14、かごめかごめ
「え、急に寒くなってきたんだけどエアコン壊れた?」
「なんであのふたり、服装が神主さんみたいになってるの?」
「主任さんもなんか雰囲気が変わっていますなあ」
「つまりはいまどういう状況?」
カウンターから店内の様子を見ていた女子たちは目の前で起きている変事についていけず困惑の表情を浮かべる。
「あちらでの会話から聞こえてきた封印や神通力といった単語から推測するに……われわれの主任さんが実は妖怪だったということでしょうなあ」
「ちょ、ちょっと待って。理解が追いつかないんだけど……妖怪って本当に存在してるってこと?」
「そういえば、委員長があの男子ふたりは妖怪退治するための剣術を習得してるって言ってたような……」
「それって『全米が泣いた』とか『業界No.1』みたいな大げさなキャッチフレーズと思って普通オワリなんじゃ……」
「まさに『看板に偽りなし』だったということでござるな」
「どうすればいいと思います、先輩?」
「この場合できることと言ったら、見ていることだけでしょうなあ」
女子たちがカウンターで事態を見守ることしかできずにいるなか――、
噴き出した妖気に気圧されつつもスズノを取り押さえようと動いた龍星と陽樹のふたりをあざ笑うように躱して、
「にゃは。正体がバレたんにゃら、もう猫をかぶる必要もネコミミ帽子をかぶる必要も無くにゃったのにゃ」
店の出入り口を塞ぐように立ったスズノがネコミミ帽子を脱ぎ去った。
隠されていた作り物ではない猫耳が現れ、ショートヘアの黒髪はふんわりとした明るい灰色へと変わっていく。
「ヒトの姿へ変われても、この耳だけは隠せにゃくてね~、現代にはこういうファッションがあるから助かってたにゃ」
楽しげに笑うスズノの目はネコの瞳を思わせる物へと変わり、口元には鋭く伸びた牙がのぞく。
この場において最も小柄な体躯でありながら、存在感と威圧感は群を抜いていた。
ネコとヒトの中間、ネコヒトとでもいうべき姿となったスズノを見て、
「本当に妖怪なんだ……」
「こういう場合ってどうすれば?」
「主任さんがどういう行動に出るか分からないのでなんとも言えませんなあ」
と答えつつ、和子は後輩ふたりを守るようにわずかに前へと出る。
彼女たちの会話が聞こえたのか、
「安心して。みんなに危害を加える予定はないから」
スズノが穏やかな口調で声をかける。
「ただね、ボクが姿をくらますまでの短いあいだ、そっちの男子ふたりと一緒にここにしばらく閉じ込めさせてもらうにゃ」
スズノが愛嬌たっぷりにスカートの裾を持って頭を下げると――、
チリン、チリリン。
どこからともなく小さな鈴の音が聞こえるのと同時に、店内に広がりつつある気の流れがさらなる変貌を遂げていくのが感じ取れた。
これまでにフクマの妖気だけでなく神使シズカとカガチの妖気も体感している龍星と陽樹のふたりだったが、スズノの放つ妖気に感じたのはそれらとはまた異なる特性だった。
フクマは気怠さにも似た妖気、シズカやカガチの妖気はこちらを圧倒するような気と表現できるが、スズノの妖気はなにか小さなかたまりが体にまとわりついてくるようで、妖気というよりはどこか人を蕩かす陽気といった感じだった。
「ん? 今度はポカポカしてきたんだけど……やっぱりエアコンが壊れてるんじゃ……」
「なんというか体になにかが軽くのしかかってる感触がしますな」
「うまく説明できないけど……この感触、どっかで味わったことが……あ、これ猫だ!」
「猫?」
「猫ちゃんがすり寄ってきたり、ひざとか肩に乗っかってきたときの感触」
「それだ!」
カウンター側の女子も同じ感覚を味わっているようで、それぞれが思い思いに感想を口にする。
龍星と陽樹はまとわりついてくる妖気を振り切ってスズノのほうへと踏み出そうとしたが――、
カリ、カリカリ。
建物を内側からひっかくような耳障りな音があちらこちらから聞こえてきたので、警戒して足を止めた。
その音がいっせいに止んだあと――、
ぷにゅん、ぽよん、ぷにゅん、ぽよん。
