15、おかしな舞台に甘い言葉
スズノの結界から逃れた陽樹と空子はそのまま裏口から店の外へと出た。
店の外見に変化はなかったが、建物全体から伝わってくる異様な気配が近寄りがたい雰囲気を生み出していた。
「電話通じるみたいだから、ヒメ様に電話するね」
空子は自分のスマホを取り出して、モエギへと連絡を入れる。
呼び出し音がワンコールするかしないうちに、
「おお、委員長。リュウセイと女子との逢瀬がどうなったか気になっておったところじゃ。で、首尾を聞かせてもらえるかの?」
モエギの気楽そうな声が聞こえてきた。
「それよりも大変なことが」
「ん? なにかあったのか?」
「実は――」
陽樹が電話を代わり、龍星と訪れた店で神使スズノを見つけたこと、龍星が複数の女子とともにスズノの結界に閉じ込められたことを手短に告げる。
「ふむ、スズノがそんなところに身を潜めていたとはなあ。ならば急いで支度を整え、そちらへ向かう。じゃが、ハルキの口ぶりからするにまだ気がかりなことがあるようじゃな」
「そういえば鶴さんになにか言いかけてたみたいだけど」
「僕の思い違いでなければ……神使としてのスズノさんじゃなく、妖怪としてのスズノさんのほうに協力している女の子がいるんだ」
「確証はあるのか?」
「僕の見間違いでなければ――」
陽樹は脱出寸前の光景に見いだした違和感についてモエギと空子に説明する。
「リュウちゃんだけでなく、女の子たちにも妖気の猫たちがオモリみたいに乗ってたんだけど、ひとりだけその猫たちがなついてるように見えた子がいたんだ――」
スズノの妖気によって、店内は周辺と隔絶された世界へと変貌を遂げていた。
周囲にあったインテリアは消え失せ、窓のなくなった壁は遠のき、天井はより高く。
それでいて一定の明るさを保った見渡す限りの白一色。
どこからが壁で、どこまでが壁か。
目印となるものはなく、周囲の遠近に対する感覚がおぼつかない。
地平線の分からない冬の雪原に置き去りにされたかのような錯覚。
龍星や女子たちに乗っていたネコは周囲の白へ溶け込むようにして消え、自由になった一同はゆっくりと体を起こす。
「どうにか動けるようになったでござるな」
「もうちょっとだけあのモフモフにくるまっていたかったかも」
「猫に乗っかられるのは嫌いじゃないけど、さすがにあの数には限度が……」
「ルリさん、大丈夫?」
「ワタクシは大丈夫ですわ。でも、これはいったい……」
一カ所に集められた女子たちはネコの重しから解放されてお互いの無事を確かめるように会話をするが、体に力が入らず立ち上がるまでにはいたらない。
「なんということでしょう、猫の額とまではいかなくとも、こぢんまりとした隠れ家のような店内が広々とした無地のキャンパスを思わせる空間へと早変わり」
すべてが白に飲み込まれた空間で、スズノが両腕を広げて自慢げに告げる。
誰ひとりとしてリアクションを起こさず、
「ん? 反応ないってことは、今どきの子には猫の額って通じないのかにゃ?」
スズノが不満げな声をもらす。
「いや、みんなが面食らってるのはそっちにじゃないだろ」
いち早く立ち上がった龍星が答えながら、スズノと女子たちの中間位置へと移動する。
女子に危害を加えるつもりはないとのスズノの言葉を鵜呑みにせず、いざというときには身を挺してでも彼女たちを守るためだ。
彼の意図に気付いたのか、感心したように瞳を輝かせながら、
「さっきも言ったように、みんなに危害は加える予定はないからそう警戒しなくても大丈夫にゃ。しかし、お蕎麦屋が舞台なだけに麺食らうとは、なかなかシャレた答えじゃないですか」
楽しげにスズノが笑う。
「それはそれとして、みんなを閉じ込めてから悠々と逃げようと思ってたのに、どれみちゃんとメガネの彼に逃げられちゃったからにはプランの変更が必要だにゃ。だったらこんな殺風景な空間よりも、ボクや女の子たちに似合う可愛らしい空間のほうがいいよね~。というわけで、ねこねここねこね~」
呪文のような言葉を唱え、手元でなにかをこねるようなポーズを取ると、ぐにゃりと室内の空気が歪み、背景が一変する。
白一面だった壁はフルーツケーキやカステラの断面を思わせる壁紙となり、床は白と黒のチョコのようなタイルが交互に並ぶチェス盤状へと。
