて、
「その鬼打姫や退治されたっていう妖怪の伝承についても調べあげて、レポートにまとめていこうと思っています」
市子が答える。
「たしかに妖怪とは地域における事象の比喩であるとも考えられますしなあ。そこらへんを深掘りしていくのは有りでしょうな」
和子の言葉に、
「そうですね」
空子が相づちを打つ。
「比喩ってどういうこと?」
泉の疑問に、
「たとえば鬼打姫の話で考えると、川を氾濫させる清長姫と呼ばれた蛇の化身が懲らしめられたのちに鬼打姫となった、って言い伝えがあるんだけど、これは名前に使われている清く長いという文字と川を氾濫させる蛇の化身ということから、清長姫は蛇行して流れる川の比喩で、懲らしめとは治水のことであるという説がとれるの」
空子がそれこそ流水のごとくよどみなく答えると、
「なるほど。そうなると単に『これこれこういう妖怪がいました』ってよりも『これにはこういう意味があるんだと思います』のほうがレポートとしては完成度があがるわけかぁ。さすが委員長」
泉は納得したように、うんうんと何度もうなずいてみせる。
「それでですなあ、その妖怪の逸話やルーツを探るのは漫画のよき題材、よき資料になりそうなので、わたしも便乗というか連名させてもらってもよいですかな?」
和子の申し出に、市子たちはふたつ返事で答える。
「では、これからよろしくでござるよ。とはいえ、この地域独特の妖怪とかあまり聞いたことはないですなあ」
「そういえば委員長は神社で巫女さんしてたんだよね? 今の鬼打姫みたいな感じで使えそうな妖怪の情報とか聞いてないかな?」
「妖怪退治の専門家とかにツテがあったりすると、なおよしですな」
「さすがの委員長でも妖怪退治してる人と知り合いだったりとかはないでしょ。っていうか、そもそもこの現代で妖怪退治の専門家とか怪しすぎだし。ねえ、委員長?」
「……実はその……専門家ってわけではないけど、妖怪を退治するための流派って触れ込みの剣術を習ってる人ならふたりほど知ってたりする……」
空子の答えに、
「って、本当に妖怪退治する人が存在してるんかーい!」
「そんな人と知り合いとか、さすが委員長……」
「いやいや、こればっかりはさすがとか委員長とかいうレベルじゃないから」
泉と市子が沸き立っていると、
「ちょっ、ちょっといいかな? その話もう少し詳しくというか、その流派の名前を知りたいんだけど……」
と、いままで話の輪に加わることなく傍観者に徹していた琥珀が横から声をかけてきた。
「天久愛流ですけれど……」
質問の答えに、琥珀は表情を明るくすると、さらに身を乗り出して詰め寄りながら、
「も、もしかしてだけど、その知り合いの人ってツルギリュウセイって名前だったりする?」
続けて空子に尋ねる。
「え? 先輩は鶴さん……いえ、鶴来のことをご存じなんですか?」
空子が彼女の勢いに戸惑いながらも応じると、
琥珀は興奮を抑えきれない様子で何度かうなずき、
「お願いがあるんけどっ! そのリュウセイさんと会えるんように仲介してもらえんかな、お礼はできるかぎり弾むんでっ!!」
空子に向けて手を合わせて頼み込んだ。