可愛らしい効果音とともに、ネコの白く大きな足形がスズノの背後に見える窓や壁を埋め尽くすように次から次へと現れる。
「な、なにがいったいどうなっているんですの!?」
「これ、ホラーでよくある手形が窓にどんどんついてくヤツの猫バージョン?」
「カワイイ効果音プラス猫ちゃんの足形に変わってるのに、手形と同じくらいに怖いんだけど」
「状況的に理不尽というか理解が追いつかないからでござるな」
「さーてせっかくだし、ホラーテイストの雰囲気を盛り上げるために、歌でも歌ってみるかにゃあ。それではご清聴くださいませませ」
ネコの足形だらけのウォールアートと化しつつある出入り口を背にして、
「かごめ、かごめ~」
スズノが明るく楽しげに歌いだす。
伴奏を伴わない歌声が響き渡るなか、店内の壁や床、天上と場所を問わず、無音で押される肉球スタンプが見えている景色をどんどんと侵食していく。
「なんかマズい感じがするよ……閉じ込めるって言ってたし、結界を張ってるんじゃないかなあ、これ」
「じゃあ、この足跡が店全体を埋め尽くす前に外へ出ないとヤバいってやつか」
「でも、出口は……」
スズノの背後に見えていた出入り口はネコの足形で隙間無く埋め尽くされた白一色の壁となり、とても人が通れるようには見えなかった。
「かごの中の鳥は~」
スズノの歌が続く。
「この状況で童謡を聞かされるとかすっごくホラーなんですけど」
「童謡とホラーの親和性ってなんでこんなに高いのかねえ」
「それを校外学習の研究材料にしてみるのもよいかもしれませんなあ」
カウンターでは女子たちがのんきに会話するかたわら、
龍星はモエギがスマホを持っていたことを思いだし、
「そうだ、ヒメに電話だ!」
「分かった……って、ヒメ様の電話番号は?」
「……聞いてないな」
「どっちみち番号分かっててもダメかも。圏外にされてる」
取り出したスマホの画面を見た陽樹が告げ、
「打つ手無しか……」
龍星がぼやく。
「ふたりともこっち! 裏口から外へ!」
いつの間に移動したのか、店の奥へと続く通路の向こうから空子がふたりを手招く。
そちら側はまだネコの足形に侵食されていなかった。
「いつ、いつ出やる~」
店内のほぼ半分が足跡で埋まっていき、空子の待つ通路のほうへも足形は向かっていた。
「外に出れば電話が通じるかも」
「そうと決まれば早いとこ脱出だ。相手のフィールドでわざわざ戦う必要ないしな。よし、姫堂さんと桧乃木さんもいっしょに外へ」
龍星はふたりにうながすが、
「そうしたいんのはやまやまなんだけど……」
「体が動かないというか自由にならないのですわ」
琥珀と瑠璃が答える。
ふたりのそばにあったテーブルや椅子はまるで最初から存在していなかったかのように消え失せており、琥珀と瑠璃は互いに支えるように白い床の上で寄り添っていた。
「ああ、先輩たちもですか。こちらも同様に動けない状態になっておりまして……」
「なんか体の上にオモリが乗っかってるみたい……」
「俗に言う金縛りの状態ですな」
カウンターも棚も消失し、床だけを残すのみとなった空間に女子三人が寝転がる形になっていた。
「って、いつの間に?」
「肉球スタンプが周囲のものを消しながら迫ってきて……」
「気付いたらあっという間に体が動かなく……」
「調度品のように消えずにすんでいるとはいえ、あまり芳しくはない状況ですなあ」
「というか、委員長はなんともないの?」
「夜明けの晩に~」
店内の騒動をどこ吹く風といった感じで、スズノが歌を進めていく。
「そう言われれば平気だけど……なんでだろう?」
女子たちの視線が答えを求めて空子に集中するなか、龍星と空子は陽樹を頼って視線を向ける。
「ソラちゃんは僕らと同じくヒメ様の神司になってるから妖気の影響を受けにくいんだろうね。僕らの周囲でも猫の足形の進行速度は少し落ちてるみたいだし」
陽樹に言われて見渡すと、たしかに神司である三人の近くでは肉球の勢いはゆるやかになっているようだった。
「なるほど。じゃあ俺らが近づくことで女の子たちも動けるようになるんじゃ……」
