39、暗躍
『お蕎麦のソムリエ』の異名を持つ相馬リエコは、
(なかなか面白いお店だったな)
手の中にある記念品のふくねこコインを上機嫌で宙へと弾いた。
夏の日差しを受けて、金色のコインはきらきらと輝きながらふたたびリエコの手の上へ。
地元に新しいお蕎麦屋さんができたと同窓生から聞いて、すぐさま予約を入れて、ひさびさに母校のある街に訪れたのは正解だった。
行きは学生時代を思いだしつつ駅から店までの道を散策し、わんこ蕎麦ならぬにゃんこ蕎麦を堪能した帰りは満腹状態を解消するために目的もなく街中を散策する。
夏の午後という暑い盛り、日傘を差したうえで日差しを避けながら歩く道すがら、懐かしの母校である彩女こと彩嶺女学院の前に差し掛かった。
夏休みの学校はリエコが在籍していたころからまったく変わるところがなかった。
さすがに登校している生徒や教員の姿は見えず、母校の外観を眺めるだけにとどめ、散策を続ける。
学生時代に利用していた帰り道をたどる途中、リエコは思い出のある公園の前でいったん足を止めると、当時をなつかしむように園内へと足を踏み入れた。
(ここも変わってないなあ)
友人たちと他愛もない話をするために使っていた休憩所はいまも変わらず当時の面影のままだった。
休憩所といっても簡素な物で、小さなテーブルをはさむようにベンチがふたつ置かれ、四隅に立てられた柱が日光や雨粒をしのぐための屋根を支えている。
リエコは休憩所のベンチに腰掛けて、ひと息つき、辺りを見回す。
公園の中では、暑いさなかというのに運動をしている少女がいた。
スポーツキャップをかぶり、半袖のTシャツからのぞく腕にはアームカバーをつけ、くるぶしまでのフィットネススラックスに紐のないトレーニングシューズを身につけている。
(紫外線対策はできてるけど、暑さ対策とか水分補給とかちゃんとしてるのかな……)
元気さや若さへの感想よりも美容や健康面を心配する考えが先に来てしまう。
少しのあいだ見守っていると、少女は近くに置いてあるバッグからタオルやプラボトルを取り出して小休止を始めたので、安堵して自分はメモを取り出し、今日の成果をブログにあげるための要点を整理してメモ書きしていく。
今日のお店『あなたのおそば』の雰囲気は……外見、内装ともに良し。
☆☆☆☆☆と、店名の下に星を5つ並べる。
お蕎麦屋というよりは洋菓子店といった趣きだったが、蕎麦だけではなくガレットも売りにしているとのことなのでそこは大目に見る。
(次はアフタヌーンティーでガレットに挑戦かな)
店はメイド蕎麦と銘打っていたように、店員の女子は全員メイド姿をしていた。
メイドといってもコンセプトカフェにありがちなフリフリエプロンにミニスカートというものではなく、英国のティータイムを思わせるようなクラシカルなタイプだった。
店員たちに関しては服装も相まって、学園での文化祭の延長といった感じもしたが、まあそれも及第点として――、
(ハンドベルと拍手はちょっと気恥ずかしかったな……)
独特のノリを思うと、なつかしい学生時代に戻った感じがする。
少女たちの年頃からすると、彩女が設けている校外学習制度の恩恵を受けている子たちだったかもしれない。
自分の後輩である可能性や自身の学生時代を考えると、自然に点数も甘くなる。
(星4つ半ってとこかな)
そんなことを思いながら、店員の少女たちの格好をメモに描いていく。
リエコは写真ではなく、絵を使って店の外観や内装、店員や蕎麦の見栄えをあらわすタイプだ。
記憶頼りの筆運びとはいえ、特徴を的確に模したデフォルメ姿のメイド少女がページの上に誕生する。
(どうよ、昔とった杵柄、掛け持ちとはいえ漫研に在籍してた身としてはプロレベルではないにしても合格点でしょ……まあアヤメならもう少し丁寧に表現できるんだろうけど)
『あなたのおそば』オープンの連絡をくれたかつての同級生、天弓アヤメのことを思いだす。
