29、ハレンチ罪裁判
いっぽう店の外では――。
モエギと連絡をとったのち、龍星の加勢に戻ろうとした陽樹だが、建物を覆う柔らかで透明な壁に阻まれて店内に入ることができずにいた。
夏祭りの山中で、龍星と陽樹の行く手を阻んだ不可視の壁と同類のものだ。
壁の向こうに見える窓の奥をのぞき込んでも、がらんとした白くなにもない空間が広がるのみで、店内の様子をうかがい知ることはできない。
障壁があるのは建物の周囲だけではなく、店は商店街の一角ごと周囲から隔絶された空間の中にあった。
モエギとの通話が終わったあたりから、店を中心とした周辺一帯はベールを幾重にも重ねたような薄もやに覆われ、その向こう側へ抜けることはおろか先を見通すことすらできなくなっていた。
建物自体を覆う結界と店の周辺を覆う結界という二重の壁。
それらを破る術を陽樹と空子は持ち合わせていない。
店の中に入ることも、この場を離れることもできず、陽樹はやきもきしながら『あなたのおそば』の店先をなんども行ったり来たりしている。
無理にでも龍星を外に連れ出すべきだったのか。
ヒメへの連絡は空子にまかせて、自分もあの場に残るべきだったのか。
様々な考えが浮かんでくるが、いずれも正解が分からないというのが、より陽樹の頭を悩ませることになっていた。
「亀さん、大丈夫? 鶴さんが心配なのは分かるけど……」
空子が気遣うように声をかける。
陽樹は足を止めて、彼女に余計な心配をかけまいとするがうまく言葉を紡げず、しめっぽい沈黙の空気が場を支配する。
だが、そんな気まずい静寂も、
「これはこれは。ずいぶんと手の込んだ結界を張っておるのぅ」
のんびりとした少女の声で破られた。
声がしたほうへ陽樹と空子が目を向けると、外界との行き来を妨げていた薄もやがベールを1枚1枚剥がし落としていくかのように薄くなっていき、徐々に向こう側に映るシルエットが鮮明になっていく。
大小ふたつのシルエットがはっきりと色濃くなり、それが白衣と萌黄色の袴に身を包んだモエギと紅白の巫女服をまとったシズカのふたりと分かって、陽樹と空子は表情を明るくした。
最後のベールが消え去り、
「ハルキ、委員長、待たせたな。ふたりとも無事か」
シズカをともなったモエギがふたりの前に姿を現す。
「ほう、委員長は巫女姿も良かったがメイド姿も似合っておるの。まあ軽口は後回しにして、今はリュウセイに加勢するのが先じゃな」
と、モエギは透明な壁に覆われている店舗へと目を向け、
「だが闇雲に突き進むわけにもいかぬ。確認しておくが、店の中には何人おる?」
「リュウちゃんと店員の女の子が5人かな」
「もしかしたら店主のご夫婦もいるかも……騒ぎのあとから見かけてないけど」
陽樹と空子の答えに、
「なるほどスズノ、リュウセイ、あとは……女子が5人、それと店主夫婦か」
モエギは店の入り口へと近づいていき、手を伸ばす。
そして不可視の壁に突き当たると、モエギは探るように手をあちこちへと動かし、
「とりあえず、リュウセイ、それと店の連中、店員と店主夫婦か……みな無事のようじゃな。いやはや店をまるごと飲み込んでいながら、ここまで妖気を外へ漏らさぬのも見事、それでいて人を遠ざける役目を果たしているのも見事なものじゃな」
モエギがふたりを安心させるように言ったあと、スズノの手際に感心したふうに呟く。
「しかしここでスズノをほめたところでなんの得にもならぬ。このまま結界を破って店の中へと踏み込むが、ふたりはどうする?」
「リュウちゃんが心配だからヒメ様といっしょに行くよ」
「私も。鶴さんだけでなくお店のみんなも心配だし」
「よし。ふたりともわしの後ろに続け。シズカよ、そなたはこの店の周囲に細工をして、万が一スズノが外に逃げ出した場合、足止めができる程度の罠を仕掛けておけ。それが完了したら店の中へ。お主がおればスズノも少しは殊勝な態度になるかもしれん」
「かしこまりました」
シズカが一礼し、
「では、ふたりとも行くぞ」
モエギが不可視の壁に向けて両手を伸ばす。
彼女の手が触れたところから波紋が生まれ出て、不可視の壁にくっきりと紋様を浮かべながら大きく広がっていく。
波紋が消えるのを待たずにモエギが不可視の壁などなかったかのように前へと進み、店の正面扉に手をかけ、スライドさせた。
店の扉を開けた先に広がる一面の白の中へ、モエギは躊躇することなく踏み込んでいく。
