第九話
ミシ……ミシ……
彼の耳に、何かが軋む音がする。
「っ…………!!」
息ができないことで、彼は初めて『人は首を絞められたら死ぬんだ』と実感して恐怖が襲ってきた。
――――嫌だ……! 死にたくないっ……!!
懸命にもがいて首の手を引き離そうとするが、『同僚』の力は彼よりもずっと強く、このまま首を折られそうなほど指がくい込んでいる。
「…………………………」
頭がボーッとなって目の前が霞んだ時、
“困ったら、友達…………ううん、『親友』を頼ってみたらいいわ”
『聖女』が言ったことが頭を過ぎった。
――――『親友』? 誰の……オレの、か?
そう思った瞬間に意識が浮上し、彼は力の限り『同僚』の手を退かそうと相手の腕を押し返す。
ほんの少し、『同僚』の手がズレたのを彼は逃さずに叫んだ。
「っ……し、『親友』……!!」
『ははっ、大人しくしろよ』
もがく彼を嘲笑う『同僚』に再び首を締め上げられ、今度こそ彼は死を覚悟した。
その時、
『いい加減、その手を離せっ!!』
『同僚』の背後から誰かの声がした。
その声の主らしき手が、『同僚』の髪の毛を掴んで頭を持ち上げた。
『ぎゃあっ!!』
『プログラム“初期化”!! テメェはさっさと消え失せろ!!』
『なっ!?』
パンッ!! 破裂音と共に、彼にのし掛かっていた重みも、首を締めていた強い両手も無くなる。
床には『同僚』だった白い球体が転がり、それは真っ二つに割れると砂のようにサラサラと崩れて消えた。
「うぁ……ふっ!? ガハッ!! ゴホォッ!!」
急に首が緩んだので、喉に大量の空気が押し寄せるのに身体が対処しきれずに盛大に噎せ込んだ。
「っ…………ゴホッ、ゴホッ、ゲホゲホゲホッ……!!」
『あ〜ぁ、大丈夫か? 危なかったなぁ』
苦しさで床にダンゴムシのように丸まった彼に、さっきの声が聞こえてくる。
さすさす……背中を声の主が静かにさすってくれた。
落ち着くまで時間が掛かったが、彼は自分が殺されかけたことがショックで、すぐには顔を上げられなかった。
「……ゴホッ…………はぁ、はぁ……」
『…………落ち着いたか?』
「あぁ……ごめん…………」
――――誰……?
ふと、この声の主もプログラムであることに気付く。
しかし、彼がこの生活をしてから、プログラムが同時に二体出現することはなかったはずだ。
彼を『同僚』から助けたのなら、別に出現したということ。
――――何かのセキュリティ? でも、『同僚』は……?
「あの…………」
『ん?』
とりあえず助けてもらったお礼と、状況を確認するために彼が顔を上げる。すると、声の主は隣りにしゃがんで彼の顔を覗き込んでいた。
「えっ……!?」
『……………………何?』
その顔に、彼は思わず声をあげる。
「こ、『子守り』……!?」
ずっと会いたかった、まるで本にあった『エルフ』のような繊細な顔立ち。
『違ぇよ。バーカ』
「………………へ?」
中性的な美しい顔は勝気に口角を上げる。
その笑顔も口調も『子守り』とは全然違う。
彼が落ち着いて見ると『子守り』は少女だが、目の前にいるのは少年である。
短く白っぽい銀に近い髪の毛。華奢ではあるが、女性とは明らかに違う体型。
年齢は『子守り』と同じか、少し上のように感じる。
――――顔だけ、ものすごく似てる……。
「……………………」
『あんまり見んなよ。俺は“お前の知ってる子”とは違うんだから』
「え……まさか『子守り』のこと…………」
『知らない。何度聞かれても、俺はそう答えなきゃいけない規則だ』
「……規則?」
言うと、少年はぷいっと横を向いた。その横顔にはどこか、悔しそうな印象を受ける。
――――たぶん、この子は『子守り』を知ってる。でも、それを直接聞くことはできないみたいだな……。
結局は自分で調べなければならないのだと悟り、彼はこの少年と普通に話そうと思った。
「……とりあえず、助けてくれてありがとう……死ぬかと思った」
『別に。俺、アイツ気にくわなかったし、お前が俺を呼んだから仕方なくだ…………』
「へ? オレが呼んだって……?」
『よ、呼んだだろ!! その…………』
少年は眉間にシワを寄せて彼を睨んでいる。
顔が紅くなっているところを見ると、自分が何と言って呼ばれたのかが恥ずかしいようだ。
「…………『親友』?」
『……………………………………そう』
「オレの?」
『………………たぶん』
『親友』はそっぽを向いてぷるぷるしている。
――――根は素直なんだろうな。表現は『子守り』とはだいぶ違うけど……。
『……ったく、俺の【呼び出しコード】を知ってたなんて…………運の良い奴だ』
「【呼び出しコード】って?」
『休日に呼んでただろ? 家政婦や同僚以外の奴のこと。呼び出す人間によって、呼ばれるプログラムの言葉が変わるんだ』
「まさか……『聖女』や『賢者』のことか?」
『……………………』
『親友』は真顔で黙った。
それが肯定であると無言で答えている。