「どうだろう……僕ら三人の神力だけじゃ、この妖気には太刀打ちできないかも。現に速度が落ちてるだけで結界は完成しつつあるしね」
陽樹の言葉どおり、龍星と陽樹の足下のみならず、空子がいる通路のそばも白に染まりつつあった。
「やっぱりヒメを呼ばないとダメか。よしここは脱出優先だ……ごめん、あとで必ず助けに戻るから」
龍星と陽樹は女子たちに告げて、スズノに背を向ける形で店奥の通路めがけて走り出す。
「鶴と亀がすべった~」
スズノの歌が号令だったかのように、とつぜん床が勢いよく後ろへと動き出し、足下をすくわれる形で龍星と陽樹はバランスを崩して転倒する。
「なんだこれ。床がベルトコンベアみたいに動いてるぞ」
「ゲームによくある矢印床みたいなもんだね。どっちかというと動く歩道といったほうが正しいかもしれないけど」
「ちょっと、ふたりとも大丈夫?」
妖気に飲み込まれつつある通路の向こうから空子が尋ねる。
通路のサイズはもはや人ひとりがギリギリ通れるぐらいの大きさになってしまっていた。
さらに動く床のせいで、通路との距離は徐々に離されていく。
「ハル、立てるか」
どうにか立ち上がった龍星が陽樹に手を貸して立ち上がらせる。
「ありがとう……リュウちゃん、後ろ!」
陽樹の警告に龍星が振り向くと、白や黒の毛玉のような20センチ大のボールが床をバウンドしながら彼へと迫ってきていた。
「後ろの正面、だぁれ~」
「ハルは通路へ走れ!」
龍星は叫びつつ、神器・炎天を取り出して打ち落とそうとするが、まんまるだったボールが空中でネコの姿に変わるのを見て思わず手を止めてしまう。
その機を逃さずボールから変化したネコたちはミーミー、ミャアミャアと子猫のような鳴き声とともに、龍星の体に覆い被さっていった。
「こ、これは……」
「ひ、卑怯な……」
厳密にはネコではなく、ネコの姿をした妖気のかたまりなのだが、龍星も陽樹も手を出すのを躊躇してしまう。
「いくらなんでもこれを叩いたり切ったりするのは……」
たじろぐ陽樹に、
「こ、ここは俺にかまわず早く外へ……」
ネコまみれな状態で龍星は脱出をうながす。
通路はいまや元のサイズの半分になろうとしていた。
「リュウちゃんは大丈夫なの?」
「大丈夫だ。なぁに、俺はお前がよちよち歩きのころからこういう状況には慣れて……ぐわあああ」
言葉の途中で、妖気のネコたちがさらに数を増して龍星の体へとのしかかる。
「フラグの立て方から回収までが早いと言うより雑すぎる……というか、僕がよちよち歩きのころってリュウちゃんだってよちよち歩きじゃん」
「そういう冷静なツッコミはあとで聞くから、早くヒメを呼んできてくれ……」
ネコで構成された小山の下から龍星が弱々しく言い返し、
「分かった、すぐにヒメ様を呼んでくるから!」
陽樹は動く床に逆らって姿勢を低くして走り出し、スライディングの態勢で通路の向こうへと飛び出した。
陽樹は向こう側へ抜け出すのと同時に、もう一度店内へと振り返った。
店の中はもはや面影が見いだせないほど、白の印象しかない空間へと変貌していた。
元凶であるスズノは場の支配者たる悠々とした態度を見せている。
龍星はネコの山から這い出そうとしているが、ゆっくりとスズノの元へ運ばれつつあった。
動けないと告げていた女子たちにも、彼と同じようにネコの形をした妖気が乗っているのが見えた。おそらく妖気が濃くなったことで形として見えるようになったのであろう。
目に見える範囲で状況を分析していくなかで、強烈な違和感が陽樹を襲った。
(あれ? なんで……!?)
思考を目まぐるしく働かせ、違和感の正体に気付いた陽樹は、
「気を付けてリュウちゃん、彼女は――」
すぐさま警告を発したが、その言葉は妖気がつくりだす壁によって遮られ、龍星の耳には届かなかった。
店内とバックヤードをつないでいた通路は妖気によって完全に塞がれて、カーテンの間仕切りがあった場所は陽樹と空子の前でただ一面の白い壁となっていく。
ネコのかすかな鳴き声だけが残響のように聞こえていた。