13、遭遇
「ティータイムにバイオレンスはさすがに提供してはおりませんね」
とがめるような叱責でもなく冷たい皮肉でもなく、ほのぼのとした口調で織富がやんわりと指摘する。
カウンターに位置する女子たちはツッコミを入れたあと、
「よりにもよってそこを間違えてしまうとは……」
「『あなたのおそば』であなたを襲うバイオレンス……」
「でもこれ、主任さんのひと言がなければ起きなかった事態では……」
「それはそうでござるが……しかしまあ、瑠璃どのは持ってますなあ」
「もうダメ……笑うのをガマンしてても、おなかってよじれるんだ……」
「笑いたくなるのは分かるけど、先輩をフォローしてあげないと」
市子の言葉を受けて、瑠璃のもとへ行こうとする女子たちを、織富が手で制した。
「え? 主任さん、どうして?」
「まさかバイオレンスの出番を待ってるとか……?」
「そうではありませんよ。お客様の出方を見ます」
と答えた織富にならって、女子一同は店内の様子を見守ることにする。
自らのミスに気付いた瑠璃は顔を赤らめてうつむいたままだった。
龍星は、目の前でエプロンドレスの裾を堅く握りしめ、肩をかすかに震わせている彼女に対してどう振舞えばいいか判断がつかずにいた。
たたみかけるような失態で顔を上げられない瑠璃の横で、琥珀は龍星同様に彼女へかける言葉が見つからない様子でいる。
この場でいちばん頼りになりそうな空子ですら、間近で受けた瑠璃の言動は不意打ちかつ強烈だったようで、瑠璃たちの背後で顔をそむけて笑いをこらえるのに懸命な様子を見せていた。
龍星は残された頼みの綱ともいえる陽樹とアイコンタクトをとる。
(笑うに笑えない状況というか、笑っちゃいけない場面だと思うが、こういう場合はどうすればいい?)
(どうすればって言われても……なにか声をかけるとしたら、お師匠さまを真似るのがいちばん手っ取り早いと思うよ)
(俺らがしくじったときみたいにか……そうだな、うまくいくかどうか分からないけどやってみるか)
師匠の仕草を思いだしつつ、気持ちを落ち着かせるように静かにひと呼吸してから、両ももを手で軽く叩いて龍星はそっと立ち上がった。
彼の動作に、瑠璃はびくっと身を震わせて、こわばらせたままの表情で龍星を見た。
「えっと、姫堂さん」
龍星がおだやかな声で彼女に呼びかけると、
「は、はい……」
おびえた感じの小声で瑠璃が答える。
「そこに座って」
龍星はついさっきまで自分が座っていた椅子を示す。
その言葉に従い、瑠璃はおそるおそる椅子へと腰掛ける。
龍星は彼女のそばでひざまずくようにしゃがみこむと、
「3回、深呼吸してみて。自分のペースでいいから」
瑠璃は言われたとおりにゆっくりと深呼吸を始める。
だれもが言葉を発することのない沈黙の中で、瑠璃の静かな呼吸音だけが響く。
ちょうど3回、瑠璃が深呼吸をしたのを見計らい、
「落ち着けたかな?」
龍星は彼女に声をかけた。
「は、はい……」
龍星の顔色をうかがうように答える瑠璃に対して、
「そう。良かった」
立ち上がった龍星はただ微笑んでみせた。
龍星のとった行動にカウンターの女子勢が色めく。
「あ、あれはヤバいというかズルいというか……反則でしょ」
「自分の立場であれをやられたら即オチまでいかなくとも、よろめきはしますなあ」
「姫堂先輩は今ので陥落しちゃったみたいですけど」
市子に指摘されて、一同が視線を向けると、瑠璃の顔はいまだ赤いままだったがどこか熱をおびたまなざしを龍星へと向けていた。
「自分で言ってた『この人は恋しているのですね』な表情そのものだね」
「当人だけでなくお相手も気付いてはいないみたいですけど」
「女子校の中ではお目にかかることのない場面に遭遇できたのは僥倖、課外授業というのも案外捨てた物ではないでござるなあ。さて、これは主任さんによる計算のウチですかな?」
和子がたずねると、
「いいえ。予想外でしたが、これはこれで『青春』っぽくてよいですね」
織富はさわやかな笑みを浮かべて答えた。
「さて。では場をまとめてきましょうか」
織富はカウンターから静かに進み出ると、
「お客様。このたびは当店のウェイトレスが誤解からご迷惑をおかけしたようで。お詫びとして、ティータイムに提供しているガレットを無償にて振る舞わせていただきますので、ぜひご賞味くださいませ。よろしければ、ごいっしょにコーヒーのおかわりもいかがでしょうか」
深々と頭を下げ、よどみなく言葉を紡ぐと、顔をあげて、にこやかな笑顔を見せた。
新たにやってきたネコミミ帽子のウェイトレスに、
「いいえ、お気遣いなく」
と答えた男子ふたりだったが、
「……あっ」
驚きの声をあげた。
目の前のウェイトレスが夏祭りの日に出会った巫女のひとり、猫のスズノだと気付いたからだった。
「お前っ!?」
龍星の叫びに、
「にゃ?」
相手は猫がびっくりした時のような表情を浮かべる。
「俺たちの顔を忘れたとは言わさないぞ!!」
との言葉に、じーっと鶴亀コンビの顔を見つめたあと、
「あ、あーっ! 夏祭りのおふたりさん! やだにゃあ、いくらボクが魅力的だからって、こんな所まで追っかけて来てくれるなんて、推し活にしてもちょっと愛が重いナリよぉ。まあ、たしかにあのときの出会いにはどこか運命的なものを感じたのはたしかだけどぉ」
