21、フウの型
天久愛流は攻めを主体とするハレの型が晴天祈願、守りを主体とするヤトの型が雨乞いというように、型・構えが天候に関する神事・祭事での舞踊と結びついている。
その中でも、フウの型は風を呼び起こすためと風災を鎮めるためという真逆の二面性とつながる攻守一体の型にして、天久愛流唯一の二刀流となる型でもある。
ただし型と銘打たれているものの、定められた動きや規則性を持たず、舞の緩急もあるときはそよ風のように静かに、あるときは嵐のように苛烈に、と予測不可能のものだった。
変幻自在といえば聞こえはいいが、すべてがアドリブに近い性質ゆえに舞手の技量と経験が問われ、龍星と陽樹がいまだ会得に至っていない型でもあった。
そして、ある意味で彼らの人生を変えた型でもある。
夏祭りでフウの型を舞い踊る師匠に魅了され、龍星と陽樹は天久愛流を学び始めたのだから。
天久愛流に弟子入りするきっかけとなったのも夏祭り。
フクマの封印を解いてしまい、モエギの神司となるきっかけも夏祭り。
人生の転機というには大げさだが、天久愛流と夏祭りにはなにか不思議な因縁があるのかもしれない。
そんな巡り合わせで得たふたりの良師、師匠とモエギによる教えや師匠や親友の舞う姿を思い浮かべながら、考えなどないと思わせる無造作すぎる足任せで、豪胆に、一気に瑠璃へと近づいていく。
これまでの慎重な前進とも直線的な動きとも違う、大雑把ともいえる足取りと千鳥足のように右へ左へと揺れる足運び。
それをただ見ている瑠璃ではなく、すぅっと軽く腰を落とすと、近づいてくる龍星に向けて打突を繰り出した。
龍星は歩みをゆるやかにすると、瑠璃の打突に合わせて、あるときは開いた扇で棍を撫でるように受け流し、あるときは閉じた扇で棍を小突いて弾く。
炎天を扇子に変えたことでリーチはさらに短くなっているが、意識しないよう、させないように、次の動きを考えながら動くというよりも、成り行きに任せて龍星は立ちまわっていく。
ふらり、ふわり。
捌き、弾きに加えて左右、前後の避けや躱しで対応し、不規則なリズムで次の手を読まれないように、足を止めることなくつかず離れずと絶えず動き回る。
打突と打撃がいくどか体をとらえたが、風に揺れる葦のように、柳のように、大ダメージにならないように力を体全体で受け流していく。
攻撃を何発受けようとも向こうの勝ちにはならないというルールと神力を宿した服による回復力があればこその戦法であるのと同時に、龍星の狙いは勝利だけでなく、そこに至るまでの積み上げにあった。
「フウの型とはまさに風のように気ままに不規則に。剣術と同様に臨機応変であるのは当然じゃが、無意識でも立ち回れるようにならんとな。『考えるな。感じろ』との有名なセリフがあるが、まさにあれが極意ともいえるのぅ」
モエギの指導により、利き腕ではない腕を使った攻防の組み立て、ハレ・ヤトの型とは違う足運びといったフウの型を組み立てるための基礎は身につき始めているものの、型としての完成形にはほど遠い。
ならば『習うより慣れよ』、スズノの仕掛けてきた試験を利用して、フウの型での立ち回りを体に覚えさせるべく動く。
適当に振り回す攻めと、的確に打ち込む攻めを混ぜ、
ゆるやかに、軽やかに。
激しく、強烈に。
右に左に、前へ後ろへ。
瑠璃の攻撃圏内に踏み込んだかと思えば、素早く遠のく。
遠のいたかと思えば、右へ左へと位置をずらして、ふたたび彼女の近くへと。
アクロバチックな動きに呼吸が苦しくなり、地味に体力が削られていくのにくわえて、集中力を切らすわけにはいかないために気力の消耗も著しい。
が、それを悟られぬように口元を扇で隠し、目元には涼しげな表情を浮かべ、余裕を見せつけるかのように、瑠璃に接近しても有効打を放つわけでもなく、からかい、逆なでするように扇いで煽る。
扇からの風を受け、彼女の前髪が軽く舞った。
二面性を併せ持つフウの型にふさわしい武闘と舞踏をもって、のらりくらりとペースをかき乱す龍星の動きに、
「くっ……ちょこまかと……ちょこざいな……」
瑠璃が苛立ちの声をあげる。
「『ちょこまか』とか『ちょこざいな』って実際に口にする人、初めて見た」
「チョコって単語が入ってるから、この場所の背景には合ってていいけどね」
「『ちょこまか』っていう名前で、チョコのマカロン売り出したらウケるかも」
「売り出すのはいいけど、マカロンってわたしたちでもつくれるの?」
「つくれることはつくれるけど、買ったほうが早いかな」
そんな会話を聞き流しながら、龍星はわざと自分から背中を見せて瑠璃の一撃を誘う。
彼女が誘いに乗らないと見るや、花のまわりを舞う蝶のごとく、より優美に、より豪胆にモエギが使役する式神の蝶が舞い飛ぶ動きを思い浮かべながら舞い踊る。
腕の動きはときに大きく、ときに小さく。
瑠璃の動きに合わせているようでそうではなく、ゆらりゆらりと彼女を翻弄するように動き続け、扇子を大きく開いたり、細めに開いたりと挑発的な動きを繰り返すだけでなく、右で切るように、左で突くようにと瑠璃への攻撃も忘れない。