「そうか。“困ったら『親友』を呼べ”って、『聖女』に教えてもらってたんだ……」
『あのバ………………いや、他から情報が入ってたのか』
「……………………」
――――今、“あのバカ”って言いそうだった。やっぱり知り合いなのか。
しかも、けっこう仲良しなのでは? と思ってしまう。
『はぁ……なるほど、だから同僚に目をつけられたんだな。アイツは政府の“監視システム”に属しているから、おかしなプログラムの呼び出し方に敏感だった』
「アイツは……って、『親友』たちは違うのか?」
『…………生みの親は違う』
「…………解った」
『親友』たちは政府以外の、もしかすると反政府派の人間が作ったプログラムかもしれないと考えた。だから、彼を殺そうとした『同僚』から助けてくれたのだ。
――――政府の用意したプログラムに、オレは殺されかけたのか。もう、これらは信用できないな……。
「……………………」
彼はデスクの上の画面を見る。
さっきまで外で仕事を得るために、躍起になって解読していたことが急に虚しくなった。
『はぁ……仕方ねぇなぁ……』
「へ?」
黙り込んだ彼の様子に、『親友』はため息をつきながら壁に掛けられた時計を指差す。
『あと三時間だ……日付けが変われば、俺はもう“不適合”として、ここに来る道が無くなる』
「そんな……」
『今のうち…………何か、俺に訊きたい事はあるか? 答えられることは限られるし、お前が質問できないことは教えてやれないが…………』
「オレの知りたいことを?」
『可能な限り』
「……………………」
聞きたいことは山ほどあるが、限られた時間で全部を聞くのは難しい。
しかも彼がする質問が、核心を突くことでなければ何の意味も無い。
だからまずは、『親友』たちのことを少しでも聞こうと考えた。
「…………プログラムはいっぺんに二つは出てこない。政府と違うプログラムだから、同時に出てこられたということか?」
『あぁ、基本はそうだ。でももし、政府のプログラムに見つかれば、俺たちはすぐに消される可能性があった』
逆も然り。『親友』は『同僚』を消した。
『だから、俺たちは政府のプログラムとは一緒に出てこない。あと、俺たちが出てくる時には、政府のプログラムを封じることもある』
――――そういえば『子守り』がいた時は『家政婦』とかは出てこなかった。
『お前は外に出たがって仕事してたんだよな……政府はそんな人間には同僚とか、助手とかを付けていたはずだ』
「つまり……オレは仕事を始めてから、ずっと『同僚』に見張られていた……ってことか」
『アイツだけじゃない。お前がプログラムを止めていた休日と、就寝の前後以外は家政婦も監視していたはずだ』
この『生活空間』に住む人間は、惑星を治める政府によって監視されていた。
何となく、彼もそのことには気付き始めてはいたが、それは生命維持のためだと思っていた。
「オレを殺しに掛かってきたのは?」
『お前が余計な知識と智識を身に付けてきたからだ。【細胞の提供者】が何の不自由も無い生活に満足して、飼い殺しにされていれば問題はなかったんだがな……』
「オレは政府に要らない人間と判断されたのか……」
『いや。たぶん、政府そのものというよりもプログラムが先に反応したんだろう。殺してからの報告になったはずだ』
「それは……事後報告でも済ませられる存在ってことだよな」
『まぁ……そういうことにもなるな……』
『親友』の落胆するような、哀れむような落ち着いた声に、彼は悲しい気分になっていく。
「それなら、最初から生かさなくても……細胞の提供なら、冷凍保存でもしてれば良かったのに……」
半ば自棄になって呟く。
『冷凍の細胞よりも、生きている奴から採る方が良いって理由だ。だから、この空間で健康的に生かされてたってこと』
「まるで、家畜じゃないか…………」
彼は【細胞の提供者】と呼ばれ、人口を増やすために生かされていた。
『生活空間』にいる人間に望まれたのは、余計な事を考えずに生きていれば良いだけだったのだ。
「……世界はオレみたいな人間は要らなかったのか?」
『いいや、お前みたいな奴も世界には必要だ。“より優れた人間”の下にも“普通の人間”がいないと困る』
そう、彼が目指していた“上級”の人間は最初から決まっていた。
「オレが“仕事”をしても無駄だった……?」
『いや。お前みたいな奴は多い。だから、政府のプログラムに関係無く、住民に入れ知恵をするプログラムがいないか、探らせる役割を与えていたんだと思う』
彼が探し出したプログラムは『親友』たちだ。
「知らず知らずのうちに、オレは『親友』たちの仲間を見付けて、政府に“密告”してたことになるわけだ…………つまり、オレは『密告者』だ」
――――『子守り』も“密告”されたのかもしれない。
自分のした“仕事”が、自分と同じ思いをした人間を産んでしまったかもしれない。
それは、彼にとって耐え難い事実だった。