それまでのかしこまった態度はどこへやらといった感じで、織富=スズノは人懐っこく照れた表情で応じる。
「やかましい!」
「え? どうしたの、ふたりとも?」
男子ふたりの騒然とした様子に驚いた空子が声をかける。
「ソラちゃん、一緒に働いてて気付いてなかったの!?」
「え? なにを?」
「このウェイトレスの正体に、だよ」
「えっと、主任さんがどうかしたの?」
「その主任さんってのが、俺たちにフクマの封印を解かせた巫女のひとりなんだよ」
「ヒメ様の神使で、スズノオリトヨフセリってなんか言いにくい名前をした猫の妖怪だね」
「そうなの?」
「そうだよ」
「スズノオリト……ああ、そういえば主任さんの名前も織富鈴乃だったわ」
「外見に名前とここまで条件がそろってるなら、正体に気付いてもよかったんじゃ……」
「夏祭りのときはヘビさんチームで内勤だったからネコさんチームとは接点少なかったし……それにほら、あのときはメガネをかけてなかったから……」
空子が申し訳なさそうに言うと、
「あー、どれみちゃんってどっかで見たことあるなぁと思ってたら、カガチのチームにいたみんなから『委員長』って呼ばれてた子かぁ」
スズノがひとり納得したようにうなずいてみせる。
「そっちも気付いてなかったのか。で、ここではどんな悪さをしているんだ?」
「人聞き悪いにゃ。このお店では皆さまにおいしい食事と幸せになれる時間を提供しているだけにゃ。この言葉がウソではない証拠に、ふたりとも体も心もなんともないでしょ?」
「たしかに。にゃんこ蕎麦を食べてたひともふつうに会計して出て行ったしな」
「お蕎麦もコーヒーもおいしかったし、これといって変なところはなかったね」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
スズノは芝居がかった一礼をしてみせる。
「まあそれはともかくとして、ちびヒメからは猫の巫女さんに出会ったら連れ戻すように言われてるし」
龍星は琥珀や瑠璃を守るように前に出ると、手首の白いブレスレット=神司の証である未散花から長鉢巻を引き出して、すかさず額に巻きつける。
「変! 身ッ!!」
瞬時に、龍星は神職を思わせる白衣の上着と薄水色の袴姿となり、手首にはまる未散花には濃淡、明暗さまざまな赤い花模様が浮き上がる。
「……リュウちゃん、ヒメ様はたしかに『変身』とか叫んで欲しいとは言ってたけど、肝心のヒメ様がいないのにかけ声を出しても意味ないんじゃ……」
「さっきのソムリエの話じゃないけどこういうのは習慣づけとかないと、いざというとき忘れるからな」
「なるほど、納得。なら僕も……変身っ!」
陽樹も龍星にならって、かけ声とともに長鉢巻を額に巻くと、龍星同様に白衣と袴姿となり、青い花たちが白い未散花の上に咲き乱れる。
姿を変えたふたりを見て、
「なるほどなるほど。その格好、姫ちゃまに神通力を与えられた神司なわけね」
「フクマの封印を解いた責任を取るためにね」
「それについては悪いことしたとは思ってるにゃ」
おどけた口調ではあるが、いちおう悪いとは思っているような口ぶりだった。
「悪いとは思ってるんだ」
「意外だったね」
「だけど自覚してるのなら、なおさら悪くないか」
「それもそうだね」
「いや、あれはね、ちょっと、というか少々想定外で――本当にごめんなさいとしか言いようがないにゃ」
「悪いと思っているのなら、自分から神社に戻ってちびヒメに頭を下げてくれ」
「神社に戻れと言われたら話は別にゃ。ボクらがしでかしたことを知った姫ちゃまにどんなオシオキされるか分かったもんじゃないからにゃ」
「あー、怒ったちびヒメはなぁ……」
「たしかに手に負えないね」
ふたりは蜘蛛のシズカに対して激昂したモエギのことを思いだし、身震いする。
「でもオシオキがイヤだったら、僕らが仲介役を買って出てもいいけど」
「俺らが頼りないようならシズカさんに力添えしてもらう手段もあるし。そっちだって別に現在進行形で悪さをしているわけじゃないんだろ?」
「ぎくっ……」
「なんでそこで言葉に詰まるんだ」
「いやまあ、悪さというわけではないんだけど、いま進行しているプロジェクトを姫ちゃまに知られるのはちょっとマズいのにゃ」
「プロジェクト?」
「そのプロジェクトやらがフクマ絡みとかじゃなければ別に問題ないだろ」
「どきっ……」
「だからなんで言葉に詰まる」
「そういえば、ヒメ様が『フクマ憑きにならなくとも、フクマを使ってちょっとした悪さをする可能性はある』って言ってたような……」
「げ、姫ちゃまはそこまでお見通しなのかにゃ。これは困ったにゃ。そうなってくると――」
「おふたりさんにはここでしばらく足止めを食らってもらうことになるかな」
これまでの明るいお調子者めいたトーンから一転して、冷たい響きをともなう低い声で言い放ったスズノの全身から悪寒を覚えさせる妖気が噴出する。
小さな体から放出された冷気は瞬く間に広がっていき、エアコンよりも冷えた空気で店内を満たし始めた。