陽樹と空子もそのあとに続いた。
「リュウセイ、無事か!」
白い闇ともいえる空間を抜けて『あなたのおそば』の店内へとたどりついたモエギたちの瞳に映り込んだのは、お菓子の国を思わせる空間でメイド姿のウェイトレスたちに囲まれた龍星の姿だった。
フロアの中央に置かれた椅子に手足を縛り付けられ、身動きとれずにいる彼を挟むようにテーブルがひとつずつ左右に配置され、瑠璃と泉がそれぞれ席についている。
龍星の後ろに見えるソファーには琥珀、和子、市子が○と×の描かれたプレートを手にして座っていた。
「え、なにこれ? どういう状況?」
「さすがのわしでもこの状況は分からん」
メイド姿のウェイトレスたちはモエギらを見て、
「いらっしゃいませ」
と条件反射のように告げる。
「すみませんがお客様、この被告人に裁きが下るまで少々お待ちくださいませ。そのあとで通常のサービスへと戻りますので」
瑠璃が立ち上がって一礼し、当惑を隠せないモエギたちに説明する。
「被告人?」
「裁きってことは、これってリュウちゃんに対する裁判なの?」
「なにをしでかしたのじゃ、リュウセイ」
モエギたちの反応に対して、
瑠璃は軽くせき払いをすると、
「被告人である鶴来龍星さまは、妖怪退治と称して女子店員2名の衣服を損壊し、恥辱を与えたハレンチ罪に問われていますの。それに加えて夏祭りの夜に40人もの少女をその毒牙にかけてきた余罪があるのですわ……これはもう有罪! ギルティ! 主文後回しの極刑をもって臨むほかありませんわっ!!」
「40人? 毒牙? いやらしいわね」
瑠璃の言葉に目を見張った空子が軽蔑の視線を龍星と陽樹に向ける。
「ちょ、ちょっと待って。夏祭りって言ってるから、それフクマ退治のことでしょ!」
陽樹が自身と龍星をかばうように弁明する。
「ああ、そういうことね。たしかに事情を知らない人が見たらあれはハレンチ……ん? でも夏祭りはともかくこのお店にフクマはいなかったはずだけど……ま、まさか鶴さん、アンタ妖怪退治をでっち上げの口実にして……」
「リュウちゃんがそんなことするとは思えないから……フクマか、それに類するのが出たと考えるのが妥当かなあ」
「ハルキの推測が当たりじゃろうな。あの娘たちの着ているメイド服からはフクマのものに似た妖気をかすかに感じる。じゃとしたら、なにが起きたのかはだいたい想像がつく」
モエギたちがそんな会話をする中、興奮気味の瑠璃と対面して座る泉が、頬杖をついたままで挙手をし、
「はいはい、異議あり~。たしかに被告は瑠璃先輩や琥珀先輩が着ていた服を弾き飛ばしちゃったりしてましたが、いちどめは瑠璃先輩の衣服がいわゆる妖気でできた服だということを被告が知らなかったことによる不可抗力であり、続く2度めにつきましては物証Aである神器との接触により身につけている衣服が破壊されると知っていながら、被告に勝負を挑んだ琥珀先輩にも非がある、と弁護人は考えま~す」
「い、異議を却下しますわ!」
瑠璃が言い返すが、
「それは陪審員さんの意見を聞いてみないことには」
泉はソファーに腰掛けている3人に目をやる。
3人は迷わず○の描かれたプレートをかかげ、
「納得ずくで勝負を挑んだ上での結果なんで、その点では弁護人の意見には正当性があるんよね」
琥珀に続いて、
「こはるどのに一理あるでござるなあ。というわけで異議を認めるでありますよ」
「姫堂先輩の心情は理解できますが、現時点で極刑の判断はいささか早計だと思います」
和子、市子がそれぞれの意見を述べる。
それを受けて、泉は、
「よし! じゃあ被告は無罪ということで。これにて閉廷~」
「お待ちなさい! まったくもって納得いきませんわ!」
泉は瑠璃へと軽く目をやり、
「いやイケメン無罪って言葉もありますし、ここは被告の顔の良さに免じてなにとぞ」
拝み倒すように言う。
対する瑠璃は龍星の顔をチラリと見、
「た、多少、顔が良ければなんでも許されると思ったら大間違いですわよ!」
少し顔を赤らめながら言ってのける。
「それはそうなんですけど、無罪ってことにしましょうよ~。アタシ、あの走ってきて『無罪』って紙広げるパフォーマンスをいちどでいいからやってみたいんですよ」
「あ、たしかにあれはちょっとやってみたいですなあ」