自身のことには無頓着ながら、手先が器用で絵も上手かった彼女はいま服飾に関係する仕事に就いたと聞いている。
(連絡は取り合ってるものの、このところ顔をあわせてないし、今日のお礼にデザートにでも誘ってみるか)
などと思いつつ、メモ書きを続ける。
今日食べたのは、にゃんこ蕎麦。
にゃんこといっても別に猫とは関係ないごく普通のわんこ蕎麦だ。
味の確認もなしに大量の蕎麦を食べるというのは他人からすると無謀かもしれない。
たしかに出てくる蕎麦が落語『そばの殿様』のような不味いものなら目も当てられないが、運がいいのか、これまでリエコが食べると決めた蕎麦に不思議とハズレはなかった。
というわけであるから肝心の味はというと、あとからやってきた客である少年ふたりも素直に口に出していたように、
(大アタリと言いたいところだけど『あたる』は避けて『大正解』と)
飲食店に使うのに相応しくない『あたる(中たる)』の単語を使わず、大正解として味の欄に星5つをつける。
そういえば、そのふたりの少年と店員の少女の話から、にゃんこ蕎麦のネーミングは店主の夫婦が猫派だからというのを知った。
メモ帳にはそんなエピソードに添えるカタチで、
(わんこ、にゃんこというけれど、ワンちゃんニャンちゃんとはならずにワンちゃん猫ちゃんなのが不思議よねえ)
などと考えながら、マンガふうの犬と猫の絵を描き足す。
「あ、あの!」
犬と猫を描きおえるのと同時に、リエコは声をかけられた。
顔をあげると、さきほど運動をしていた少女がそばに立っていた。
ボーイッシュで均整のとれたプロポーション、見るからにスポーツ少女といった感じだが、日焼けは見当たらず、手には格好とは不似合いな小さな色紙とサインペンが握られていた。
「す、すみません。相馬リエコさんですよね? 『お蕎麦のソムリエ』の……」
その問いにうなずくと、
「サ、サインをいただけないでしょうか?」
少女がミニ色紙を差し出してきた。
一瞬受けとるべきか躊躇したが、彼女が首にかけているタオル――正確にはタオルに刺繍された見覚えのある校章に気づいて考えを変えた。
「それ、彩女の……」
「あ、はい。自分、彩嶺女学院の在校生です」
元気いっぱいという感じのはきはきとした声で答える。
普段であれば、プライベートでのサインや握手といったコミュニケーションは断るのだが、今日は気分がすこぶる良いのもあり、暑いというより熱いさなかで頑張っている後輩になにかご褒美をという感じで、リエコは申し出を許諾する。
色紙を受けとり、サラサラとペンを走らせ、
「はい、どうぞ」
と色紙を返す際に、少女が首に下げているアクセサリーに目が行った。
カタカナの『ト』と『ロ』を組み合わせたカギのカタチをしたアイテムで、トロという字が連想させるようにサシの入ったマグロめいた桜がかった色をしている。
「あれ? そのカギ……『忍者寿司プリンセス』の……」
「そうです! プリンセス・テッカの変身アイテム、テック・アーマー・キーです!」
色紙を受けとった少女が嬉々として答える。
『忍者寿司プリンセス』は日曜の朝に放映している女児向けのアニメで、万能神マキズ神が遺した秘宝レシピを探し出す少女ふたりの冒険と活躍を描いたものだ。
主人公のひとりである手塚マキがハイテクくノ一プリンセス・テッカへの変身に使う文字どおりのキーアイテム、それが秘宝のチカラを秘めたテーマキー、テック・アーマー・キーだ。
そんな女児向けアニメのアイテムをリエコがなぜ知っているかというと、来月9月に劇場公開される『劇場版忍者寿司プリンセス おスシとおソバで大バトル!?』」に劇場版のヒロインであるプリンセス・ソバツーユの声優としてゲスト出演しているから他ならない。
「えっと自分、その……『忍者寿司プリンセス』でコスプレデビューしたコスプレイヤーでして……」