高い天井はソーダアイスのような青一色に染まっていき、そこへ雲を思わせるワタアメが散らばり、キャンディーをロウソク代わりにしたシャンデリアが浮かぶ。
あっという間に、白一色だった空間は、おとぎ話に出てくるお菓子の国やお菓子の家を再現したメルヘンチックな空間と化した。
スズノのメイド衣装にもアレンジが加わり、両手には縞模様の肉球グローブ、白エプロンはフリルが増量され、背中側の結び目からはしましまの猫尻尾、スカートはひざ上丈のミニとなり、そこからのぞく両脚には白黒縞のタイツ、足先を飾るのはネコ足ブーツと可愛らしさとコケティッシュさを前面に押し出したものへとなる。
新たな衣装に身を包んだスズノは、
「にゃはは、やっぱりひかえめに言っても、ボクって可愛すぎじゃないかにゃ。誰しもカッコイイとかカワイイとか取り柄はあるんだけれど、ボクに至ってはすべてにおいて罪深いほどカワイイにゃ。うん、『罪深ワイイ』をボクのキャッチフレーズにしてもよさそう、というより『罪深ワイイ』は今からボクのキャッチフレーズにゃ。ダーリンもそう思うでしょ?」
と宣言し、あざといポーズを龍星へ見せつける。
「誰がお前のダーリンだ」
「いや~ん、少し怒った顔のダーリンもス・テ・キ」
スズノはからかうように笑った。
「さてさて、この状況じゃ痕跡を消しながら逃げるのは無理そうだけれど、少しはジタバタさせてもらおうかなってことで、ダーリンにはちょっとした余興に付き合ってもらうにゃ」
「余興?」
「うん。おっと、その前に女の子たちはそちらへどうぞ」
スズノが手を軽く動かすと、女子たちの足下周辺がせり上がり、マカロンのソファー、マシュマロやグミのクッション、ビスケットやクッキーでできたテーブルといったお菓子を模した家具へと姿を変えていく。
ふんわりとしたソファーに座るかたちになると同時に、バウムクーヘンやドーナツを模したリングによって女子一同はふたたび体の自由を奪われてしまう。
「せっかく動けるようになったのに……」
「見た目と裏腹に、かなり頑丈なようですな」
「これはこれで、もちもちふわっふわな感触がたまらない」
「その感想は少し危機感が足りないのではなくて?」
「今のところは安全だけど、ここからどうなるんかは分からんからね」
彼女たちの拘束を解くため動き出そうとした龍星に、
「おっと、ダーリン早まらないでね~」
スズノが涼しげな声で告げると、足下の床が龍星の体を大きく跳ね上げた。
対処する余裕もなく、さらに着地した地点の床が彼を跳ね上げ、チェス盤を移動する騎士駒のような桂馬跳びの繰り返しで、龍星はダメージは受けないものの女子たちからはかなり遠ざけられてしまう。
いっぽうのスズノは、軽々としたジャンプのひとっ飛びで女子たちのそばに移動する。
「この子たちには見物人の役目をしてもらうだけだから。あ、でも、みねおらちゃんはこっち。って、もうお店じゃないから、瑠璃ちゃん呼びでいいか」
スズノが手招きのジェスチャーをすると、瑠璃が座っている部分だけがライドアトラクションのようにマス目状の床の上を滑って移動する。
スズノは椅子ごと移動してきた瑠璃の後ろに回ると、
「さぁて瑠璃ちゃん、せっかくだしダーリンと勝負してみない?」
龍星へ向けて含みのある笑みを向けながら、瑠璃をそそのかすように言った。
瑠璃はスズノの提案をまったく予期していなかったようで、
「そう言われましても、決闘というか、鶴来さまと勝負をする理由がワタクシにはもうありませんので……」
戸惑いながら返答する。
「本当にそれでいいのかにゃ~?」
スズノは瑠璃にぐっと顔を寄せると、彼女だけに聞こえるようにその耳元でなにかひそひそとささやく。
スズノの言葉を聞いた瑠璃は顔を赤くして、
「ワタクシは別にそんな……」
ちらちらと龍星のほうへ視線を向けたあと、判断に迷っている表情を見せる。
「でも気になるでしょ? どうする? どうしちゃう?」
煽るようにスズノが急き立てる。
瑠璃は少し考え込んだあと、
「ふ、不本意ですが、そういうことなら仕方がありませんわね……」
不承不承といった感じでスズノの提案を承諾し、
「そう来なくっちゃ」
スズノは彼女の拘束を解いて立ち上がらせる。
「なにか用意してほしい物はあるかにゃ?」
「でしたら――」
スズノの問いかけに瑠璃が答え、
