17、対峙
「では――」
意気込みを見せた瑠璃だったが、
「あ、少々お待ちを。主任さま、これを預かっていてもらえますか」
エプロンドレスのポケットからペンとメモ帳を取り出し、スズノへと渡した。
そのやり取りを見ていた和子が、
「あー、主任さん。頼みがあるのですが」
「にゃ?」
「その~、この内装とか主任さんの格好とかこれから始まる勝負とかを、漫画というかスケッチというか、とにかく絵で残しておきたいので、そのペンと紙をこちらへもらえますかな? あとその……お絵かきするために拘束をゆるめてもらえると……」
「和子ちゃんは漫研の部長なんだっけ? いいよ、リクエストに答えてあげる」
と、スズノが軽く手を振ると、和子の拘束が解かれる。
「おお、かたじけない」
両手が自由になった和子はペンと紙を受け取ると、すぐさまお菓子空間だけでなく龍星や瑠璃、そしてスズノの特徴をとらえた絵を描き始める。
「ほかのみんなはどうする? 邪魔をしないのなら拘束を解いてあげるけれど」
「アタシはこの感触が楽しいので、しばらくこのままで」
「できれば解いてほしいかも……」
「琥珀ちゃんは?」
「うちはしばらくこのままで」
女子たちが会話している最中、龍星は未散花から手ぬぐいサイズの白布を取り出し、左手のひらに巻き付けていく。
その動作の合間にも、抜かりなく天久愛流における大事な要素である『見』を実行していた。
『見』。簡潔に言うと、舞いを行う際に周囲の状況を把握するための観察に当たる。
この流派の教えを応用して、今の状況をつぶさに観察することで、これからの手合わせにおいてアドバンテージをつくりだそうと、龍星は思考を巡らせる。
今回の相手となる瑠璃の手中にあるのは太さ約3センチ、長さは1メートル60センチほどの円柱棍。両端は半球状に丸みを帯びている。
桃色の棒全体に赤いリボンを丁寧に巻き付けたような螺旋模様が描かれ、このお菓子だらけのおかしな空間では巨大な棒キャンディーにも見える。
(棒術ってやつだよな……どうするか? 棒術を相手にしたことなんかないからなあ)
実際のところ、龍星・陽樹の両名ともに天久愛流を剣術ではなく剣舞として習っているので、異種試合・他流試合の経験はゼロに等しい。そのことを憂慮したモエギの元で実戦的な訓練を始めてはいるが、それでもまだ日は浅い。
師匠が稽古に飽きないようにと施してくれた工夫のひとつで、チャンバラめいた同門対決の形での他者との模擬戦という下地はあるものの、それも活かせるかどうか。
まず手にしている得物のリーチが断然に違う。倍といっていい。
突いてくるにせよ、振り回してくるにせよ、こちらはそのリーチの差を念頭におかなくてはいけない。さらには相手がどのように動くのか、攻防の組み立て方が分からない。
龍星は彼我の間合いを『見』を使って目算する。
今のところ、瑠璃は3メートルほど離れた位置に立っている。
チョコを模したチェス盤のタイル1マスが約30センチ四方だと考えて、こちら側で有効的に使える長さは約60センチ、向こうは 120センチは優に使えるだろう。
マス目で考えると2マスと4マス。この2倍となる差は大きすぎる。
前方 180度だけで考えても、相手の『圏』=間合いがあまりにも広すぎる。
西方館武道道場の主体が護身術であることと、夏祭りでの琥珀との一戦における攻防を考慮にいれると、間遠から繰り出される棍をかいくぐって懐に飛び込んでしまえば楽勝という流れには決してならないだろう。
下手をすれば、棍を処理してからが本番という可能性もある。
どう攻めるか・どう守るかの算段を巡らせている龍星に、
「お待たせいたしました。ところで今回は鶴来さまの実力を測るテストとの主任さまのお言葉なので――勝負のルールはいかがいたしましょうか」
瑠璃が尋ねてきた。
彼女の問いにどう答えたものか迷い、龍星はスズノへと目を向ける。
スズノ自身は特に考えていなかったようで、