照れくさそうに少女が言う。
リエコが社交辞令ではない誠実な応援の言葉をかけると、
「9月の映画楽しみにしてます! ありがとうございました!」
と元気よく言ってうきうきとした足取りで去って行く少女を見ながら、
(不思議な縁というか出会いってのはあるもんだなあ。そうだ、アヤメを劇場プレミアム公開にでも誘ってみるかな……とりあえずまあお店を教えてもらったお礼と感想をメールしておくとしますか)
旧友へメールを送信し、ふたたび散策へと立ち上がろうとすると、さきほどの少女のそばに日傘を差した少女が並び立ち、談笑しているのが見えた。
相手はやわらかく波打つつば広の帽子に清涼感のあるワンピース、優雅なローファーと避暑地のお嬢様然としたエレガントな雰囲気をまとった少女だった。
リエコが去ろうとしているのに気付いて、少女がスポーツキャップをとって大きく頭を下げ、元気そうに手を振る。
隣の少女もにこやかに微笑み、軽く会釈をしてくる。
リエコはふたりに軽く手を振って会釈を返すと公園をあとにした。
「いまの人だれだっけ? どっかで見たことあるんだけど……」
ワンピースの少女が尋ねる。
気品のあるお嬢様のような格好とは裏腹な、気取りがないというよりは軽々とした口調だった。
「『お蕎麦のソムリエ』って肩書きでテレビに出てる人で、うちの学校の大先輩」
「有名人なんだ。美味しそうなニオイがしてたのに栄養補給させなかったのは、有名人相手だと騒ぎになるから?」
少女が意味深長な言葉を口にする。
「いや、ちょっと気になることがあってね」
「どんな?」
「なんかさ、わたしのフクマが『かすかだけど同類に似たニオイがする』って言うから探りを入れてみたんだよね」
体をほぐす仕草を続けながら、スポーツキャップの少女が答える。
「あの人もフクマ憑きってこと?」
ワンピースの少女はリエコが去って行った方向を見つめる。
「それを判断するための接触」
「なるほど。サインは近づくための戦法だったんだ」
「いや。サインがメインで、フクマ憑きかどうか確かめるのはオマケ」
「うぉーい、ちょっと待てーっ」
ワンピースの少女があきれたように言う。
「いやちゃんと任務は忘れておりませんから」
おどけた敬礼をして答えたスポーツ少女に、
「……で、判定は?」
と問う。
「よくわかんない」
「ちょっとぉ……」
ワンピースの娘がジト目で見つめる。
「でも手がかりというか足がかりというか、怪しいポイントは押さえたから」
「とおっしゃると?」
「サインしてもらってるときに手元にあったメモをのぞき見たんだけど、メイド蕎麦『あなたのおそば』って店名があったんだよね。だからそこに立ち寄ってるはず。そこをまず最初の足がかりにしようかと」
「ふーん、『あなたのおそば』ねえ。そういえば夏祭りのときメイドの格好した子がビラ配ってたなあ」
「それ、うちの学校の生徒だよ。だから聞き込みは楽かもしれない」
「でも、そこってついさっきアタシのフクマがなんかヤバい気配を感じた辺りなんだけど……まさか行く気なの?」
「『虎穴に入らずんば虎児を得ず』だよ」
「コケ……? なに?」
「危険を冒さないとお宝は手に入らないって意味」
「最初からそう言って」
「キミはもっと知識をつけなさい」
「はいはい。そのお店に偵察行くんならチームのみんなにも声をかけておくかな」
「敵がいたときに備えて、他のみんなには外で待機してもらうのがいいかも」
「ま、用心に越したことはないよねぇ」
「お仲間に出会えるといいけれど」
「それじゃあ計画たててみますか……って、暑いなかでの立ち話もなんだし、移動しようよ」
「だね」
スポーツ少女はバッグにタオルやプラボトルを無造作に放り込むと肩へとかけ、ワンピースの少女を伴って歩き出した。
フクマ憑きであるふたりの少女が連れ添って公園を去ると、無人の園内には不気味なまでの静寂だけが残された。