「お安いご用にゃ」
スズノが応じると、瑠璃の手元に彼女の身長ほどの長さをした棒が現れる。
それはこのお菓子だらけの空間にふさわしい超ビッグサイズのキャンディースティックという感じの、ピンクの軸に赤い線が螺旋状に巻き付いた細長い円柱だった。
瑠璃はその棒を手に取ると、龍星のほうへと向き直り、
「決闘のお返事はいただいておりませんが、事情が変わりました。一方的なお願いで大変心苦しいのですが……鶴来龍星さま、ぜひともワタクシとお手合わせ願います」
「そ、それはズルいんと違う? もともとは、ウチが勝負してもらうために……」
琥珀が抗議の声とともに立ち上がりかけたが、スズノは「しーっ」と肉球グローブの人差し指をクチビルに当てるジェスチャーを見せて、
「うんうん。たびーちゃん、いや琥珀ちゃんの言うことももっともだよね。だけど、こう考えてみたらどうかにゃ?」
今度は琥珀へと近づいていき、ひそひそと耳打ちをする。
スズノの言葉を聞いた琥珀は龍星と瑠璃のほうを交互に見るようにして、
「そういうことなら……」
承知したように座り直す。
「さてさて、これで、瑠璃ちゃんとダーリンは心置きなく勝負ができるワケにゃ」
場を仕切るように動くスズノを見ながら、龍星はモエギから聞いていたスズノの特性を思いだす。
「――神使としても妖怪としても、スズノはとにかく褒めあげたり、そそのかしたりと言葉だけで人を動かすのが誰よりも上手い。それが芸事、習い事といった分野でならよいのじゃが、あやつは自分が楽しむことを第一に人を操るから厄介でのぅ」
「ふたりにいったいなにを吹き込んだ?」
龍星の問いに、
「ひ・み・つ」
いたずらっぽく笑うと、スズノは瑠璃の背中を押すようにして前へと進ませる。
「いやちょっと待ってくれ。なんか勝負をする流れになってるところ悪いんだが、その……こっちには勝負をする理由もメリットもまったくないんだが」
「思っていたよりもノリが悪いにゃあ……理由が欲しいのなら『ふはははは、女の子たちを自由にしたければ、この子と戦ってもらおうか!』とかやったほうがよいかにゃ?」
「それをこっちに聞かれても」
「え? やっぱり人質なの? この扱いって」
「こういう場合、『きゃー助けてー』とか言ったほうがいいのかな」
「その場合、瑠璃どのは洗脳された女戦士といったところ。シチュとしてはまあまあ好みでござるな」
「女の子たちのほうがノリがいいにゃ。だけど人質をとるようなやり方は好みじゃないので……理由が欲しいって言うのなら、ダーリンの神司としての実力を測るテストということにでもしておこうかにゃ」
「テスト?」
スズノはじっと龍星を見つめると、
「そう。姫さまに仕える身としての大先輩であるボクから率直な意見を言わせてもらうと、君の実力はいいとこ半人前ってレベル。伸びしろは未知数だけどね。ただこれはボクの見立てでしかないので、実際の能力がどれほどのものかを見せてもらえないかな。直接相手をしてもいいんだけど加減が分からないから、まずはヒト相手にどれくらい動けるかをテストさせてよ」
おどけた感じの口調を引っ込め、冷徹かつ理性的な口調で詰めるように言った。
龍星は話を聞きながら思考を巡らせる。
スズノの言葉にはどこか引っかかるものがあるが、筋道は通っている。
だが龍星は即座に了承の判断を下せなかった。
正しさからの提言なのか、こちらを惑わすための甘言なのか。
(こんなときハルがいてくれれば……)
龍星の迷いを見抜いたのか、
「そんなに深刻にとらえることでもないにゃ。気楽な腕試しとでも思ってもらえればいいにゃ。結果次第ではおとなしく神社に戻ってもいいにゃ」
スズノはふたたびくだけた口調に戻り、気さくな笑顔を見せる。
これ以上会話を続けても外堀が埋められていくだけという実感と同時に、どのみちヒメが来るまで時間を稼がないといけないという考えのもと、
「分かった……そのテストとやらを受けて立とうじゃないか」
龍星はスズノの目を見据えて答える。
その答えを待っていたかのように、
「そうこなくっちゃ!! それじゃあ、瑠璃ちゃん」
スズノはウキウキとしながら瑠璃へとバトンタッチする。
「それでは鶴来龍星さま、いざ尋常に勝負ですわッ!」
龍星と向かい合うように位置した瑠璃の声が高らかに響いた。