「そうだにゃあ……ダーリンへの質問だけど、琥珀ちゃんと勝負したときはどんな感じだった?」
「ルールはあってないようなものだったけど、最終的には試合形式で、一撃を入れての勝利になるかな」
龍星は詳細を省いて、簡潔に告げる。
彼の答えの正否を問うように、スズノと瑠璃は琥珀へと視線を向けた。
「だいたいの流れとしては合ってるんよ」
琥珀も詳細をぼかして簡潔に答える。
「……そもそもの疑問なんですけど、どうして夏祭りに琥珀先輩はお客さんと勝負することになったんですか?」
泉が疑問を口にする。
「ああ、そこは気になるところでござるな」
「たしかに。道場では誰彼かまわず勝負を挑め、喧嘩を売れと教えているわけではないので」
瑠璃がやや非難じみた視線を琥珀へ送る。
「……原因というんか、非は間違いなくこちらが 100%なんだけんど、そこらへんを話すと少し長くなるんで、それはあとでいいんかな?」
琥珀はどこか後ろめたい表情で答えた。
「では詳しいお話はあとでうかがうとして、今回は琥珀さんとの勝負を模して『ワタクシに一撃でも当てることができれば鶴来さまの勝利』といたしましょうか。まあ当てることができればの話ですけれども。ジャッジについては主任さまと琥珀さんにお任せしますが、よろしいでしょうか」
瑠璃は自信ありげに言ってのけ、スズノと琥珀は了承する。
その合間にも龍星は目まぐるしく頭を働かせていた。
ここまで相手のペースというか、スズノのつくりだした流れにのせられている状況はどうにもよいとは思えない。
陽樹っぽく言うのなら『ルート選択を間違えた』という状況にも捉えられる。
自問自答で「どこでしくじったか」の解答にはたどり着いていた。
スズノを見たときに、何食わぬ顔でその場をやりすごし、あとでモエギに連絡を取るのが最適解だったのだろう。
場の勢いで行動してしまった結果、最悪とまではいかなくとも関係のない女子たちを巻き込んでしまっている。
陽樹と空子が店の外へと逃げ出せたのは運が良かっただけで、下手をすれば全員が結界に閉じ込められ、スズノはまんまと逃げおおせるという結果もあり得た。
さらにテストと称されて瑠璃と戦う羽目になっているのも誤算といえる。
スズノは『結果次第では神社に戻る』とは言っているが、どこまで信用できるか。本心はどこにあるのか。
相手の表情を盗み見るようにして注意深く観察するものの、スズノの顔からはなにひとつ情報が読み取れない。
その龍星の視線を察したスズノはわざとらしく笑みを浮かべてウインクする。
スズノの目論見がどこにあるのか見当がつかず、瑠璃と琥珀になにを吹き込んだかも分からないうちに、この流れに逆らうのは危うい気がした。
と同時に、解決策を模索すればするほど、行く手の分からぬ深みにはまっていく感じもしていた。
そんな龍星の悩みをよそに、
「ではそろそろ始めるといたしましょうか」
と言って、瑠璃が身構えた。
左半身を後ろに引き、右半身を前へと出す態勢で、棍を左手で握り込み、右手を添える形にして中段へと構えて先端は油断なく龍星のほうへと向ける。
龍星は雑念を振り払い、目の前の相手に集中する。
幾重にも布を巻きつけた左手で木刀を逆手につかむと、腰の脇へと構え、右手を木刀の柄へそっと置いた。
腰を少し沈め、足は肩幅に開き、前後左右どこへでも動きだせる態勢をとる。
龍星のとった構えを見た瞬間、スズノは怪訝な表情を浮かべ、より注意深く龍星を観察する。
「西方館武道道場、姫堂瑠璃。参ります」
瑠璃が堂々と宣言する。
龍星はどう応じるべきか戸惑っていたが、瑠璃だけでなく琥珀やスズノからのうながすような無言の圧力に、
「天久愛流、鶴来龍星……お手柔らかに」
と名乗った。
龍星の名乗りを受けた瞬間、
「あっ。やっぱダメ! テスト中止! 瑠璃ちゃん、その相手とは戦っちゃダメにゃーっ!!」
それまで余裕に満ちた態度を見せていたスズノが顔色を変えて叫んだ。