「でしょでしょ。こんな状況でもないと楽しめないし」
「なんなの、この小芝居というか茶番劇……」
あきれかえった様子で、空子が告げ、
「楽しいか、リュウセイ?」
モエギが龍星に問いかける。
「楽しんでいるように見えるのなら、どんだけ節穴な目をしてるんだと答えるしかないんだが」
拘束を受けている龍星は疲れ果てた感じで返事をする。
「可愛らしいメイドたちに生殺与奪の権利を委ね、スリル満点の綱渡りにも似た感覚を味わうためだけの裁判プレイという、余人には計り知れぬ禁断の快楽へと足を踏み入れてるわけではないのだな?」
モエギが念を押すように聞く。
「なんでそう俗っぽいを通り越した異様な考えが先に来るんだよ。それにな、前々から言ってるけど、その可愛らしい顔で品のない発想をするのはよせっ!」
龍星が顔を真っ赤にして抗議するが、
「可愛らしいなんて……毎度毎度、本当のことを言われても困る」
臆することのないモエギに、
「あの……ヒメ様?」
空子が冷ややかな声をかける。
「な、なんじゃ、委員長?」
「いやらしいです」
「ぐえ……いや、別にいやらしくはないじゃろ」
「でもなんか、いかがわしいです。神様である前に女の子としての慎みをもっていただかないと」
「うぐ……ハルキよ、ここからなにかうまく言い返せる状況はつくれないか」
「さすがにヒメ様の希望に答えるのは難しいかも」
「まあよい。なにが起きているのかは元凶に聞くのがいちばん手っ取り早い。スズノ、いるのは分かっておる。隠れてないで出てくるがよい」
モエギの呼びかけに、
「姫ちゃま、だいぶノリが前より明るく軽くなったにゃあ」
ひょこっとソファーの後ろからスズノが顔を出した。
「わしのノリはどうでもよい。スズノ、いったい全体どうなっているのか、聞かせてもらおうか」
モエギの問いに、スズノはこれまでの経緯――この店を隠れ家としていたこと、龍星と陽樹との偶然の再会で居場所がバレたこと、結界を張ってから龍星への試験の名目で瑠璃、琥珀と戦わせたこと、そして福魔のことまでをあっさりながらも包み隠さず説明した。
「フクマを解き放った罪滅ぼしと考えても、福魔というのは危うすぎるな」
「姫ちゃまとは利害が一致すると思うんだけどなー」
「着想としては悪くないが、手段が性急かつ乱暴すぎる……で、この裁判ごっこは?」
「琥珀ちゃんとの決着がつくのと同時に姫ちゃまが外の結界を破ったのが分かったから、姫ちゃまを楽しませるために急遽用意してみたんだけど、もしかしてお気に召さない?」
「リュウセイと女子の勝負を最初から見ていれば少しは楽しめたかもしれんがの。まあわしの神司が色香に屈したわけではなく、さらにお主を仕置きするのに充分な刀気を溜め込んだのは上々ではあるがな」
「ありゃ? ここはボクの可愛らしさとエンタメ精神による帳消しで無罪放免となる場面では?」
「お主が楽しむだけのために用意されたエンタメで帳消しになるわけがなかろう。フクマを解き放っただけでなく、女子を妖怪司にするなど言語道断! きっちりとお灸を据えてくれるわ。待っておれ、リュウセイ。いま助け出してやるからな」
「おっとストップ。そう簡単にダーリンは渡せないにゃ」
スズノが龍星を椅子ごと自分の元へ引き寄せる。
「む?」
「ボク知ってるんだよね。力を完全に取り戻してないはずの姫ちゃまがどうやってフクマの影響を受けたシズカやフクマ憑きの女の子たちを押さえ込んだのか。いやこのさいはっきり言っちゃったほうがいいか。どうやって姫ちゃまが一時的とはいえ、昔の姿に戻ることができたかを」
椅子に縛り付けられた龍星の肩に手をかけ、スズノがにんまりと妖しい笑みを交えながら言った。
「お、お主がどうしてそれを知っておるのじゃっ!?」
「フフフ……猫ちゃんたちを使ったボク独自のネットワークをなめないでほしいにゃ。いや、猫だけにキャットワークとでも言うべきかにゃ。ああ、でもネッコワークの方が可愛らしい感じがするかもね。まあそれはともかく姫ちゃまが大人の姿に戻れるくらいだし、ダーリンの刀気は格別の味なんだろうにゃあ」
スズノが龍星の頬へ顔を寄せる。
「まさか、お主……!?」
「そう……姫ちゃまに対抗するためにダーリンから刀気をもらうつもり」
スズノが舌で唇を湿らせる。
血色のよい唇は室内の灯りを反射して、ラメのルージュを引いたように妖しくきらめいた。




