理事長の朝
以前掲載した短編を再編集しております
ハザマ学園の理事長の朝は早い。
顔を洗い、シェイカーで作ったプロテイン飲料を飲むと、日課のウォーキングをする。
彼の自宅は学園の横にあり、出勤は楽々なので、朝の時間を有効利用できる。昔は交通機関を利用して片道四十分ほどかけていたが、面倒だということになり、学園の隣の中古の一軒家を購入したのだった。
ウォーキングの途中にある学園横の小さな池で、最近顔なじみになった人物が待っていた。いや、人と表現していいのかはわからない。なぜなら、彼はその池に住む河童だからだ。
* * * * *
時を遡ること、一週間前。
理事長はいつも通りにウォーキングをしていると、池の茂みからガサガサと音が聞こえた。
不審に思い近づくと、一メートルほどの緑色の物体がぴょんと飛び出してきて、理事長は腰を抜かした。
「か、河童!」
彼は緊急ブザーを鳴らそうとしたが、その日に限って持ち歩いていなかった。ブザーを鳴らせば、魔法少女や化け物ハンターが駆けつけてくれる仕組みだ。
「カ、カケフッタ!」
河童が叫んだ。理事長は襲われると思い、身を縮こませた。
「カケフッタ」
河童は緑の物体を見せた。胡瓜だ。
「これは、私に……?」
理事長が聞くと、
「カ、カケフッタ」
河童は頷いた。刹那、理事長のお腹が鳴った。プロテインだけでは空腹は満たされなかったようだ。
「ありがとう」
彼は受け取り、一口食べた。
「お、これは旨いな」
運動した後ということもあり、美味に感じた。
「君は、人間の言葉がわかるのかい?」
「カケフッタ!」
河童は首肯した。
胡瓜を咀嚼しながら、理事長は色々と河童に質問し、会話が弾んだ。
* * * * *
「おはよう」
理事長が挨拶すると、
「カケフッタ!」
河童は元気よく返事をした。
「今日はいい天気だね」
理事長は笑った。孫がいるとこんな感覚なのだろうかと思った。
「カケフッタ」
河童は同意したらしい。
「おや、手に持っているのは何かね?」
「カケフフッタ!」
右手を前にだし、河童は持っているものを見せた。野球のボールだ。
「お、野球好きなのかね?キャッチボールでもするかい」
「カケフッタ」
三メートルほど離れて、二人はキャッチボールを始めた。
「今年のホームランキングは誰になると思うかね?」
「カケフッタ!」
「ほお、君は岡本くんがなると予想しているのか」
理事長はニヤリと笑った。
「カケフッタ」
うん。と言ったらしい。
「私は、村上くんがなると思っているよ。なんせ、三冠王をとった漢だ」
「カケフッタ~」
河童は肩を竦めながら首を横に振った。
「カケフ、カケフッタ、カケカケフッタ!!!」
「なんだと! 『岡本は阪神ファン。阪神ファンの巨人選手は大成する。だからホームラン王だ!』だと!?」
理事長はいきり立った。河童も興奮している。
「ヤクルトファンの私に喧嘩を売っているのかね!」
「カケフッタ!!!」
「もういい、君とは絶好だ!」
理事長はどしどしと歩いて、その場を去った。
* * * * *
翌日の朝。
理事長は河童に言い過ぎたと反省した。仲直りのために大量の胡瓜を用意してビニール袋に入れた。
謝罪するかどうか逡巡した結果、いつもよりも十分遅れで河童のいる池に到着した。
「あれ、理事長?」
そこには小日向茜がいた。河童はいない。
「あ、ああ……」
理事長は何かを悟り、口をパクパクと動かした。さながら金魚のようだ。
「いまね。ここに妖怪がいたから、倒したよ!」
茜の言葉に、膝をがっくりと落とした。
「おじさまと茜ちゃん。おはようございます」
理事長の姪である麗も現れた。
「あのね。珍しく早起きして学校にきたら、妖怪が見えたから一人で倒したよ!」
茜は嬉々として麗に報告した。
「偉いね」
と麗は彼女の頭を撫でた。
「あ、あう、ああ……」
理事長はうまく言葉がでなかった。
池の上には、野球ボールがぷかぷかと浮かんでいる。
「あら、おじさま」
麗は理事長の持ったビニール袋を取り上げた。
「いっぱい胡瓜がありますね。こちら、いただけない?家庭科の授業でサンドイッチの具材が欲しかったから、ちょうどよかったわ」