瑠璃は棍を水平に構えなおし、右から左からと繰り出される龍星の攻撃をさばきながら、隙があればすかさず反撃を行う。
いまの瑠璃は可憐な花一輪ではなく、地に根を張った大樹に等しい。
龍星が蝶を気取ったところで、大樹を折るどころか揺るがすこともできるかどうか。
「相手が大樹のように地に根を張り、梃子でも動かぬようならば、葉を震わせ、枝をしならせ、幹を揺るがせ。そして根こそぎ倒せばよい」
モエギの教えどおり、いきなりすべてをなぎ倒すのではなく、ひとつひとつ刻むように、崩すように、自分の身についている動作を活かして立ちまわる。
瑠璃は戦法を変え、後ろに下がりつつ、龍星へ向けて棍を振り下ろした。
龍星は扇子をX字に組むと瑠璃の棍をがっしりと受け止める。
棍はそこで食い止められたが、瑠璃は力押しはせずに、すぐさま逆側の先端を下から振り上げる。
それに対して、龍星は受けの態勢を見せつつも大きく後ろへと下がった。
その最中にも瑠璃を釣るように、くるりひらりとまわってみせる。
瑠璃は追撃しようとせず、苛立ちを抑えるように静かに深呼吸する。
そうすることで、道場での教えである「頭に血がのぼっているときには、心の中にもうひとりの自分をつくって冷静かつ客観的に事態や状況を見てみること」を思いだし、頭を冷やす。
ここまでのやり取りで、どうにも相手のペースに踊らされすぎた。
踊っているのはどちらかといえば相手なのだが――。
そんな考えにいたって、思わず口元に笑みが浮かぶ。
これまでを省みる余裕を取り戻し、
(つくづく、ひと筋縄ではいかない相手ですわね)
対戦相手をじっくりと見据える。
瑠璃が龍星の立ち回りに見いだしたイメージは風ではなく炎だった。
猛火。烈火。呼び名はどうあれ、決まった形を持たず、こちらの意志に沿うことなく、手に負えないほど猛る炎。
見ている分には綺麗だが、うかつに触れれば大ヤケドというところまで炎を思わせる。
木刀や番傘を使っていたときもどこか火を思わせる勢いがあったが、二刀流という新たな構えをとってからはそれを顕著に感じた。
対抗するには戦い方を練り直す必要がありそうだ。
それにはまず相手の長所と短所を割り出すのがいい。
武器を扇子に持ちかえたことで 木刀や番傘だったときと比べて……、
リーチがより短くなり、攻撃はより軽くなっている。
ただそれを補うように、足運びは機敏となり、一撃一撃が素早いものとなっている。
そして右と左、両手に持った扇子を巧みに操っている。
利き腕ではない左でも攻撃と防御をこなしていることで、それなりに修練を積んでいるのが分かる。
(これで半人前……主任さまの採点は厳しすぎますわ)
欠点があるとすれば……、
リーチが短くなったことで、木刀や番傘で見せていた防御の姿勢はとれず、腰から下へ向けた攻撃の対処は足運び頼みになるはず。
右に左に揺れるように近づいてきたのも、まとわりつくように動き続けるのも、下からの振り上げに受けの構えを見せつつ後ろへとさがったのも、すべて下半身への攻撃を忌避した結果とすれば合点がいく。
だとすればこちらの狙いはひとつ。
徹底的に足元を攻める。
ただ向こうもそれは計算済みだろう。
相手が覚悟しているのならば、中途半端な打突や打撃では大したダメージを与えられず、接近を許すことになりかねない。
ならば丸ごと刈ればいい。勢いよく足をなぎ払い、体ごとなぎ倒す。
それで終わりでも良し、終わらなくても良し。
まず重要なのは流れをこちらに取り戻すこと。
あとはどこで仕掛けるか。
そのタイミングも瑠璃は心に決めていた。
相手がこちらの攻撃を誘うようにわざと背中を見せた瞬間。
ここまで目にしたのは2回。
作られた隙ではあるが、きっと3回めも仕掛けてくる。
その瞬間を待つあいだでも隙があれば手加減などしない、していられない。
そうと決まれば、こちらから攻め、主導権を握る。
瑠璃は床を蹴るようにして打突とともに前へと飛び出す。
龍星がそれをかわし、反撃に移るタイミングを見計らって、棍の逆先端を彼の移動先へと置くように。
龍星がそれを受けるのを見て、瑠璃は横一文字に構えた棍で右へ左へと攻撃を繰り出す。
足元を狙っていることを悟らせないように、上下の攻めを上半身の範囲だけに集中させる。
攻める。受ける。弾く。かわす。攻める。
お互いがリズムも規則性もない攻守を繰り返しながら、その中で生まれるわずかなほころびを見つけ、こじ開けようとしていた。
そして力と技の押し付け合いが続く中――、
龍星が瑠璃の棍をこれまでにない力で大きく弾くと同時に、無防備に背中をさらす。
(見え見えの誘いですが、のってさしあげますわ!)
瑠璃は弾かれた反動を利用して、その場でターンをするように体を翻すと、中段――龍星の胴を薙ぐと見せかけ、すかさず軌道を変えて大きく足元をなぎ払う。
足下を払う棍の一撃を、龍星は受けるでもなく、退くでもなく、勢いよく跳びあがって避けた。




